“仕事の熱狂”に溺れない。「正気を保ち続ける」という働き方

2017/5/26
政府がプレミアムフライデーを提案するなど、日本全体で「働き方」が見直されている昨今。誰かに決められるのではなく、自らワークスタイルを規定し、実行してきた”ヒーロー”たちの多様なポリシーに学ぶ。(全4回、毎週金曜日掲載)
会社設立時から「夕方6時に全員退社」をルールとして定め、残業ゼロを徹底している株式会社クラシコム。同社が運営するECサイト「北欧、暮らしの道具店」は、“ECサイトのメディア化”で成功した草分け的存在として注目され、毎年160%以上の成長を続けている。
残業をしないために、制作請負やイベント出展など「働き方をクライアントの事情に合わせなければならない仕事」はすべて断るというスタンスを貫く一方、社内でも属人的な「その人にしかできない仕事」は一切作らず、個別の成果についての評価も行わない。
代表取締役の青木耕平氏は、「必要なのは“考え方改革”。考え方さえ変われば、環境に応じた働き方を生み出せる」と語る。その真意とは──。

「頑張らない」ほうが成果が上がる

──まず、創業時に「6時退社」というルールを作った理由から教えてください。
青木:いまの会社を起こす前、北欧に行ったときに、現地に住むシステムエンジニアの友人の家に泊まっていたんです。その彼が夕方の5時半に帰宅するや、「聞いてくれよ、今日は最高にたくさん仕事をした!  1日で会議を2本もこなしたんだぜ!」と語ることに驚いたんですよ。
それでいて、1人当たりのGDPは日本よりもはるかに高い。これには羨望を通り越して腹立たしさを覚えました(笑)。多くの日本人があれほど長時間労働で頑張っているのに、稼ぎでは5時過ぎに帰る彼らに負けているのかと。
じゃあ北欧の人たちの能力がズバ抜けているのかというと、日本人と比べて特段に能力差があるようにも思えない。であれば、自分たちも同じ条件でパフォーマンスを上げてみせる。その“無理ゲー”にチャレンジしてやるという思いが出発点でした。
──最近、「ノー残業、楽勝! 予算達成しなくていいならね」という広告コピーが話題になったりしていますが、労働時間を短縮しながら生産性を上げるというのは難題です。これ以上どうやって効率化すればいいんだ、と。
「業務の効率化」と、「生産性の向上」は、似ているようで全然異なるテーマです。僕の考えでは、「この仕事は、本当にやる意味があるのか」と問い続けることが、本質的な生産性につながると思うんですよ。
業務改善を考えるときに役立つ「ECRS」というフォーマットがあります。
Eは、そもそも改善を検討する業務そのものを無くせないかを考えるEliminate(排除)、Cは複数のものをまとめ合わせるCombine(統合)、Rは順序を変えるRearrange(再編成)、Sは簡略化するSimplify(単純化)です。
このなかで、もっとも重要なのはE(排除)。「そもそもこの仕事やらなくてもいいんじゃないか?」ということから検討する。なぜなら、大切ではない仕事を効率化するために、あれこれ考えるほど無駄なことはないからです。
そうやって「やるべきこと」を見直していくと、あらゆることが削ぎ落としの対象になります。突きつめて言えば「どう働くか」を考える前に、「働く必要があるのか」すら検討する対象になります。
根本的なスタンスとして、僕たちはあくまで“雑貨屋”ですから、徹夜するほど頑張らなくてはいけない仕事は、そもそもないと思っているんです。「探せばあるだろう」と業務をひねり出して、無理して頑張るのも変な話ですよね。
場合によっては、何もしないでいることのほうがずっと価値があります。なぜなら、やるべきことに出くわしたときにすぐに動けるから。動くべきときにしっかりと動けるように、余力のある状態を保っておくほうがいいんです。

「がむしゃらに働く」はすでに様式美

──とはいえ、日本の職場では「頑張っている感じ」を求められるし、頑張る人が評価されます。
「頑張ること」が美徳だからですよね。海外の人たちと比べても、日本人は根本的に「美しく働きたい」「美しく生きたい」という願いを強く持っているように感じます。
今の日本は、戦後の何もなかった時代、懸命に働いてきた先人のおかげで成り立っています。高度成長期、ひたむきに働くことで国が豊かになっていった。これはすばらしいことです。当時の環境においては必然性があり、合理性があった。
だからこそ、長時間労働によって復活した日本ならではの、働き方に対する美意識が確立されたのではないでしょうか。
クラシコムの社員は8割が女性。オフィス内にはキッチンがあり、プロの手によるランチが振る舞われる。
ただ、美しさというのは、本質から立ち上がって、時間とともに次第に様式化されていきます。伝統芸能における型のように。
その美しさは、時代や環境が変わっても常に通用するものとは限りません。今の日本では、「頑張る」という様式美をなぞることが目的になっていて、「なぜこの様式が生まれたのか」という本質が置き去りになっているケースが多い気がします。
今となっては、“頑張ることで安心したい人たち”や“仕事で熱狂したい人たち”が、この様式にのっとって自己破壊的に働いているという構造すら見受けられます。

仕事で「熱狂」するのは楽しい。しかし

──どうせ働くならば頑張りたい、手応えを感じたいという気持ちを抱くことは自然のようにも思えます。
そうなんです。「仕事で熱狂する」というのは充実感があって楽しいことなんですよ。実際、僕は毎日18時に帰ったあと、やることが何もないですからね。せいぜい本を読むくらいで、退屈の極み。仕事をしているほうがよっぽど気楽です。
それでも、僕が新規事業を立ち上げるとき、担当者には最初からあんまり「頑張らないでね」と必ず伝えます。逆説的な言い回しですが、スタッフが頑張らないのにうまくいったら、その事業は「頑張る価値があるもの」だという証明になるからです。
でも、スタッフが必死に頑張ってうまくいった場合は、その人が優秀だったから、努力したからうまくいったのか、選択したドメインやモデルが正しかったのかの区別がつきにくくなる。
経営者としてはまずは仮説の正しさを確認した上で頑張る価値があるのかの判断をしたいので、あえて最初のうちは「頑張らないで」と伝えています。
たびたび言うのは、「うまくやったからうまくいくんじゃない。うまくいったから、うまくやる余裕が生まれるんだ」ということです。
頑張ってうまくやることは、成功(うまくいくこと)とあまり相関関係がないと思っていて、頑張らないのにうまくいくことを見つけることができたら、頑張って(うまくやって)さらなる成功を追求できると思っています。
無理に頑張らなくてはうまくいかないことはやらない。もしくはすぐに手を引く。そうして無駄を削ぎ落とすことで生まれた余裕が、結果的には成果を引き寄せるはずなんです。

「不満がない環境」で自分と向き合う

──頑張らないことを求められ、残業もない。いわゆる“ホワイト”な職場環境に思えますが…そう単純な話でもなさそうですね。
クラシコムは、どちらかと言えば働きやすい環境だと思います。ただ、そもそも人間が働きやすい環境を求めているのか……という根本的な問題はありますよね。
働きやすくてストレスがない環境に置かれれば、自分自身と徹底的に向き合うことになります。それは禅僧の心境に近いかもしれません。
職場にストレス要因があれば、うまくいかない状況を上司のせいにすることもできる。でも、ストレスフリーな環境なら責任転嫁する対象がない。そのときに浮かび上がってくるのは、自分という存在です。
しきりのないオープンなオフィスの一番隅にある青木氏のデスク。本とPC以外には、ほぼ何もない。
新興国の若者は先進国の若者よりも幸福だ、という考え方があります。それは、幸福を目指して乗り越えるべき課題がたくさんあるからだと言われています。
皮肉ではありますが事実かもしれません。問題が多くてやることが山積みで、バリバリ頑張れる状況のほうが実は元気でいられたりするんですよね。
目の前の課題に熱狂せず、覚めた心で自分に向き合い続ける。力を持て余している状態で、しかも希望を失わず、平常心を保ち続ける。それは、実はとても高度なことだと思います。

「美しく働く」とはどういうことか

──青木さんは「仕事」そのものを、どう捉えているんでしょうか。
現代においては、ビジネスは「美意識の表現」になってきていると考えています。そのために、起業家は新しい価値を生み出してビジネスを作っているわけで、一種のアーティストに近いものですね。
世の中にはあらゆるサービスや商品があふれていて、もはや新たに参入して、既存のプレーヤーに対して差異をつけられることはほとんど残っていません。微細な差で勝負する必要があります。
その現状において、あえて新しいサービスや商品の提供を事業にするというモチベーションは「個人的な表現欲求」以外に見いだすのはなかなか難しい。また、差が微細だからこそ、細部に宿る美しさにこだわりきることで顧客からの支持が得られ、収益につながる。
美意識を度外視して、短期的な収益を狙うのは得策ではないと考えています。
──では、美しく働くとはどういうことなのでしょうか。
仕事を表現として捉えれば、成果の差が微細になっていくのであれば、成果の上げ方がいつもオルタナティブで見る人に気づきを与えるものでなければ、美しくはないと思っています。
たとえば「夕方6時に全員退社」といっても、社会全体がその方向に向かう今となっては、もはや美しい表現とは言えません。
つまり、今の僕の美意識はあくまでもこの時代のこの条件下のものであって、時代が変わったり会社の規模が10倍になったりしたときに、同じことをやっていても美しくはないはずなんです。
だから、働き方に絶対的な正解はなく、常に変化し続けるものだからこそ、「働き方改革」よりも「考え方改革」が必要なのではないでしょうか。
そうすればどんな状況でも、美意識を具現化した働き方が実現できるのではないかと思っています。
(取材:呉 琢磨、構成:西門和美、撮影:岡村大輔)