マヒア半島の先端にある発射場

スペースXは月に1回の打ち上げを目標としているが、ロケットラボのピーター・ベックは週に少なくとも1回は打ち上げようとしている。
ラザフォード・エンジンは、ほぼ完全に3Dプリントで製造されているので、ほとんどの部品はすでに組みあがった状態になっており、手作業で組み立てる必要はない。つまり、事実上ボタンを押すだけでエンジンのできあがりだ。
同社は、ニュージーランド北島の東海岸にある民間発射施設(航空宇宙業界ではまれ)を保有しているため、将来はもっと頻繁に打ち上げることもできる。マヒア半島の先端にある発射場の施設は、素晴らしい環境に囲まれている。
ロケットラボの1.8メートル×8メートルの発射台は、羊が草をはむ広大な牧草地の一角にある。ターコーイズブルーの海を臨む崖の上にあるこの一帯はかつて、欧米諸国の捕鯨基地だった。第二次世界大戦中はアメリカ軍が近くの海岸に上陸した
今では周辺地域に約1万3000人の住民がいる。農業、漁業、観光に依存する地元経済は苦しく、ギャングの犯罪が問題になっている。
ロケットラボの進出は、地元住民に希望と懸念の両方をもたらした。 ベックと彼のチームは、ロケット打ち上げが漁業やこの穏やかな環境に与える影響について住民と何度も話し合いを重ねた。
同社はまた、米政府と和解する必要があった。ロケットラボの正式な本社はカリフォルニア州ハンティントンビーチにあり、アメリカの投資家や顧客を引き付けやすい。
だが、連邦政府は過去40年間、国外で打ち上がるロケットの輸出を許可していない。結局のところ、ロケットは基本的にはミサイルだからだ。
ベックは何度もホワイトハウスを訪ね、約2年がかりで合意を取り付けた。「合意書に署名した後、ニュージーランド大使館で私の隣に男が座っていた」と、ベックは言う。「男は不満げだった。彼はリンゴの関税撤廃に政治生命をかけてきたのに、私たちはなんとか2国間の合意を取り付けることができたからだ」

打ち上げ予約はすでに2年分

オークランドからマヒア半島までは車で約9時間かかる。ロケットラボの従業員の大半は、ギズボーンの小さな町(現地の人は「ギジー」と呼ぶ)に飛行機で45分かけて飛び、さらに車で2時間かけて発射場につく。
エンジニアたちの住まいは、ニュージーランドで人気があるビーチハウスだ。ロケットラボの米国事業担当副社長シェーン・フレミングは「週に80時間も働いていなければ、悪い暮らしじゃない」と言う。
遠く離れた場所にあるため、発射場がフル稼働するようになっても、民間航空や貨物輸送による遅延を心配する必要がない。ロケットラボはすでに、他のロケットメーカーよりも頻繁な打ち上げ(3日に1回)の許可を得ている。
また、発射場を所有しているため、ベックの会社は競合他社のように米政府の打ち上げ施設の順番を待つ必要はない。政府の施設は軍事的な必要や役所仕事のトラブルで使えなくなることもある。
この発射場では工学上の冒険もできる。マヒア半島の緯度のおかげで、世界のどの発射場よりも発射角を大きくすることが可能であり、航空機とぶつかる心配なく、ロケットを広範囲の軌道に向けることができる。
「コストは重要だけれど、ここで最も重要なことは回数だ」と、ベックは言う。「それが新しい衛星と、新しいアイデア、業界の量子的大変化(クォンタムシフト)を可能にする」
すでに、同社は小型衛星の製造業者や月着陸船のメーカーをはじめ、アイデアの実現を熱望する様々な顧客から、すでに2年分の打ち上げの注文を受けている。

エレクトロン・ロケットの成功

5月25日、天候で数日延期されたのち、ロケットラボのチームは午前3時に起きて、エレクトロン・ロケットの初の打ち上げ実験準備にとりかかった。
家畜の群れを安全な場所に移動させた後、4人の男性が格納庫に行って輸送用車両にロケットを乗せ、150メートル先の発射台に向かう。ロケットは垂直に立てられ、液体酸素とケロシンを混合した燃料が注入される。
その後、エンジニアたちは全体の検査を行い、気象条件が整うまで何時間も待つ。ついに午後4時20分、ベックはゴーサインを出した。3分後、エレクトロンは宇宙に向かって上昇した。
ロケットは目的の軌道に到達しなかったが、実験は成功した。最初の打ち上げでロケットが爆発するのはごく普通のことだが、エレクトロンは爆発しなかったばかりか、大量の遠隔測定データを送信した。
打ち上げまで1日半、何も口にしなかったベックがチームを祝福するために工場に戻ると、スタッフはすでにお祝いのビールを飲んでいた。
軌道問題はもう解決済みとベックは考えており、今後さらに2回の打ち上げ実験を行う予定だ。それらが成功すれば、ロケットラボは顧客のための有料の打ち上げを開始する。
超小型衛星を製造するスタートアップのプラネットラボ(本社サンフランシスコ)は、ロケットラボの次の2回の打ち上げ実験と、最初の3回の商業打ち上げの際に自社機材を搭載する予定だ。
ロケットラボはまた、プラネットラボと競合する画像衛星を保有するベンチャー企業や、超小型通信衛星の製造や軌道の研究を行う企業との契約を検討中だ。
これらの新興企業は、ロケットラボに大きなチャンスを提供してくれる。
通常、打ち上げは年に100回行われ、大規模で伝統的な衛星が優先される。小型の衛星メーカーは通常、余剰貨物として打ち上げの空きに割り込めるまでを待つしかない。宇宙に到達する回数は制限され、大口顧客に翻弄される立場におかれる。
ロケットラボは、プラネットラボのような企業を打ち上げ難民から、規則正しい打ち上げが可能な企業に変えることを約束する。「衛星を速く製造できても、打ち上げのチャンスがない」と、プラネットの打ち上げと規制業務の責任者マイク・サフヤンは言う。「これは本当に大きな助けになる」

人類の発展をうながす宇宙開発

ロケットラボはまもなく、この業界ですぐれた競争力を持つだろう。アメリカでの競争相手は、ベクター・スペースシステムズとリチャード・ブランソンのバージン・オービットなどほんの一握り。こうした企業も年100回ほどの打ち上げをめざす。
「市場全体で年間400〜500回の打ち上げの需要があると思う」と、ベクターの共同設立者兼最高経営責任者(CEO)のジム・キャントレルは言う。「ロケット打ち上げ業界には4~5社が参入する余地がある」
新たな宇宙レースの行方は誰にもわからない。だが、そこに人類の進化の次の章を見る理想主義的な投資家はたくさんいる。
「これらの企業が推進しているのは、根本的な人類の発展という概念だ」と、ロケットラボとプラネットラボに投資しているVC企業データ・コレクティブ(Data Collective)の共同マネージングパートナーであるマット・オッコは言う。
「彼らは自らの運命を積極的に支配する人類の能力における飛躍的なステップを可能にし、予感させる」
ピーター・ベックとニュージーランドが宇宙ビジネスの急先鋒になることは、控えめに言っても「ありそうもない」ことだった。だが、ベックが正規の教育を受けず、母国ニュージーランドが地理的に孤立していることは、ロケット事業を考え直すうえでめったにない利点となった。
何年も前に政府の研究室でベックと仕事をしていたショーン・オドネルは、ある日、研究室からの帰り道でベックに、ここを辞めてロケット会社を立ち上げると打ち明けられたと言う。「少々ばかげた考えに思えた」と、オドネルは言う。
それにもかかわらず、彼はベックの最初の従業員の1人になり、現在はロケットラボのニュージーランド事業担当副社長になっている。「振り返ってみれば、これまでの道のりはすばらしかった。ここには航空宇宙産業はなかったし、自分がやるとはまったく思わなかった。ピーターは自分の言ったことをすべてやり遂げる」
未来がどれほど大きく変化しても、完璧に対応できる企業はロケットラボだけだとベックは確信している。「ニュージーランド人だから、この場所が大好きだから、ここで仕事をしているわけじゃない」と、ベックは言う。
「すべてが打ち上げの頻度と、新しい打ち上げ環境を作り出すことに帰結する。それこそがロケットラボを設立した理由であり、そこに集中していなければ、ありふれたロケット製造企業になってしまう」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Ashlee Vance記者、翻訳:栗原紀子、写真:Sergey Khakimullin/iStock)
©2017 Bloomberg Businessweek
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.