東京都知事・小池百合子の知られざる半生

2017/5/13
私は「半島型」キャリア
都知事選に出馬表明の際、「がけから飛び降りる覚悟で挑戦したい」と申し上げました。
どうやら私は10年に一度くらい、がけから飛び降りたくなるようです。
新しい世界に次々と飛び込んでいるように思えるかもしれませんが、私自身は「離島型」ではなく、「半島型」のキャリア形成だと思っています──。
母の教え
母からこう言われていました。
「人はいろいろと好き勝手なことを言うけれど、誰も面倒は見てくれない。でも、最後は自分で決めて、自分で責任を取りなさい。その結果について、お母さんは知りませんよ」──。
小学生のときのお小遣いは月500円。ちょうど池田勇人政権が「所得倍増」をスローガンに掲げていた頃です。
「偉い人が所得倍増と言っている。私のお小遣いも倍にしてほしい」と母に訴えましたが即座に却下されました。
それが中学生になったとき、一気に1万円に増額されたのです。跳び上がらんばかりに喜んでいたら、それが大きな間違い──。
エジプト・カイロ大学に入学
エジプトへの留学を決めたのは、父の存在が大きいですね。
エジプト・カイロ大学に入学を希望する旨の手紙を準備していたら、父はこう言いました。
「直接行って交渉しないと駄目だ。さっさとエジプトに行きなさい」
普通の親だったら娘を心配すると思いますけど。
そこで関西学院大学を中退して、エジプトに旅立ったというわけです──。
ピラミッドの頂上でお茶をたてる
留学中は、学年が上がるたびに高い場所に登って、「わーっ」と叫ぶ儀式を決め事にしていました。
大学卒業記念には、ギザで最も高いところ、つまりピラミッドの頂上でお茶をたてました。
どうしてそんなことをするのかと言えば──。
カダフィ大佐、世界初の単独会見
エジプト・カイロ大学を卒業後、日本に戻りアラビア語通訳をしていました。
リビアの旧最高指導者、カダフィ大佐の単独会見のコーディネーターを担当することになったのは、26歳のとき。
アポイントを取り付けるのが私の役目です。もし実現すれば、世界初の単独インタビューになります。
そのとき私を突き動かしていたものは──。
キャスターに転身
日本テレビの「竹村健一の世相講談」でアシスタントとしてレギュラー出演するチャンスを得ました。
竹村さんに、鳥の目を持つことの大切さを教えてもらいました。「日本だけで考えていたらあかんで」──。
その後、日本テレビからテレビ東京に引き抜かれ、「ワールドビジネスサテライト」の初代メーンキャスターに抜擢されます。
35歳のときでした──。
40歳で政界入り
「ワールドビジネスサテライト」を突如降板し、結成したばかりの日本新党から参議院選に出馬しました。
それまでにも何度か別の政党から出馬要請をされたことがありましたが、政界入りには興味がありませんでした。
40歳で初当選を果たします──。
細川さん、小沢さん、小泉さん
細川護煕さんは、戦う殿でした。決して「良きに計らえ」なんかじゃない。武将の一面がある──。
自由党時代は、生来のプロデューサー気質を発揮し、ちょっと怖そうな小沢一郎さんをプロデュースしました──。
小泉純一郎さんは、とっても明るいですよね。それに何か鬼気迫るものがある。
私は第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣に任命され、初入閣を果たしました──。
クールビズの仕掛け人
実を言うと、私はクールビズのキャンペーンを始めたときから、ひそかに流行語大賞を狙っていました。
私がいつも大切にしているコンセプトは──。
私のミッション
私は目的が定まれば、一心不乱に邁進できます。
目下のミッションですか? それは──。
10年ごとにチェンジ、私のキャリアは「半島型」
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:荻島央江、撮影:遠藤素子、バナーデザイン:今村 徹、撮影協力:山の上ホテル)