Medium崩壊の内幕:ジャーナリズムを変えようとした理想主義者はいかにして現実に敗れたか
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注目のコメント
先週英語版原典につけたコメント再掲します。→ツイッター創業者の一人、エヴァン・ウィリアムズのつくったベンチャーMediumが崩壊しつつあるとの記事。
これによると、以前ツイッターの栄枯盛衰を書いた本にあった、ツイッターの迷走話とまるで同じ・・と思います。Evは理想主義者ではあるけれど、経営者としては問題多すぎ。ツイッターからも結局追い出されてしまっています。思いのほか長文で読みごたえがあった。エヴァン・ウィリアムズはずっと一貫しているという印象を僕は持っている。Blogger、オデオ、Twitter、そしてMedium。理想と現実(ビジネス)を結びつけられずにいる。でも何度もそこに挑んでいる。だから「次こそはやってくれるんじゃないか」そう思わせる。反対に彼はビジネス不向きとみる人の見方もわかりつつ。
私がTwitterに入社した当時、丁度Twitterで政変が起こり、Ev WilliamsとBiz StoneがTwitterを去った。Evのビジョナリスト性に傾倒していた自分は、入社した途端に梯子を外された気分になったのを覚えている。
彼の魅力は一貫して「インターネットによる、より良き世界」を追い求め、Blogger、Twitter、そしてMediumと立ち上げてきた。そしてそれぞれが順を追うごとにプロダクトとしての洗練性を磨きあげられていっている。
しかし、彼の理想そのものが、彼自身の「偏見」に基づくものであることが、結局、彼が生み出してきたプロダクトの事業化とマス向けサービスとしての普遍性を阻んでいる。
マネタイゼーションが入口にありがちな日本のインターネット業界にはあまり例を見ない「苦悩」がここには見てとれる。Twitterが広告で事業化を始めた時も、極めて広告としては売りにくいものだった。今だから言えるが、日本での広告事業責任者として、こんなクソみたいな広告商品、どうやって売るんだ、と何度思ったかしれない。
しかし、広告商品としての売りにくさは、そのまま一般ユーザーの使いやすさ、それ以上にEvたち創業者の「こうあるべき」というプロダクトへの想いの表れで、それが魅力でもあったわけだ。
しかし、現実にはTwitterにしてもMediumにしても、圧倒的なユーザー数をグローバルで獲得するまでに至っていない。実際にユーザーが使いたいのはどういうプロダクトか、インターネットサービスであればテストをしながらチューニングをしていくということが可能にも関わらず、テストをする前にブレーキを踏む、というところがTwitterにもMediumにもあるような気がする。
つまり、Ev(そしてJack Dorseyにもその傾向があるが)、自らの信念に忠実過ぎることが、結局、プロダクトとしても事業としても中途半端なものにしてしまっているような気がしてならない。