【Day7】小泉進次郎、36歳。自民党の「優等生」を卒業する時

2017/10/17

「行った」という事実が大切

佐賀県武雄市には、剣豪・宮本武蔵が島原の乱に参戦した後に身を寄せ、「五輪書」の構想を練ったと言い伝えられている温泉宿が残る。
小泉進次郎がその由緒ある宿にたどり着いたのは真夜中だった。
新潟市内でその日最後の演説を終え、新潟空港からプロペラ機に飛び乗った。福岡空港に着いたのは21時半。そこからしばらく車を走らせた。
全国遊説の間は、いつも大好きなお酒を断つことにしている。体調管理と精神統一を兼ねて、だろう。だが、地元の人たちが気を利かせて用意したという自慢の地酒を飲まないわけにはいかない。
進次郎は飛天山という銘酒を一杯だけたしなむことにした。
翌朝、11時近くに武雄市内(佐賀2区)にある自民党候補者の選対事務所で「九州第一声」を行った。そこでは昨日からの行程を話題にした。
「私は昨日、新潟で演説を終えてから、飛行機で福岡空港に入り、昨日の夜中に武雄に着いて、宮本武蔵がけがを癒やしたという温泉に入り、そして今日、疲れが癒えて、ここにやってきました」
500人ほどが詰めかけたスーパー跡の駐車場には、何度も「へえ~」と感心したような声が上がる。
「気持ちよかったろ~」
そんな声が聞こえると進次郎はとっさに応じた。
「気持ちよかった。だけど、この選挙に勝たないと気持ちが悪い。候補者を勝たしてもらうためにみなさんのもとにお願いに上がりました」
小泉進次郎は演説の前に必ず寄り道をする。駅やパーキングエリアの売店、神社仏閣、偉人の胸像、田畑や牧場、酒蔵などを訪れ、時には名物を食べて飲んで、その土地の売りを確かめるのだ。
車から飛び出すと高校野球で鍛えた健脚で全力疾走し、滞在時間は3分にも満たないこともある。
「リアル」にこだわる理由を彼は筆者にこう説明したことがある。
「『行った』という事実が大事なんです。演説のつかみでその土地のことを話す時、本当に行った上で言っているのか、そうじゃないかは聴衆にバレますから」
今回は長距離移動が多いからか、寄り道する時間が確保できていない。それでも、リアルな体験から聴衆との距離を縮めようとする努力が垣間見える。
この日2件目の遊説会場(佐賀駅前、佐賀1区)では農林部会長の頃に視察で見た話を、
「私、去年、佐賀県の旧富士町に行って、カット野菜の工場を見に行ったんです。そうしたらなんと、そのカット野菜のおかげでマクドナルドは回っているんです。夜中も作ってくれているおかげで佐賀市内もそうだし、他の街のファストフード店も回っている。あー、私たちが知らないところで佐賀のお世話になっているんだなと思った」
3件目の会場(大分駅前、大分1区)では、小倉から大分まで乗ってきたKis-My-Ft2の写真が車体にあしらわれた「キスマイ・トレイン」をつかみとして話を切り出した。
「私は『キスマイクマモトオオイタ』とラッピングされた電車で来ましたが、途中、車内のアナウンスで、9月の台風18号の影響で不通のところがある。そういった案内がありました。台風の被害に遭われたみなさん、そして1年前の地震によって被災されたみなさん、心からお見舞いを申し上げます」
この日の九州は一日中、土砂降りだった。だが、平日の昼間なのに各会場には500~600人近い聴衆が進次郎の演説を聞きに来ていた。
演説中、進次郎はカッパを着たり、後ろから傘を差してもらったりしているが、終了後の様子を見るとスーツやズボンの中までしっかり湿っているのがわかる。同じ環境で密着取材している筆者も一日中、体が冷えっぱなしだった。
大分駅前でこの日最後の遊説を終えると1時間ほど高速道路などを車で走り、大分空港に到着。進次郎は、夕ご飯に迷わずラーメンを選んだ。オーダーしたのは、ネギが山盛りに乗った「ねぎ味噌ラーメン」(960円)。それを待合室の中で短時間のうちに口にかき込んだ。
久々の温かい飯に感動した進次郎は筆者にこんな感想を言い残し、羽田行き18時25分発の全日空機に乗り込んだ。
「選挙中のB級グルメはA級グルメに匹敵する」

10月16日の「小泉進次郎の言葉」

「変化が激しい時代だからこそ、変化に対応しながらも、変わらないものにしっかりと向き合あうことが大切だと思っています。絶対に変わらないこと。それは人は食べなきゃ生きていけないということ。それは絶対に変わらない。
佐賀県の未来だって、佐賀県の持っている魅力をどう生かしていくか。農業、林業、漁業は本当に大事なんです。
佐賀県のおいしいお米、佐賀県のブランド牛、佐賀県のおいしいみかん、有明海のおいしい海苔。たい焼き。佐賀県にはいろんなおいしいものがいっぱいあります。
私は『病気になってからお金を使う国』ではなくて、『病気にならないようにお金を使う国』に変えたいんです。そのために、やっぱり基本は『食べること』なんです。
食べることは農業をしっかり支えていく政策、漁業をしっかり後押ししていく政策。そして私たちが当たり前に飲んでいるお水やお酒。かつてマッカーサーがGHQのトップでいた時、おいしいと言って愛したお酒が、この佐賀県の『東長』です。そして最近では、世界のお酒のコンクールで賞を取ったお酒も佐賀から生まれている。
じゃあ、そのお水を誰が守ってくれているかと言えば、山の中で人知れず森を守って管理して林業をやっているみなさんがそれをやってくれている。おいしい水が山から川、川から海、海から食卓へと流れていく循環型の社会ができる。
(写真:HIROYUKI OZAWA/アフロ)
だから、食、食べることをもう一度、国の柱としてしっかり据えて、運動やスポーツがしやすい国づくりをやって、結果として医療や介護にお金がかかることのない国づくりができれば、次の世代にも、過度な社会保障の負担を残すことのない、みんなにとって幸せな社会が必ずできる。
その国づくりを佐賀からはじめていこうじゃないですか」(10月16日午後1時ごろ、佐賀県佐賀市)

「老獪さ」を身につけた優等生

このように語った国家像を進次郎は「医食同源の国づくり」と呼んでいる。
佐賀市の次にあった大分市の演説会では、自らが国づくりの先頭に立って動く期日まで初めて明示した。
「2020年、パラリンピックが終わるのは9月6日。翌日の9月7日から日本は正念場を迎えることになる。その時のことを今から考えて、『人生100年時代』。誰もが豊かに暮らせるよう子どもたちを支える社会をつくるために、今までとはまったく違う政策を打ち出していきます」
初当選以来、党遊説局長代理、党青年局長、復興政務官、地方創生政務官、党農林部会長、そして筆頭副幹事長を歴任してきたが、本人いわく、「どの仕事を任されても、全国どさ回りは変わらない」。
だが、こうした具体的なビジョンを語るようになったのも、これまでの全国行脚の成果と言える。
「こうして全国遊説を繰り返すと、『どこに行った』という次元から、『どこの村の誰と何を見に行った』と語れるようになる。自分の頭の中にある日本地図のメッシュがどんどんきめ細かくなっていくのがわかりますよね」
以前にこんな話を聞いたことがあるが、どさ回りを続けた結果、若手から重鎮に至るまで気心が知れた政界関係者が全国各地におり、どこに行っても生の情報が手に入る人脈を独自で作り上げた。
意見が合わない相手でもとことん議論をした末、腹を割って話せる関係に深化できてしまうことが彼の強みだろう。
この日入った佐賀県では、2015年に県知事選があった。自民党は官邸主導で改革派の前市長を擁立したが、農業団体の支援を受けた元総務官僚が勝利した。
農協改革が争点となり、県内の自民党関係者は分裂。当時総務会長だった二階俊博は、党の方針に背く形で農業団体と足並みをそろえて元総務官僚を応援したのだ。
「佐賀の乱」を首謀した指南役は、今年7月までJA全農会長を務めた中野吉實だった。農家出身のJA佐賀中央会会長だった人物で、安倍政権が進める農協改革に対しては慎重派の急先鋒だった。
安倍から改革を託された進次郎は、中野と真っ向から対立。佐賀を視察した際には「中野会長の考えを知ろうと佐賀に来たが、残念ながら考え方に開きがある」という言葉を吐き、物議を醸したこともある。
(写真:中尾由里子/アフロ)
今回、佐賀を訪問中、じつは進次郎は中野と極秘で会談している。はじめの演説が終わった後、彼は武雄市内のフランス料理店に入っていった。
筆者が確認してみると「お見舞いも兼ねて、お会いしましたよ。みなさんが見ていないところで」とあっさり認めた。
応援演説だけでは仲間を救えない。保守分裂のしこりが残る佐賀において、進次郎は空中戦に加え、地上戦も仕掛けていたのである。
それは、これまで優等生を演じてきた進次郎が、ようやく老獪さを身につけていく兆しを見せた瞬間でもあった。
✳︎敬称略
(取材・構成・写真:常井健一、編集:泉秀一)