【大山✕永濱】なぜ私たちは家業を継がなかったのか
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ご一読いただきまして誠にありがとうございます。今回、大山さんのオフィスにお邪魔して対談させていただいたのですが、応接室が素敵すぎて驚きました。
なお、タイトルにもあります通り、私は家業を継ぎませんでしたが、個人投資家でもあった父親の影響を受けて投資に興味を持ったという意味では、今の仕事も親の影響をかなり受けたと言えるかもしれません。先日「社長の家族」というビデオをアップした時に、コメントをいただいたご縁で永濱さんとの対談となりました。
本当にお忙しいスケジュールをぬって、おいで頂き恐縮しています。
初めてお会いしましたが、日頃のコメントからも分かる通りとても理知的な方で、どちらかというとエモーショナルな面が大きい私とは大違いです。
今回は時間がなくてバタバタだったのですが、是非ゆっくりとお話をしたいものですね。
今回の対談企画に限らず、私自身が日頃実感として思うのは、日本は選択肢が少なすぎる社会だということです。
事業を継ぐ、継がないにしても、一生その仕事をするか、一生やらないかの二者択一しかないわけです。
これでは若いうちに、おいそれとは事業を引き継ぐ決断などできませんし、又もし失敗したり、自身が経営者に向いていなかった時には待っているのは悲劇以外ありません。
又日本はなかなか起業家が生まれない社会だとも言われています。
その原因は色々あるのでしょうが、私自身は、経営者に選択肢がない、もっと言えば「会社を譲る」という選択肢がなかったことがその大きな原因だったと考えています。
一方、最近若い起業家の人たちと話をしていると、起業の時点からM&Aをexitと呼び、売ることも買うことも、全く抵抗なく成長戦略の中に考えている人たちが多くいて、とても驚かされました。
だから私は日本の企業経営の未来に少し明るい希望を抱いています。
経営者が、自分の事業のバトンタッチについて、いつでも複数の選択肢が取れる社会になったら、もっと自由に起業ができ、或いは起業家出なくても経営者になれる。
社長の息子に生まれたとしても、誰のプレッシャーを受けることもなく、自分の生きたいように生きられる。
そうなれば、きっと日本はもっと活気のある社会になると思うのです。私は当時赤字の家業を勢いだけで継ぎました。
私の母と祖母が作った会社で、あまり経営方針とかもなく自由にやっていたので私が会社のシステムや経営方針を変えることを温かく見守ってくれたので立て直すことが出来、今では14年連続売上UPです。
ただ周りの同年代の事業継承者を見るとやはり地方の中小企業では会社は男性社長独特の色が強く息子が時代の変化に合わせて改革をしたくても出来ないし、社長についてきている従業員さんとのコミュニケーションや立ち位置など事業自体に専念出来ない実情がありますよね。
また起業支援を行っていますが、彼達がステップアップするのに廃業予定の会社のM&Aは有効な手段だと思いますが、地方の中小企業は会社の株や土地も売却したくても家族や親戚の持分が入っていたりなかなか一筋縄ではいかず気持ちは一致しても全てをまとめるのはかなりの労力がいると実感してます。
地方では特に地元の銀行や行政などを絡めて動かないと難しいと思います。