才能がないなら努力しても無駄。「合理主義的根性論」
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慎さんのストイックさに気圧されてきたという人にも、彼の「合理主義的根性論」を自分に優しく活用する方法があります。
「才能と正しい努力が伴って初めて成功できる」という考え方の切り口を変えてみると、物事が上手くいかず肩を落とした時にも「これは自分がダメなのではなく、努力のやり方(アプローチ)が悪いのだ。次は別のやり方でやってみよう」と再び挑戦する原動力にできるのです。
ここで大事なのは、自分の才能に見切りをつけるのでもなく、周囲の環境のせいにもしないこと。才能や環境は自分の力ではどうにもならないからです。
一見すると「才能は無慈悲なもの」という慎さんの考えと相反するようですが、彼は「圧倒的な努力をしないと才能の有無は分からない」とも言ってますので、成果が出ていない時に「努力のベクトルが正しくない」と考えてチャレンジし続ける姿勢とは必ずしも矛盾しません。
「自分はこれだけ頑張ったのに成果が出なかった」と落胆した時にも、努力の「やり方」に落ち度があっただけと考えれば、自分自身に失望しなくてすみます。
次の第一歩としては、自分の努力のどこが間違っていたのか単刀直入に聞いてみることです。聞く相手は自分の努力を認めてくれなかった人です。それは冷酷なクライアントかもしれないし、厳しい上司かもしれませんが、そういう人にこそ「自分はどこがいけなかったのか」と聞いてみるべきです。
間違っても彼らを恨んではいけません。それは自分の手に負えない「周囲の環境」のせいにする行為だから。意外とそういう人ほど自分のことをよく見ていて、適切なアドバイスをもらえることがあります。努力の程度は及びもしませんが、私も大学サッカーで挫折を経験しました。
その時の経験と比べると、「それに比べたら、全人的な能力が問われ、努力しただけ成果がでるビジネスのなんと楽なことでしょうか。」というコメントは、同じことを感じています。
人間誰しも、人生における適材適所の場があると思います。生い立ちや学歴などに関わらず、活躍出来る場が必ずあるので、上を向いて歩いて行きましょう!