沖縄は本当に「貧しい」のか(後編) 樋口耕太郎 トリニティ株式会社社長、沖縄大学准教授に聞く

2017/3/12
樋口耕太郎(ひぐち・こうたろう)/トリニティ株式会社社長・沖縄大学准教授
1989年野村證券株式会社入社。ニューヨークおよび東京の投資銀行部門に、不動産金融・証券化・マーチャントバンキングの専門家として勤務し、2004年から沖縄で再生事業を開始。ホテル事業の再生などを手がけ、事業再生の専業会社トリニティ株式会社を設立。那覇で金融関係の講座を開く一方、沖縄大学で教鞭を執っている。
──地元紙沖縄タイムスで貧困について警鐘を鳴らす「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」というタイトルの連載をし、かなりの反響を集めたそうですね。沖縄で貧困について議論するのはタブーだったのでしょうか。
「沖縄内部に問題が存在する」という議論がタブーなのだと思います。みんな感じているけれど口にできない。逆にだからこそ、これだけの反響があったのだと思います。
タブーだった「貧困」に関わる議論
──実際のところ、沖縄の経済は本当に貧しいと思われますか。
確かに貧しいかもしれないけれど、大手メディアが伝える印象ほど、ひどくはない、といったところではないかと思います。例えば、貧困かどうかを判断するのは、年収122万円(貧困線)が基準ですが、これは1人世帯の手取り収入。3人世帯の総収入では250万円前後の計算になります。
沖縄で250万円の収入はまだいい方です。以前沖縄で私が経営に関わったホテルでは、250人の従業のなかで30人いるかいないかでした。沖縄は収入だけを基準とした貧困率が「過大評価」されている面がある。沖縄にはスラムもなければホームレスもいません。
所得だけで説明できない沖縄の事情
──つまり、沖縄は給与所得の水準が高くないので、全国的な基準だけで貧困かどうかを分析しても、完全には実態を説明しきれない、ということですね。
別の見方では、だんなが年収250万円でも、共働きをすれば400万円前後の家計収入になります。問題は家計の働き手が1人である場合で、非正規雇用の多いシングルマザーが貧困問題の中心である理由がここにあります。
そこには、若年授かり婚、早期離婚、働かない男親、DV、養育費の不払い、男性中心の雇用環境など、沖縄の複雑な社会事情が背景にあります。沖縄の貧困問題は、所得だけでは説明しきれません。また、実質的な生活水準が所得以上に高い人も少なくありません。家族の補助があるとか、親戚が軍用地主であるとか、友人が売り上げを助けてくれるとか、本人が持っていないのに、お金が出てくる場合もある。
「しがらみ」と言い換えることも可能ですが、沖縄には経済的なサポートで相互に支えあうシステムが存在しています。逆に、人間関係を毀損すると、生活が崩れてしまう。
急にキャンペーンが始まった「子どもの貧困」問題
──そのなかで「子どもの貧困」がこの2、3年、急に沖縄県の重要課題に浮上し、対策の必要性が県庁を中心に叫ばれていますね。
沖縄の貧困問題は、ずいぶん以前から存在しているはずなのに、2年前から急にメディアが取り上げ始めたのは、何か理由があるのかもしれませんね。もともと沖縄内部の構造問題を沖縄メディアはあまり取り上げませんが、この子どもの貧困に対しては、積極的なキャンペーンが続いています。
沖縄タイムスや琉球新報が、子どもたちの悲惨なストーリーを紹介する。もちろん取材している内容は事実でしょうし、それはとても深刻な問題です。しかし、沖縄の子どもの3割がこんな状態だというわけではありません。
──沖縄の給与所得が低い理由はどう考えるべきですか。
年収が低いのは、社会構造の問題でもあります。沖縄で最も優先されるのが人間関係です。他人と溝を作ってしまう可能性のあることは、ほんのちょっとのことでも避けがちで、誰からのお誘いにもよほどのことがない限りノーと言いません。その時は「イエス」という返事だったのに、後ですっぽかされる沖縄の「てーげー」文化(筆者注:突き詰めないで、おおざっぱでいいことを是認する文化)が揶揄されますが、その背景には、面と向かってノーと言えないという事情があるように見えます。
人間関係を持続するためには、ときに現状維持が有効ですが、それが強力な社会原則になっており、変化をもたらす人間や、新しいものを生み出す機会を嫌うところがあります。
たとえば、従業員に正社員にならないか、係長にならないか、という打診をしても辞退されてしまう。それはたとえ年収が上がっても、責任が増えて立場が変わり、仲間との関係が崩れてしまうことの方を恐れるからです。沖縄はリーダーシップを発揮することが難しい社会です。部下に少し厳しくすると誰もついてこなくなる。結局リーダーが多くの仕事を一人でかぶることになりがちです。
ただ、従業員は責任の伴う給料のアップを望まないので、人件費が低く抑えられ、会社自体は利益を確保しやすい面がある。結果として、経営者も保守的、従業員も保守的で、給料も事業規模も、このぐらいでいいんだという空気が醸成されてしまうのです。
同じものを買い続ける保守性
──そうなると経済を活性化するイノベーションも生まれにくいですね。
消費者も保守的で、本土では忘れられた「まるこめ酢」や「元祖ボンカレー」などの商品が不思議に売れ続けています。沖縄の人は同じものを、同じ人から買い続ける傾向があります。商品の良し悪しや値段ではなく、人と違うものが買いにくいし、人間関係を変えたくないのです。
そういう人間関係への恐れが消費者を保守的にしている。イノベーションもいらない。新規事業も必要ない。消費者が他者に浮気しないから定番が常に売れる。ですから、県外からの新規参入がすごく難しくなっている。どれだけ良い商品でも消費者が反応しないわけで、沖縄では消費の原則が違っているのです。
「新しいことはしない」に経済合理性?
──オリオンビールや地元産泡盛も圧倒的な強さですからね。
飲み屋でオリオンや泡盛以外を注文すると、場の空気が悪くなりますから(笑)。失礼な言い分ですが、経営者は楽でしょう。同じものを作れば同じ消費者がいつも買ってくれる。外部からの参入も少なく、独占的な利益を確保でき、給料も安い。企業は多額の内部留保を持つことになる。でも新しい事業や企業の買収などはしない(できない)。新しいことをしないことに、経済合理性があるのです。
経済合理性を追求することが経営者の仕事であれば、彼らは、沖縄の社会構造を前提として「正しい」選択をしている。しかしながら、社会全体ではこの構造が、低所得を生み、イノベーションを妨げ、沖縄社会の生産性を低下させている。私は、人間関係を含む社会の保守性こそが、沖縄における貧困問題の基本構造だと思っています。
──つまり沖縄県で給料が安いのは、従業員も昇給を求めない、経営者も高い給料を払わないの「共犯関係」というわけですね。
会社に余裕があっても、給料を上げたら業界と足並みがそろわなくなる。だから、自粛する。日本という国全体がそういうところはありますが、沖縄は特にそれが強い。頑張る人の行く手を阻む。成功が社会悪のようになる。新規事業を提案する人は会社にとってありがた迷惑なのです。
経済の「魂」を奪う基地
──基地経済という言葉もありますが、貧困と基地の関わりはいかがですか。
基地は間接的に貧困に関わっている。基地が存在するから大量の補助金や税制優遇が存在します。基地経済5%といいますが、その分子は軍雇用員給与、軍用地代などの狭い範囲を切りとってそれが基地経済と定義している。一括交付金の3000億。空港着陸料などの減免。酒税もビールが20%、泡盛が35%減免されている。これではお酒の質が伴わなくても売れます。復帰後の44年間を合計すれば、膨大な金額です。
こうした優遇措置の数々は、分子にまったく入っていない。それをぜんぶ足せば5%では到底収まりません。私の直感ではどんなに少なく見積もっても25%以上じゃないかと思っている。補助金をもらうと、商品の価格を下げられるので、人材の研修やサービスや商品をグレードアップして顧客を引き付けようとは思わなくなります。
努力が要らないので、生産性も低下する。しかし、それでも利益は出る。会社のあり方が補助金や税制優遇を前提に組み立てられるようになる。基地は経済の魂を奪い、長い目でみれば貧困の原因になっています。
──復帰前の方が経済に活気はあったという人もいますね。
復帰前までの時期は冒険的な事業家がたくさん生まれました。私が見る限り、沖縄の本土復帰のときに第一線にいた、現在70歳ぐらいの人々を境に沖縄人の気質が違っているようにも思えます。70歳以上の彼らは自由市場のなかで社会に飛び出した世代。独特な人材をたくさん輩出した。
その意味で、沖縄の貧困と基地経済はつながっていると私は考えています。もし基地や補助金がなくなり、人が自律的に活動するようになったら、沖縄社会の活気は戻ると思いますが、ものすごい痛みを伴うから、安易には勧められない。だが、楽な道ではなくても、そのほうがいいかもしれません。
こんなことを口にすると、相当批判されると思うのですが、政治的な議論は別にして、社会の質と創造性を奪うという意味において、ひいては貧困という意味においては、基地の存在そのものよりも、補助金の方が害が大きいのではないかと思うことがあります。
基地経済は、麻酔のようなものです。人間は苦しい状態に置かれると、現状維持を望みます。現状維持には麻酔効果がある。麻酔を打つ人間は選択的に感覚をマヒさせることはできない。苦しみと同時に幸せもマヒさせてしまうのです。
痛みが和らぐが、情熱と生きがいと幸福感も奪われる。さらに、その苦しみを逃れるために補助金が必要になるという悪循環になるのです。
(写真:野嶋剛)