工藤公康が被災地で伝える「あきらめない心」

2017/8/5
珍現象のはずだった「マイナス0.5」のゲーム差。
2強が激しく優勝を争う今年のパ・リーグ。7月2日、この時点で2位の福岡ソフトバンクホークスが首位の東北楽天ゴールデンイーグルスに勝利して、ゲーム差で逆転した。しかし、ホークスの逆転首位はならず、順位表では冒頭のように記載された。
プロ野球の順位決定は勝利数ではなく勝率が優先される。一方で、ゲーム差の算出方式は「Aチームの貯金(借金の場合はマイナス)-Bチームの貯金(同)」を2で割ったものだ。
ヤフオクドームを本拠地とするホークスは、屋外本拠地のKOBOパーク宮城のイーグルスに比べて試合消化ペースが速く、その差が大きくなったためにこのような現象が生じやすくなっているというわけだ。
あれから約1カ月が経過。その間にホークスが逆転首位浮上したこともあれば、イーグルスが再び抜き返して差を広げたこともあったが、8月1日時点でまたも「マイナス0.5差」現象が起きていた。
「やっている方は大変。でも、ファンの方には楽しんでもらえるかな」
笑顔交じりで話したホークスの工藤公康監督。
シーズン最終盤までもつれそうな優勝争いに加え、世間の子どもたちが夏休み期間中のプロ野球は過密日程となる。週1の試合のない月曜日も、移動で時間をとられることが多い。
シーズン後半戦が開幕した直後の7月20日。
3連戦と3連戦のあいだの、ホークスとしては珍しく移動日もない完全休養日だったにもかかわらず、工藤監督は早朝からヤフオクドームに姿を現した。所用を済ませると、午前8時半には車に乗り込んで出発した。
目指したのは熊本県の御船町だった。

寂しがっている子どもたちへ

工藤監督の到着を待ちわびていたのは小学生の子どもたち。同町立高木小学校の全児童105名だった。
昨年4月に発生した熊本地震。震源に近い益城町や熊本市には多くの著名人が支援にかけつけた。今年5月にも工藤監督をはじめホークスナインは熊本・藤崎台球場での試合前日に市内の小学校を訪問している。
御船町は熊本市から南東へ車で約30分。九州高速道路では益城熊本空港インターチェンジになる。
震源からさほど離れておらず、やはり御船町も大きな被害を受けた。高木小学校も体育館は今年4月からようやく使用可能になったほど。学校周辺のいくつかの道路は、いまだ震災で崩落した箇所がそのままで、通行止めになっている区間もあった。
にもかかわらず、御船町の状況については報道も少なく、慰問などもほとんどなかったという。今回、高木小学校の関係者から「子どもたちが寂しがっている」という話を聞きつけた工藤監督が「ぜひ伺いたい」と立ち上がったのだ。
実際に試合で着用するユニフォーム姿で登場すると児童たちから歓声が沸いた。
『あきらめない心』をテーマに10分から15分ほどの講話の予定だったが、気づけば倍以上の時間がすぎていた。
質疑応答や記念写真、ふれあいの時間を合わせれば1時間以上。工藤監督によればユニフォームだけでなく下着も汗でぐっしょりだったという。

子どもたち全員と“対戦”

社会貢献活動について、工藤監督はプロ野球界の中でも特に積極的に動いている。
東日本大震災は特に大きなきっかけとなり、宮城や福島などには20回以上足を運んだ。
「元気になってもらいたいという気持ちで出向くけど、実際にそこに着くまではいつも不安です。本当に喜んでもらえるのか……。それに僕は野球選手だったので、やはり野球を通じて何かをすることしかできない。子どもたちが笑顔なり元気になることで大人たちも元気になる。それで野球教室は何度も行ってきました。けど、東北では大人向けの野球教室を行ったこともありましたね」
また、東日本大震災が起きた2011年は工藤監督が“浪人”をしていた1年間だった。前年に左肩の不調もあり戦力外通告を受けたものの“30年目”のシーズンも希望を捨てることなく、無所属ながらトレーニングを続けていた。
その中、東北で何度も野球教室を開催。子どもたち全員と“対戦”をするのが名物企画だった。「プロのピッチャーと対戦したことで思い出になったり、野球の楽しさを知ってもらえれば」と、ときには数百人を相手に投げたこともある。軟式ボールとはいえ、実は、これで左肩をさらに悪化させて現役復帰を断念したという逸話もある。
「でも、東北の子どもたちのために壊れたなら、僕の左肩も本望でしょう」。当時の弁だ。

来年、オールスターで再会へ

そして、野球人としては、野球振興への思いもある。
今回足を運んだ高木小学校には野球部がなく、地域のクラブチームで野球をしている児童は1人だけだった。講話の中で工藤監督が「ダルビッシュ投手を知っている人?」と質問すると、手を挙げた児童は3割ほどしかいなかった。
一方で、工藤監督が「あ、ど忘れした。あの将棋の……」と言葉に詰まると、あちこちから「藤井四段!」と声が上がった。
ひと昔前はたとえ話の題材にプロ野球を使えば誰でも理解できた。時代の急速な変化を改めて思い知らされた。
確かに工藤監督が登場したとき、歓声を上げた生徒もいたが、ポカンとした表情の児童も多かった。
しかし、そんな子どもたちもヤフオクドームへの招待とホークスのユニフォームがプレゼントされると、一気に表情が明るくなった。お別れの時間には工藤監督に握手だけでなく、抱きついて離れない子もいた。
「笑顔になってもらえるのなら、僕はいろいろな場所へ何度でも足を運びたい。そして野球界としても現地に行って何かできることをするのは大切だと思います」
熊本では来年のオールスターゲームが開催されることが決まっている。今季リーグ優勝を果たせば、パ・リーグの監督としてグラウンドに立つことになる。
「そうなれば熊本の皆さんにも喜んでもらえる。実現できるよう死力を尽くして頑張ります」
また、この夏は福岡県の朝倉地域や大分県日田市など北部九州で大変な豪雨被害も起きた。ホークスでは昨年の地震災害の復興支援プロジェクトとして「ファイト!九州」を立ち上げているが、九州北部豪雨の被災地支援についても同様に積極的に活動する構えを示している。
(撮影:田尻耕太郎)