【里崎智也】エリートを倒すには「キャリア戦略」が必要

2017/5/3
頭脳派、個性派捕手として知られた元千葉ロッテマリーンズの里崎智也氏。2度の日本シリーズでの優勝、また2006年のWBCに正捕手として出場し世界一になった経験を持つ。そんな里崎氏は自らのことを「決してエリートではなかった」という。

では、里崎氏はどのようなマインドを持ってプロ野球選手としてのキャリアを歩んだのか。「ビジネスマン的な戦略があった」という、その真意を聞くべくNewsPicksは里崎氏の独占インタビューを実施した。

「ビジネス書」を書いた理由

──里崎さんの新著『エリートの倒し方』の想定読者はビジネスパーソンだと聞きます。今回、ビジネスパーソン向けに本を書いたきっかけを教えてください。
里崎 引退後に企業や学校などいろいろなところで講演をさせていただく機会がありましたが、野球ファン以外からも「里崎さんの言っていることはビジネスの世界でも大事なことだ」と言われることがあり「自分もビジネスパーソン向けに本が書けるのではないか」と思うようになりました。
しかも、プロ野球選手が「ビジネス書」を出すってなかなかないですよね。人がやらないことをするのが僕は好きなので、自ら出版社に「ビジネス書を書きたい」と売り込んだのです。
──今日は里崎さんに「キャリア論」「組織論」「勝負論」という3つの軸でお話を伺います。まずは「キャリア論」からです。里崎さんは1998年にロッテに入団した際、「周囲とのレベルの差をとても感じた」と書いています。
当時、ロッテはそこまで強くなかったと思いますが、それでもやはり、プロとアマチュアでは歴然とした差があったのですか。
そこまでというか、当時は本当に弱かったですよね(笑)。ただそんなロッテでも、ボールのスピードもスイングの強さも全然アマチュアとは違いました。
でも、僕は「やればできるはず」という根拠のない自信だけは持っていました。もちろん、プロに入った当初は低いレベルからのスタートですが、「ちゃんとやるべきことをやれば、他の選手は抜ける」と思っていました。
──キャッチャーというポジションは同時に1人しか試合に出られません。その中でも「抜けるな」と思えた理由は。
他の人に比べて僕は、守備は劣るところはありましたが、バッティングが良かった。それならその武器を生かすしかないですよね。リードのみならずバッティングを磨いていったら、打力を買われ、2年目に1軍で使われるようになりました。
ただ、巨人の阿部慎之助選手に代表されるように、プロ野球の世界だと打てるキャッチャーは常にコンバートの話があります。僕も2年目くらいのときに「サードに転向しないか」と言われました。ただ、その時はコーチが守ってくれ、コンバートは実現しませんでした。
コーチの言葉で印象的だったのは「里崎はキャッチャーだから打てると言われるんだ」ということです。打てるキャッチャーと打てる野手を比較すると、打てるキャッチャーのほうが期待値のハードルは低いですよね。
キャッチャーをやってるからこそ「打てる」と言われることを忘れてはいけないと思わされました。
里崎智也(さとざき・ともや)
1976年、徳島県鳴門市生まれ。鳴門工業高から帝京大に進み、1998年にロッテを逆指名しドラフト2位で入団。2006年の第1回WBCでは優勝した王ジャパンの正捕手として活躍。打率4割を超える活躍でベストナインに選ばれ、優勝に貢献する。2010年、ロッテはシーズン3位ながらCSを勝ち抜き日本一に。2014年のシーズン限りで引退。実働15年で通算1089試合、3476打数890安打、108本塁打、458打点。最新著書に『エリートの倒し方

生き残り方を見極める

──里崎さんは著書で「プロ野球の世界に入ってくる人は昔からエリートの人が多く、そのようなお山の大将は駄目になることが多い」と述べています。
そうですね。もちろん「お山の大将」の状態でプロ野球選手になり、そのまま活躍し続ける人もいます。
ただ、そういう人は一部のスーパースターだけで、ほとんどの選手が「こんなはずじゃなかった」「チームが悪い」と言い訳しながら辞めていきます。
僕からすると、そんな選手には「いや、お前の能力がなかっただけだ」と言ってやりたいぐらいです。「俺はもっとできるはずなのに」という余計なプライドを捨てないと、この世界ではスタートラインにすら立つことができません。
このとき大事なのは、「何がなんでもスーパースターになってやろう」と思わないことです。会社でもそうだと思いますが、全員がスーパースターになることはできません。スーパースターもいれば、単なるスターもいて、さらにはバックアップ(控え)の人もいます。
いろんな役割の中で生き残っていく方法はありますし、その生き残り方をどう自分が見極められるかが勝負になります。
「代走のスペシャリスト」といわれた元巨人の鈴木尚広選手は、僕から見たら「史上最強の走塁力」を持った選手でした。
鈴木尚広がスーパースターかといえば、そうではない。レギュラーでホームランを量産する選手ではありませんから。
でも彼は自分の役割を理解し、走塁という一芸を磨き続けてきた。「僕が使われない状況が一番いい。僕が使われるってことは接戦になっている証拠だから」とさえ言うほど、自己認識が徹底していました。
つまり彼は控えの一番手になることで、超一流の地位を獲得したのです。もし「いや、俺はホームランを狙うんだ」と言っていたら、ずっと昔にクビになっていたと思います。
──鈴木尚広選手以外に「この人はスペシャリストだな」と思った選手は。
守備固めにもそうした選手がいます。僕が守備で「この人極めてるな」と思ったのは、亡くなってしまいましたが木村拓也さんです。
彼も超バックアッププレーヤーでしたよね。臨時でキャッチャーもやったし、外野も内野もどこでも守れました。そんな選手はなかなかいないので、監督にとっては最強の切り札だと思います。

イチローさんのすごさ

──里崎さんから見て「せっかくの才能があるのにもったいない」と感じる選手に関しては、どういった部分が足りないと思っていましたか。
概して柔軟性がないところです。こだわりが強く「自分には自分のやり方がある」と他人の意見を最初からはねのけてしまう。僕からすると結果が出ていないのに、自分の意見を言うなんて100万年早いと思いますが、そのような選手はだいたいどこかの時点で壁にぶつかります。
──逆に柔軟性に優れた選手は誰ですか。
それはもうイチローさんです。イチローさんとは第1回WBCのときにチームメートとなり、お話しする機会がありました。
イチローさんは人と話をすることが好きな人だと思います。プロ野球選手は誰しも、自分の野球論を話すのが好きですが、普通は実績が上の人が実績が下の人の野球論を聞くと「え? もっとこうしたほうがいいんじゃないの?」って言いがちなんです。
でもイチローさんは、「おお、そうなんだ」って全部を聞いてくれます。その様子を見て「すごいな、この人」と僕は思いました。
その柔軟性はイチローさんの野球に向かう姿勢にも表れています。時代の流れに敏感で、いいものはどんどん取り入れていく。最近も初動負荷のトレーニングマシンを1000万円ぐらいで購入し、毎日トレーニングをしているそうです。
もちろんあれほどの実績を残している人なので、自分の中でのこだわりもすごく強いと思います。いわば「柔軟性がある中でのこだわり」です。駄目な選手が持っているのは「柔軟性がないこだわり」です。
──柔軟性の話が出ましたが、プロの世界では結果さえ出していれば「何を言ってもいい」ということになるのですか。
そうです。結果さえ出せばなんでもありです。結果を出していない人が理論を語っても「で?」ってなりますよね。だから僕は「過程は評価しない」とずっと言い続けてきました。
今年のWBCでは、日本代表は準決勝で敗退しました。多くの人が「頑張ったから良かった」と言っていますが、僕は「え? 本当に良かった? ベスト4だよ」と思っています。
ベスト4が目標だったら「目標も達成したし、優勝まであと一歩で良かった」と言えます。でも侍ジャパンは「世界一奪還」を目標に掲げていましたよね。
それなのに満足した雰囲気になっていて、僕は「なんで準決勝で負けて満足してるんだよ」って思ってしまいます。プロの世界なら頑張るのは当たり前のことですから。
頑張ったことを評価するなんて、僕からしたら慰めでしかありません。勝負に慰めなんて必要ない。大げさに言えば「頑張らなくてもいいから結果を出してくれ」と思っています。
──日本のスポーツ報道にも「頑張った」という記事が多いですね。
それは世論が「頑張ったこと」を評価するからです。世論と真逆のこと言うのって勇気が要りますよね。
今回のWBCでも負けた試合の評価をしないといけないわけです。現実には「菊池(涼介)と松田(宣浩)のミスで負けました」というのが客観的な評価です。
でも、それを言った途端に「戦犯探しはやめようぜ」という空気になる。
僕からすれば「いや、事実を言っているだけで、その選手を野球選手としても人間としても否定しているわけじゃない。その試合に負けた要因を評論してるだけで別に戦犯なんて探してない」と言いたくなりますが、世論はそうならない。結局は報道も世論に沿った流れになります。
でも、僕は自分の主張を一切変えません。自分のスタンスを変えたら駄目だと思っているので、世論と真逆のポジションになっても言い続けます。
──本書にも「反省は勝ったときにするべきだ」と書かれています。
ええ。負けた時に反省をしても、反省をすることって多すぎますよね。僕は日本の組織の一番駄目なところは、反省会が「反省をすることを探す会」になっている点だと思っています。
「なんであのとき、こんなことをしたんだ」って言われても、僕は「終わったことを延々言われても、過去は戻ってきませんよ」と言いたいです。
プロ野球ではしばしば、同じチームと3連戦で戦います。だったら、明日、同じ状況になったときにどうするか考える方がよほど有意義です。文句を言う人のほとんどは代替案を持っていません。代替案を持っていない中での反省会に意味はないと思います。
自分の調子もずっといいわけがない。元気なときがあれば調子が悪いときもある。その中でどう立ち向かっていくのかが大事なわけです。
僕の経験からいうと、調子がいいときに反省したほうが楽しいです。自分で自分の調子がいい理由を探すなんて最高じゃないですか?
調子がいいときには同じようなルーティンをしていることが多いです。例えば「調子がいいときって、必ず俺って朝の6時に起きていた。それで仕事に行く前に、コーヒーを飲みながらゆっくり時間を使って出勤していた」と気づいたとします。
一方、調子が悪いときには、「朝、なかなか起きれていないな。ぎりぎりに起きてバタバタしているな」と気づく。
するとそこから「調子のいいときのリズムに変えてみる」といったアプローチが生まれてきます。
調子が悪いときに反省会をすると、個別の悪い点にばかり目が行ってドツボにハマります。でも、調子がいいときに理由を考えると、物事を前向きに捉えることができる。何より最高に楽しいですから、気分良く反省ができるのです。
※続きは明日掲載します。
(取材・構成:上田裕、野村高文、撮影:竹井俊晴)