継続できる人は「努力を設計する」という思想を持っている。
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努力を継続している人は、「強い意志」によってそれを継続していると考えられがちである。
だが実際には、努力を継続できるかどうかの基準は、意志力ではない。
むしろそれは、「自分が努力をできるように、行動を設計できているか」に依存する。努力を設計する、かー。言い得て妙。ちょっと似てるけど僕がよくやるのは、タスクをゲーム化すること。努力のゲーミフィケーション。例えば、タスクを細かく区切って、何らかの勝ち負けを設定するとか、時間を測ってラップタイムをグラフにして可視化するとか。余計な作業を増やしてるようで、これがだんだん楽しくなってくる。そのうち、もともとの崇高な目的など忘れて、ゲーム部分が目的化しちゃうんだけど、気が付いたらめんどいタスクが終わってる。
努力を設計できるかは、その努力をすることを楽しいと思えるか、意義を感じられるかだとも思う。時間は有限だから、楽しいと思えないことや意義を感じないことには時間を継続的に割こうとは人間思えない。
逆にそう思えないことはやめてしまってもいいとも思う。
ただ無為に過ごす時間が少ない人もいる。
新しいことをやってみて、楽しさや意義を前向きに探せる人のほうが、努力を設計するという意識的な形か、アハ感による無意識的な形は置いておいて、継続できるのだと思う。
まぁ、無為に過ごす時間も、これまた人生では重要だと思うのですが…