乙武洋匡「感動ポルノ」との決別
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注目のコメント
下品なことを書きます。すいません。
かつてナンシー関さんはTSUTAYAなどで見られる「泣ける!」のコーナーをある種”下品な欲望”と捉えました。
別に泣きたいのはいいが、それは崇高なものでもなんでもない。むしろ”抜ける”に近い”欲望そのもの”だと。
それがむしろ彼女にとっては恥ずかしいとだと。この感覚、自分結構共感します。
乙武さんのような方はこのような”泣きたい派”にとってはグラビアアイドルのような存在。なかなか「胸だけでなく中身もみて」と訴えても黙殺されることも多かったのでしょう。
今はある種の幻想から解放されて、”双方にとって良かった”と思います。20年近く前、二女が泣きながら学校から帰って来ました。
私の顔をみるなり
「ハハ(私)!これ、絶対におかしい、こんなのダメだ!」と教科書を叩きつけるように置きました。
道徳の教科書で、そこには身体障がい者の妹が、最初は出席を断られた姉の結婚式に、浴衣を縫って贈ったことで出られる…という物語が載っていました。
二女は、
「最初の「出られない」という事が間違っている、出られるようになったのは浴衣を完成させた努力が伝わってだというなら、努力が難しい、伝える事が出来ない(自分の姉のような)障がい者は、結婚式に出られないの?」
と。
また、この物語の中には
『結婚式に出ることで、例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかというようなことをお母さんが考えられたのかなと、私は思ったりしていました。』
と、いう部分がありました。
それに対して
「これって、この人がそう思っているってことでしょ?
こんなのダメだ、イヤだ。
お母さんがそう思っていたらもっとイヤだ!」
そう道徳の授業で言った二女にクラスから批判が集まったそうです。
この物語に出て来る主人公の努力は素晴らしいと思います。
けれど、それと兄弟姉妹の結婚式を結びつけた事が間違っている、という二女を私は全面的に認めたいと思いました。僕は、乙武さんを一貫して支持しています。時効だと思うからもう書いちゃいます。実は、乙武さんの昨年のあの40歳の誕生日パーティの冒頭の挨拶を、なぜだか僕がなりゆきですることになりました。
「人生で最も緊張するスピーチになりました」で始まったそのスピーチで、僕は、以下2点を訴えました。
1)夫婦間のいざこざを他人がとやかく言うものではない。色んな夫婦のあり方があっても良いと思う。画一的な価値観で、他人のプライベートなことを批判するのは、間違っていると思う。乙武さんは、奥様に謝る必要はあるが、社会に対して謝る必要は無い。そもそも、メディアや他人が乙武さんをプライベートなことで一方的に公の場で批判することに抵抗を感じる。
2)たとえ、100歩譲って社会に対して悪かったことをしたと仮定しよう。それでも、今まで乙武さんがしてきたそれ以上の功績を考えたら、小さいものであろう。何で一つの事象で、全ての良い点が否定されるかの報道や批判を受ける必要があるのだろうか。乙武さんがしてきた努力や社会への貢献を考えたら、この一件でそれらの功績が否定されるものではないことは明白だと思う。バランスがある視点が必要です。
と言う事で、僕は今後とも乙武さんに期待し、応援し続けます。(^^)/