自動運転は人間を退化させるのか。「走る歓び」を科学する

2017/10/12

「走る歓び」の科学的解明

自動運転技術の進展によって、クルマは安心・快適な交通インフラとして進化していく。
そんな未来を想像するときに、一抹の不安と違和感を覚える読者は少なくないはずだ。
「クルマは運転を楽しむ乗り物だ。」「クルマは単なる移動手段ではなく、人生に歓びを与えてくれるものだ。」
そう考える人にとっては、自動運転技術などによる完全制御のクルマが創る未来は絶望的につまらない世界に見えることだろう。
クルマが好きな人なら誰でもが共感する「走る歓び」。その感覚は、実は、単なる想像上の現象ではない。実際に運転による心身のポジティブな作用が科学的に解明されつつある。
そうした研究を行っているのが、広島大学の感性イノベーション研究機構拠点だ。
ここでは、最先端の脳科学、光技術、情報通信技術を駆使して、機械やモノを操作することによって精神的価値が成長する製品・サービスの開発を行っている。
まさに、運転することの「わくわく感」を科学的に検証することで、人間を活性化させるクルマの可能性についての研究を行っているのだ。
広島大学のプロジェクトリーダーである農沢隆秀氏のインタビューを通じて、「もう1つのクルマの未来」を考えてみよう。
農沢隆秀氏(広島大学 感性イノベーション研究機構拠点 プロジェクトリーダー)

カーナビで方向感覚は鈍る

──実際、運転して脳が活性化するというのはあり得るのでしょうか?
農沢 カーナビゲーションシステムを多くの人が使っています。実は、ナビを使ったとたんに、人間の方向感覚がすごく鈍ってくるんです。ナビは便利ですが、人間の空間認識能力を鈍らせる。
逆にいうと、ナビを使わなければ頭で一生懸命空間を考えながら、脳を働かせる。つまり脳が活発に動くわけです。
元来、人間が道具を使いこなすことで脳が活性化され、脳だけでなく精神的にも身体的にもよい影響を与えているのです。
この前提に立つと、「クルマは、乗れば乗るほど脳が活性化され、脳だけでなく心と身体が元気になる」。これは、仮説として検証に値するテーマです。
さらに言えば、夢かもしれませんけど、運転することによって、脳が活性化されて、若返るクルマも開発できるかもしれません。
──確かに、道具を使いこなすことで脳が活性化される実感はありますね。
農沢 アクセルペダルを踏むとクルマは進みます。この時、脳内では『報酬系』と言われる快楽を与える神経系が活性化されます。
つまり『思い通りに動いた』という感覚が、脳内でポジティブな作用を起こすわけですね。これは、運転時に脳波を計測することによって可視化することができます。
──つまり、運転することで「あやつる快楽」を得て脳が活性化すると、科学的に検証できるわけですね。
農沢 しかも、この応答する感覚は、単にペダルを踏み込んだときと、そこに走り出すエンジン音が加わったときとでは、脳内の動きが異なります。
別の研究では『リズム感』の研究をしています。アクセルを戻してクラッチを踏んでシフトを入れてといった一連の動作のリズムによっても脳の反応が変わってきます。
そうしたさまざまな運転動作に対して、クルマが最適なリアクションをすることで、脳の活性具合も最適化されていくと考えられるのです。
2017年8月31日に開催された「イノベーション・ジャパン2017」にて広島大学が出展していた脳波測定装置。同展示会ではこのほかにも、視覚や血管の動きなど様々な代用特性のモデリングシステムが公開されていた。

運転のわくわく感を解明する

──そのデータを使うことで『脳が最高に活性化するクルマ』が開発できるかもしれないということですね。
農沢 そのために必要なのが『感性の可視化』というアプローチ。人間のわくわくする気分を科学的に定義して検証しようとしています。具体的には脳波で、快・活性・期待という3つのわくわく感を計測します。
さらに、脳だけでなく代用特性という内臓や血管の動きにも注目しています。脈拍や血圧、心拍数といった情報も人間の不安や快楽を測定するために重要な要素だからです。
──確かに、運転するときに、ずっと頭に脳波計をつけているわけにも行きませんよね。体の他の部分を含めて脳の動きをリアルタイムで測定するセンシングの技術も重要になってきますね。
農沢 センシング技術は日々進化しています。クルマで言えば、運転時の目の動き、ステアリングを握る握力、シートに座っているときの重心など、様々なクルマと人との接点を使ってモデリングできます。近い将来実用化されていくのではないでしょうか。そうした技術の進歩があれば、運転時の脳の動きを瞬時に測定できるようになります。
一方でそこで得た感性データをリアルタイムにフィードバックする技術があれば、快・不快だけでなく、不安なときや危険を感じている時にも、クルマが適切に動作するといった進化が期待できます。

自動運転と自己運転が共存するクルマ社会

──高齢者の事故が増える中で、世論としては高齢になると運転するべきではないという論調もあります。これからの日本社会で、自ら運転する行為は不要になっていくのでしょうか?
農沢 もちろん、高齢になることで運転能力の衰えはあるでしょう。しかし、ドライバーから運転する行為をすべて奪ってしまって良いのか、は別問題。カーナビの例のように、運転行為が制御されることで、脳は不活発になります。
運転能力が衰えていく。だから自ら運転することで、ドライバーも成長し、脳や心を活性化させつづけることも必要だし、これからの社会には必要なのではないかと思います。
基本は自分が運転し、必要なとき、例えば疲れや突発的な心身の不調が起きたときに自動運転に切り替える、そうやって80歳でも90歳でも運転できるクルマがある、そういう世界を目指したいと思います。

人とクルマの調和ある社会とは

脳科学に基づいたウェアラブルかつリアルタイムな感性データを、ユーザーの特性に合わせて瞬時にフィードバックする。広島大学の研究は、単にクルマに走る歓びを与えるだけでなく、人間自身を成長させ、心を豊かにする未来の自動車の可能性を見せてくれる。
人がクルマを制御するのか、クルマが人を支配するのか、そうした二項対立ではなく、人とクルマとの調和のある社会を期待させてくれる。クルマ好きにとって望ましい世界の余地はまだ残っていると言えそうです。
(取材・文 島崎昭光/郷田絵梨)