「日本人は集団主義」という幻想
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日本人は歴史的に見れば、集団主義というより寧ろ個人主義的である、と言うのは実はかなり有力な説だったりします。
例えば、元寇の時、鎌倉武士が個別に「やあやあ我こそは」とか言っているうちに、モンゴル軍が集団で襲ってきて、あえなく討ち取られたなんて逸話がありますが、軍隊に限らずとも、歴史的に日本人は個人の名誉や成果を重んじることが多く、一方でチームでの行動や成果を軽んじる傾向にあると言われてきました。
このことは、実際に社会学的に「囚人のジレンマ」の実験で繰り返し検証され、その結果日本人はアメリカ人よりも個人主義的、というより実は一匹狼的な側面が強いという結論に至っています。
では何故、日本人が集団主義と言われ、そのように私たちも理解しているのでしょうか。
それは、日本人の気質と言うより、場合によってそのような行動を取ることが、日本の共同体において有利だったからと考えられています。
日本人の社会は、歴史的に相互監視・相互規制を基本としています。
このような共同体においては、本心はともかく、集団主義的に行動した方が、集団にとっても、個人にとってもメリットが大きいのです。
ところが一旦そのくびきから離れれてしまうと、元の地を発揮し、途端に個人主義的に行動しはじめます。
実際、マネジメントの世界でも、実は日本人はチームで成果をあげるのが、西欧人と比べて得意ではないと言う研究もあるのです。
集団主義という神話は、この狭い国の中で、本来は個人主義な側面が強い日本人が、上手くやっていくために己にかけたある種の自己暗示だったのかもしれませんね。集団主義とか個人主義とか、◯◯主義で定義する必要がないと思う。
いろんな国の人たちとサッカーやってきたけど、人種や国によってある程度平均的な特徴はあるかもしれなけど、その国や人種を人と括りにして表現することはできません。
アメリカ人の中でもいろんなタイプの人がいるし、ドイツ人の中でもいろんなタイプの人がいる。私だって日本人の1人だけど、個性がなかったら多分海外でサッカー選手を仕事として食っていけてないと思う。
日本人の中にも個性的な奴たくさんいるよ。
日本人は集団主義ではないと思うけど、集団で一つの目的に向かった時のパワーは、計り知れない国民性があるとは感じてます。「集団主義」を指摘するのは、アベグレンが指摘した「終身雇用」や「年功序列」と同じような一種の文化論だ。
制度論でも規範論でもないので、厳密な議論にはならない。そういう傾向も観測できることがあるし、またそうでない傾向も指摘することができる。
「集団主義」の定義によっても異なる議論になり得る。
価値判断と短絡させてはいけない。つまり、集団主義=悪、非集団主義=善とはならない。
追記
「日本文化の根本は「和」であるとしばしば説明される。しかしながら「和」の本質はけっして個人の自立を許さない集団主義の謂ではない。「和して同ぜず」という言葉の中に、「和」の神髄が込められている。それは人々の協調、調和を重んじるけれども、無定見で事なかれ主義的野合を意味するものではない(略)しかいながら、個人の自立を求めるという論調は、多くの場合、何の疑いも差し挟まずに欧米流の個人主義を導入するということに直結していくようである。(略)欧米の個人主義は、たしかに個人の自立の思想にちがいない。しかしそれは、あくまでも個人の自立の一つの現れにすぎない」(笠原和比古)