【大室正志】「日本3.0」時代の経営者と大人

2017/2/5
日本に新しい時代が到来しようとしている。明治維新から敗戦までの「日本1.0」、敗戦から今日までの「日本2.0」に続き、2020年前後から「日本3.0」がスタートするのではないか。そんな予測を拙著『日本3.0ー2020年の人生戦略』で記した。では、「日本3.0」はどんな時代になるのだろうか。各界のトップランナーとともに、「日本3.0」のかたちを考えていく。第2回は、産業医の大室正志氏とともに「日本3.0時代の個人と家族」について考えていく(全5回)。
第1回:「日本3.0」時代の個人と社会
第2回:「日本的カースト」に対抗する方法
第3回:大企業の「鎖国」が解けてきた
第4回日本3.0時代、家族と恋愛が分離する

コモディティ化するAI型経営者

佐々木 今、日経新聞の著名記者である永野健二さんが書いた『バブル』という本が売れていますが、冒頭に、日本には3つの資本主義があると書かれています。
簡単に説明しますと、1つは、渋沢栄一的な論語と算盤(そろばん)を融合させた、日本独自の資本主義。2つ目は、福沢諭吉的なグローバル資本主義的なもので、3つ目は岩崎弥太郎的な、独占を志向する「財閥資本主義」。
それで言うと、日本のスタートアップは、論語といった感じでも、グローバルでも、財閥的でもなく、どれにも当てはまらないような気がします。まだ新しいモデルをつくれているようには見えません。依然、日本の中では勢力として小さい。
大室 スタートアップにも、いろいろなスタートアップがありますが、経営者の中でとくに印象に残った人はいますか?
佐々木 難しい質問ですが、今までインタビューした人の中で、一番ビジョナリーだと感じた日本のスタートアップ経営者は、クックパッドの佐野陽光さんです。インタビューしたのはもう随分前の話ですが。
大室 佐野さんは、帰ってきたジョブズみたいな雰囲気がありますよね。
大室正志(おおむろ・まさし)/産業医
2005年産業医科大学医学部医学科卒業。専門は産業医学実務。ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医を経て現在は同友会春日クリニック 産業保健部門 産業医。メンタルヘルス対策、インフルエンザ対策、放射線管理など企業における健康リスク低減に従事。
佐々木 昨年はお家騒動で株を下げましたし、近くで働いている人にとっては、ビジョナリー過ぎて困ることもあるみたいですが、「毎日の料理を楽しみにすることで、心からの笑顔を増やす」という理念を本気で信じているのが、インタビューをしたときにびんびん伝わってきました。
大室 イーロン・マスクもそうですが、「思い込み」がグワーッと強い人たちに周りがついてくればスタートアップになりうるし、あまり強烈についてき過ぎちゃったら宗教になるかもしれないですよね。その境目は難しいですよね。
佐々木 クックパッドのお家騒動について言えば、株価が大きく落ちたこともあり、佐野さんがかなり批判されましたが、長期的にはもしかしたら佐野さんの方が正しい可能性もありますね。今後の結果次第ですが。
大室 最近のスタートアップ系の、特にネット系でここ10年20年生き残った人たちは、あまり「共感力」がない人たちのような気がします。ある意味で反復作業というか、AIのようにやってきた人が結構生き残ってきた印象があるんです。
佐々木 オペレーションが強い企業が残っている印象ですね。たとえば、三木谷さんも共感力があるタイプには見えませんね。
大室 三木谷さんにしても柳井さんにしてもそうです。ただ、孫さんだけがちょっと違う。
佐々木 しかし、今後、どういう経営者が求められるかはまた変わってくるかもしれませんね。
僕は、その時々の市場によって、求められる経営者のタイプが変わると思っています。
かつて日本に外資系企業が来たときには、例えばマクドナルドやIBMでは、「NO」と言える日本人の方が強かったんです。本国から見たら食えないヤツだけど、任せていると数字を上げてくるから任せておかざるを得ないというか。
日本マクドナルド創業者の藤田田さんがその典型ですよね。それが今では、外資系でもどんどん本国に対しYES型の「つるっとした顔」の社長が偉くなるようになってきている。つまり、市場によって求められるものが違うのです。
だからもしかしたら、ここ10年は、「AI型の経営者」がどんどんフューチャーされた時代だったのではないでしょうか。
佐々木 ということは、AIが発達してくるとその「AI型の経営者」の価値は下がるのですかね。
大室 そうです。AIが発達してくると、AI型の経営者がコモディティ化して価値が下がるんですよ。

WELQ問題の本質

佐々木 単に市場が求めるものをひたすらつくるだけでは、これからの時代に合わないのではないか、という点では、DeNAの「WELQ問題」がいい教訓になりますね。
大室 今回のDeNAの件を受けて、あと5年後くらいに『不格好経営2』が出るんじゃないですか(笑)。
「今回の件を南場さんがどう思っているか」、みたいなコメントをよく目にしましたが、南場さん肝いりの事業って、遺伝子事業なんかもそうですがだいたいうまくいっていないんですよね(笑)。
僕の持論では、10年後にDeNAの役員会議はAIがやっていると思う(笑)。DeNAはそれくらい「ロジカル」にやっている会社だと思います。
10年くらい前までは「ロジカルシンキング」の本がめちゃくちゃ売れていましたが、最近は落ち着いてきていて、むしろ上司とうまくコミュニケーションをとるための本とかが売れるようになっています。ロジカルが前提の上で、どううまくやるかですね。
佐々木 トランプが典型の、「ポスト・トゥルース」という考え方ですね。
大室 そうです。そして企業全体にしても、コンプライアンスを気にするのはもはや当たり前で、その上で、どれだけその企業が倫理的であるかが問われるようになるのではないでしょうか。今回の事件は、その象徴的な出来事だったと思います。
佐々木 なるほど、おもしろいですね。

法務部の承認と倫理は別物

大室 南場さんにはやはり、事業に対する思いがあるのだと思います。ただ、その思い入れのある事業がことごとく失敗する点が、とても不思議な会社です(笑)。
とはいえ倫理というのは難しいものです。
僕は昔、ジョンソン・エンド・ジョンソンにいましたが、この会社は時価総額30数兆円にもなります。めちゃくちゃ数字やビジネスプランにうるさい会社なんですが、その一方でものすごい「我が信条(Our Credo)」にこだわるんです。
「我が信条」とは、第1を患者様のために、第2を社員のために、第3を地域社会のために、第4を株主のためにとうたっている理念のことです。
つまり、株主の価値を一番下に置いている会社なのに、時価総額が30数兆円なのですよ。数字を大事にしつつも、信条にのっとっていない行為を許さない、倫理的な企業であるわけです。
かつて「タイレノール事件」が起きたときも、毒が一滴でも混入されたらすぐに全品回収にしていますから。
ジョンソン・エンド・ジョンソンを見ていておもしろいのは、法務部のハンコだけでなく、それに加えて「ヘルスケアコミッティ」「メディカルアフェアーズ」という別の内部基準の承認も必要だという点です。
法務部でハンコをもらうだけでなく、そこからさらに2回、「J&J内での基準にのっとっているか」「これは医学的に妥当か」を確認するのです。
この点、DeNAの場合は法務の承認だけだったと思うのです。
医薬品などでは別だったでしょうが、今回は「ライトな医療情報」でしたので。しかし、法務でOKだとしてもそれがそのまま倫理的だということではないはずです。ここにもう一つのプロセスが必要な気がするんですよね。
日本ではそこがアメリカから遅れていて、いまだに「なんとなくの倫理性」で通している気がします。日本はあうんの呼吸で案外うまくやれてしまうがゆえに、倫理はあえて言語化しない傾向がある。多分そういうことがあったのだと思います。
DeNAには高学歴の人が多いですし、与えられた設定条件の中で、例えば「PV(ページビュー)を増やせ」、「SEO対策をしろ」と言われたらその瞬間に最短距離を進める人たちが集まっていたと思います。
しかし、時にはそもそものゲーム自体の「ルール」を疑ってみることが、今回は抜けていたのでしょうか。
佐々木 つまり、大室さんがコラム「偏差値エリートのディー・エヌ・エー」で書いていたように、日本の典型的な偏差値エリートだということですね。
【大室正志】偏差値エリートのディー・エヌ・エー
大室 そうですよ(笑)。
佐々木 渋沢栄一的にいえば、論語がなくて算盤だけになっていたということですか?
大室 そういうことです。
ただ受験勉強の際に、センター試験の勉強なんて何の価値があるんだ?と疑ってばかりいるとなかなか希望した大学には合格せず、医学の解剖など「そこでしかできないこと」の参加資格を与えられませんので、目的遂行のためには「疑ってばかり」でもまずい。この辺りの塩梅が難しい。
ってここまで私、「塩梅」とか「チューニング」の話ばかりしていますが(笑)。

日本は「本音主義」だ

大室 ところで話が飛びますが、今、日本の世の中がどんどん「本音主義」になっている印象があります。
よく、日本人には本音と建前があると言いますが、本当はむしろ「本音主義」だと思うんです。会議中ではなかなか本音を言わない取引先でも会食で乾杯し、しばらくするとすぐ「ぶっちゃけ話」をしたりしますから。
ところが、海外の経営層が日本に来ても、大抵社内外で「うちの会社は素晴らしい」とかきれいごとしか言いません(笑)。この人たちはどこで本音を出すのかと思うくらい、言わないのです。
佐々木 日本人は「プライベート」の領域が広いのですかね。
大室 ただし一方でここには重層性があって、日本人、特に男性は本当の深いところをなかなか話せないのですよ。多分日本人(特に男性)はあまり重い話ができないんだと思います。
小さい頃から、「男のくせに泣くな」とは言われても「うまい弱音の吐き方」は習ってきていないので。新橋の居酒屋で上司の愚痴は聞けても、息子の不登校の話とか、奥さんのガンの話とかを同僚に話す人はまれです。
外国では昔から「懺悔(ざんげ)」のカルチャーがあったり、そこまでいかなくてもカウンセラーを紹介してくれたりします。
カウンセリングも、他人に重い話を打ち明けるという意味では、懺悔に近いものなのだと思います。日本では「中くらいの愚痴を言う場所」は充実しているけど、「重い話をする場所」は充実していない。実際カウンセリング制度を設けている会社でも利用率は欧米に比べすごく低い。
佐々木 西洋人には、自分のすべてをさらけ出せるような「親友」はいるのでしょうか?
大室 もちろんいるでしょうね、学生時代からの友達とか。
ただ、それが非常に少ないのだと思います。またいたとしても本当の弱みを話すことの選択肢にカウンセラーなど「アウトソーシング」の存在感が強い。
だから向こうの映画でも描かれるように、部下が悩みを言ってきたら、カウンセラーを紹介したりするわけです。

大人とは

佐々木 日本では、カウンセラーと同じことを、かつてはお坊さんがやっていたのでしょうかね。
大室 難しいところですが、日本の仏教は「瀬戸内寂聴の説法」みたいに講義型が多いのですよね。
だから、カウンセリングというよりも座学スタイルが多いですね。今後は変わっていくかもしれませんが。
そうした深いところでの「本音」がなかなか言えないからこそ、日本人は自殺率も高くなるのかもしれません。特に、男性の自殺率が女性より圧倒的に高いんですよね。
佐々木 それでは、本対談の最後に、大室さんから「日本3.0」時代の個人について一言お願いします。
大室 「大人になる」ということは、「グレーゾーン」を増やしていくことです。「部分否定と部分肯定の集合体」とも言えます。
だから、「愛しているか愛してないか」「白か黒」といった考えは子どもっぽいわけです(時として“あえて”白黒つける作業は必要ですが)。
そして、社会についても同様で、社会が成熟して大人になっていくのだとすれば、今後は例えば会社の「正規社員か非正規社員」といった二分法の区別ではない「グレーゾーン」が増えていく世の中になると思います。
また中小企業より大企業、ベンチャーより伝統企業という価値観が「階級闘争」により逆転するというモデルより、そのような単一線上の序列のようなものが相対的には減っていく気がします。
例えばヴィトンのバックを買いまくるのがぜいたくだと思う人がいれば、現地の工房に赴いて手作りの革バッグを作るのがぜいたくだと思う人が増えてきたり。
一方富裕層であってもバッグに機能性以上の意味を持たない人が増えたり。またこのような価値観を時期によって1人が行き来したり。
様々な指標が個々人や状況に応じて入れ替わり、様々な社会的価値観の攪乱が起こりやすい時代になっていくのだと思います。
(構成:青葉亮、撮影:竹井俊晴)