エリートが招いた東芝問題 経営者育成を抜本的に変えよ
コメント
注目のコメント
「経営者」という職業はヒエラルキーではなく、マーケティングやファイナンスのようなファンクションという文脈で捉えられて然るべきでしょう。あくまで役割分担。
従ってサラリーマンのキャリアのゴールとして執行役員を示すことはあるにしても、経営者を示すのは誤りだと思います。この点、「昭和の人生すごろく」的なサラリーマンの出世観を定着させてしまったという意味において、『島耕作』の罪は重いと感じます。
「経営は重要だと思うか?」と問われれば、10人が10人ともに「重要である」と答えるでしょうが、もし仮に今も昭和的な出世観に基づいて「上がり職」の功労賞として経営者の選抜が行われているのであるとしたら、それは誰も「経営」なんてものが重要だと信じていないことの、何よりの証左ではないでしょうか。だからこそ、コンテンツ会社の取締役会は「コンテンツ会議」の様相を呈し、営業会社の「取締役会」は「営業会議」になってしまうのだと思います。
「経営者という職業はヒエラルキーではなくファンクションである」ということを考えれば、社長よりも給料の高い営業マンがいてもおかしくないし、いて然るべきだと思います。経営者の内部育成は、時間が掛かりますし、経営環境が急激に変わるときには必要なスキルセットを持つマネジメントチームのタイムリーな組成が困難です。なので、サラリーマンによる内輪の論理を無視して、内部育成と外部からの登用の両睨みにてマネジメント人材のキャンディデート・プールを確保することが必要です。
なお、日本ではマネジメント人材でも数千万円から億円(株式含む)で確保できます。そして彼らのパフォーマンスが悪ければ一年でクビにできます。これは、訳の分からない会社を買収するより、よほど経済的な取引だと思います冨山氏のいうとおり外資系日本法人社長を大企業経営者に据えることが目立っているが、そもそも彼らは経営者というより海外企業の一カントリーマネージャーである。こんなつまらないところでも日本人の舶来志向は変わらない。エリートほど自社の子会社でうまくいっていないところで修羅場を経験すべきだというのは完全同意。
![アプリをダウンロード](/resources/images/banner-app-download.png)