テレビの時代からネットの時代へと言われて久しいが、これまで測定できなかった視聴「質」のデータを使って、テレビの価値を再構築しようとする会社が現れた。アメリカと日本を足がかりにグローバル展開を目指す、TVISION INSIGHTSの創業者の一人、劉 延豊 (Yan Liu)氏に、データが変えるテレビと広告の未来について聞いた。

「ちゃんと観ているか」を可視化

──TVISION INSIGHTSの事業について教えてください。
テレビの「視聴質」を調査し、CMの広告主や広告会社、放送局などにそのデータを販売しています。
従来の「視聴率」は、日本ではビデオリサーチ社がパネル調査により集めるデータです。ただ、この調査方法で分かるのは基本的にテレビが点いているかどうか、どのチャネルが映っているかだけで、本当に視線が画面に向けられているかまでは分かりません。
当社で取得するデータの主な指標は2つ。1つは「テレビの前に誰がいるか」、もう1つは「テレビの画面を誰が見ているか」。これらを視聴の「質」を測る指標として、日本では関東800世帯に測定機器を置かせてもらい、データを取得しています。
テレビが点いていてもテレビの前に誰もいなければ視聴していることにはなりませんし、テレビの前に人がいても、眠っていたり、別の方向を向いていたら、やはり同じことです。
劉 延豊(Yan Liu) TVision Insights Inc. CEO/Co-founder / TVISION INSIGHTS株式会社 取締役
日本で小学校と大学時代を過ごし、日・中・英語のトリリンガル。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社を経て、中国でデジタルマーケティング会社 「游仁堂」を設立。その後、マサチューセッツ工科大学在学中に、次世代の視聴データを提供する「TVision Insights」を米国で設立。2015年3月に日本でTVISION INSIGHTS株式会社を他2名と共に創業した。TVisionはボストンを本社とし、米国8カ所および東京に拠点を持ち、目まぐるしく進化するテレビ・ビデオ視聴行動に対応可能なデータソリューションとして、多方面から注目と期待を集めている視聴データ会社。
──データはどうやって取得しているのですか。
マイクロソフト社のXboxのコントローラとして使うKinectセンサーをテレビの上部に取り付け、当社独自の人体認識アルゴリズムで、テレビの前にいる人の姿勢や顔の向き、表情などを判別し、1秒ごとにデータとして取得しています。最大6人まで測定可能です。
ただ、録画はしていません。例えば「顔が画面に向いているか」「目を開いているか」「口が開いているか」などの状態をすべて「0」「1」のような値に変換したデータのみ、サーバに送っています。ですから、機器を設置頂いているパネルのプライバシーを脅かすことはありません。
そうして映像から取得したデータと、どのチャンネルが観られているかのデータ、そして各局の番組・CMデータを時間軸でマッチさせることで、「どの番組のどのシーンを、誰がどんな表情で観ているか」を秒単位で把握しています。
十数種類のデバイスを試し、センサーの性能とコスト見合いでKinectを採用した。

テレビもデータドリブンに

──テレビの視聴質データに着目したのは、なぜですか。
以前私は、上海でデジタル広告の事業を行っていました。デジタルマーケティングの世界では、GoogleアナリティクスやDMPのようなデータ解析のためのさまざまなツールが発達しています。広告主にもかなりの部分の情報が共有されているので、ROIを非常に厳しく見られるんですね。
それに比べると、テレビの広告はデジタルマーケティングよりもはるかに予算額が大きいにもかかわらず、数字やデータを使って効果を評価している痕跡がない。
広告枠を売る方と買う方の、情報の非対称性が大きいテレビの世界へデータを持ち込むことで、テレビCMが伸び悩む今の状況を打開できるのではないかと考えたのが、この事業のスタート地点です。
インターネット広告も、最初はWebサイトのトップページにバナー広告を一定期間表示させたらいくら、という課金方法でした。その後、技術が進化してデータが取れるようになると、広告の表示回数に対する課金になり、やがてクリック数に応じた課金、アプリのダウンロードや商品の購買につながった際の課金へと変わり、広告の効率を高めてきました。
一方、テレビはいまだにインターネット黎明期の広告と同じです。そこに、私たちが取っているようなさまざまなデータを持ち込むことで、インターネット広告と同じ進化の道をたどることができると考えています。

視聴質はCMをどう変える?

──視聴質が定量的に分かると、何が起こるのでしょうか。
今のテレビ広告にはいくつか課題があると思っています。1つは、ターゲティングできていないということ。
インターネット広告では、Cookieなどを用いて閲覧者の属性をある程度把握して、狙った層に広告を届けることができます。
テレビだと、例えば私が、女性向けのシャンプーの広告なんかもたくさん観てしまっているわけです。そもそも商品を買うはずのない人に見せた分にまで、広告主は広告料を払っています。
私たちが取っている視聴質データでは、その世帯のうちの「誰が」その番組を観ているかを判別できるので、広告主はよりターゲットを絞ったメディアプランニングが可能になります。
2つ目の問題は、CMの効果と価格のギャップです。
今のテレビの世界では視聴率が通貨のようなもの。各番組の視聴率によってCMの価格が決まります。でも、その元となっている視聴率は「テレビが点いているかどうか」の数字に過ぎません。
でも実際は、テレビが点いていても全然観られていない番組もありますし、逆に、深夜番組などのように、点いているテレビは少なくても観ている人にはしっかり注視されているような番組もあります。このような場合、どちらに広告を投下したほうが効果的でしょうか。
広告の価値を裏付ける指標としては、視聴率も重要なデータですが、そこに視聴質データを加えることで、より精緻に広告の価値を明らかにし、正しい値付けができると私たちは考えています。
問題の3つ目は、データに即時性がないことです。
通常、テレビCMは数週〜数カ月間にわたって同じものが流されます。そして、CM放映期間が終わってから、市場調査を実施して効果測定するんですね。実際は効果が低くても、低いまま数カ月間、最初のプラン通り流し続けて、広告費を使い切ってしまうわけです。
われわれは毎日データをアップデートしていますから、広告主や広告会社は、そのデータを見てPDCAを回すことができます。CMを丸ごとつくり直すことは難しいですが、クリエイティブを微調整したり、広告枠を調整したりすることが可能になります。
これらの問題を解決していくと、理論的には広告の価値は高まり、平均単価は上がります。放送局にとっては少ない広告枠で売上を伸ばせるようになるためトータルのCMの時間は短くなるでしょう。
また、視聴質データによる番組の評価は、広告だけでなく、テレビ番組自体の質を高めることにもつながると考えています。それは、視聴者にとってもハッピーなことでしょう。
劉氏が拠点とするニューヨークとネットを介してインタビューを行った。

立ち上げ当初から世界を狙う

──視聴質データのビジネスを始めて、ここまでの手応えはいかがですか。
私たちは、当初からグローバルでこの事業を展開しようと考えていました。テレビの視聴率の取り方や傾向は、世界的にほぼ同じだからです。
テレビの広告費が一番大きいのがアメリカで、その次が中国、3位が日本です。中国は国営放送局と合弁会社をつくる必要があるため後回しにし、現在はアメリカと日本で事業を展開しています。
アメリカのパネルは現在、主要8都市で計2,000世帯ですが、来年には1万世帯を目標にしています。
日本は民放5局+NHKの地上波がテレビ視聴の大半を占めるのに対し、アメリカはケーブルテレビ網が発達し、約250のチャネルがあり、ある程度テレビ視聴が分散化しています。そのため、市場の攻略の仕方も異なるのですが、日米ともに、すでに主要放送局にも当社の視聴質データを導入してもらっていますし、広告主、広告会社のクライアントも順調に増えており十分な手応えを感じています。これまでの実績を足がかりに、来年にはヨーロッパへの進出も計画しています。
──日本での導入は進むでしょうか。
これまで数十年の間、テレビ業界ではCMの価値の根拠を視聴率に頼ってきました。そのような業界で、視聴質データのような新しい指標を導入していくのは、正直にいうと相当大変なことです。
ただ、放送局も広告会社も大きな組織で、中には先進的な取り組みを進める部署があります。そこにいる“より未来に近づいていきたい”と考える人をターゲットに、視聴質データで業界を一緒に変えて行きたいということを説いて回っています。
その一方で、広告主に導入してもらうと、業界へのインパクトが大きいと思います。データという武器を広告主が使いたいと思えば、“代理人”である広告会社も使わざるを得ません。そして、媒体の買付を行う広告会社が視聴率に加えて視聴質でも広告枠を評価するようになったら、放送局の営業部門も視聴質データを手に入れざるを得ない。
そういう流れを何度も波状的に起こしながら、少しずつ導入が進んで行くと考えています。

「0→1」から「1→10」へ

──これからさらに事業を広げていく上で、何が必要ですか。
アイデアを元にプロトタイプをつくってからこれまでの約3年で、「0→1(ゼロイチ)」の段階は終わったと思っています。なんとなくやり方は分かってきた状態ですね。
今は「1→10(イチジュウ)」の段階に入っています。拡大していくための基礎となるプロセスをつくり、システムつくるのがこのフェーズであり、技術開発からプロダクトの企画、営業、パネルの拡大、人事など、あらゆる領域で試行錯誤を繰り返す必要があります。
世の中の会社という組織で働く人の大半がしているのは「100→110」にする仕事です。それに比べると「1→10」というフェーズは、多くの人にとってあり得ないくらい不自然な状態。10に到達するまで、ずっとジェットコースターに乗りっぱなしという状況を想像してもらっても間違いではないと思います。
今は、そのジェットコースターに、私たちと一緒に乗ってくれる人を求めています。「1→10」を楽しめる人にぜひ来ていただきたいですね。
(取材・文:畑邊康浩、写真:中神慶亮[STUDIO KOO])