絶対王者から7年ぶりの挑戦者。内山高志、37歳の円熟(前編)

2016/12/27
2016年4月27日、3800人超の観客で埋まった大田区総合体育館は、騒然としていた。
その日の夜に開催されたボクシングのWBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ。プロ25戦無敗、11回のタイトル防衛に成功し、「絶対王者」と呼ばれてきた内山高志が、無名のパナマ人ボクサー、ジェスレル・コラレスのスピードに翻弄されていた。
36歳のベテランの顔面に、24歳の若き挑戦者の拳がめり込む。こらえきれず、1度、2度とマットにひざをつく。それでもすぐに立ち上がる気力を見せたが、第2ラウンド終了間際の2分59秒、鋭い左フックをあごに受けて、3度目のダウン。
2010年1月、30歳で王者についた内山が、6年3カ月守ってきたチャンピオンベルトを失った瞬間だった。
絶対王者の勝利を期待していた大半の観客は言葉を失い、涙を浮かべるファンもいた。
36歳という年齢と試合内容を鑑みれば、そのままグローブを壁に吊るしてもおかしくはない。しかし、内山は敗戦から間もなくして、現役続行を決意。復帰第1戦として、今年の大みそかに世界タイトルマッチが用意された。
内山高志(うちやま・たかし)
 1979年埼玉県生まれ。アマチュア全日本選手権3連覇を飾り、プロに転向。2010年、30歳でWBA世界スーパーフェザー級王者に。以降11戦連続防衛した。しかし2016年4月、ジェスレル・コラレスにKO負けを喫して王座から転落。戦績は26試合で24勝(20KO)1敗1分
しかも相手は、内山から王座を奪ったジェスレル・コラレス。内山の劣勢を予想させる要素には事欠かないが、リベンジマッチを1カ月後に控えた内山は、意外なほど穏やかな笑顔を浮かべていた。
「大みそかが楽しみなんです。今までの試合は、どうせ楽勝だろうという雰囲気だったけど、今回は違う。僕も、防衛しなきゃいけないという張り詰めた重圧がなくなって、世界初挑戦のような気分なんですよ」
この言葉を聞いて、つい数分前に聞いた内山の大学時代の話を思い起こした。
それは、内山の原点となる出来事だった。

小中時代、体育の成績は「3」

26戦24勝1敗1分、KO勝利は20回。KO率歴代日本一を誇り、「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つ男から、どんな人物像をイメージするだろうか。
めっぽうケンカが強い元不良?
圧倒的な身体能力を持つアスリート?
どちらも当てはまらない。内山は小学校、中学校時代、体育の成績では5段階で「5」をとったことがなく、「3」のときすらあった。
中学2年生のころ、たまたまテレビで辰吉丈一郎(元WBC世界バンタム級王者)の試合を見てボクシングに惹かれ、同じくボクシングファンの友人に誘われて、強豪校の花咲徳栄高校に進学した。
その友人には「俺は将来世界チャンピオンになるから、そのときにスパーリングパートナーとして雇ってやるよ」と言われた。それくらい、地味な存在だった。
ボクシング部に入部してすぐのころ、先輩に「サンドバッグを打ってみろ」と指示され、思いっきりパンチをしたら、その先輩の感想は「まあ、普通だな」。スパーリングをしても同級生にすらかなわなかった。
まさにどこにでもいるような平凡な少年だった内山だが、変化は内面から訪れた。
「小中学校では水泳、陸上、野球、サッカーをやってきたけど、長続きしなかった。でも、ボクシングは純粋に楽しかったんですよ。それに、1対1の格闘技で相手は体重も一緒だから、男として負けるのが悔しくて、真剣に練習するようになりました」
この「悔しい」という感情は、練習に没頭し、少しずつ試合で勝てるようになるにつれ、「絶対に、誰にも負けたくない」という強い想いに変わっていった。

休みの日こそ追い抜くチャンス

誰にも負けないために、何をすべきか。
内山が出した答えは、練習量だった。
高校時代、インターハイでベスト8、国体では準優勝を飾った内山だが、進学したボクシングの名門校、拓殖大学では誰からも注目されなかった。練習では4年生の「的にされていた」。試合の日は荷物番。スパーリングもさせてもらえない状況を覆すために、内山は腹をくくった。
「練習量では誰にも負けないと決めました。実力、技術では先輩や同級生にはかなわないから、練習量で圧倒するしかなかったんです。誰かが遅くまで練習していたら、僕はさらに遅くまでやる。練習が休みの日曜日でも、夏休みでも、ほかの部員が練習を休んでいるときは、いつも『いいぞ、どんどん休め、その間に俺は練習するぞ』と思っていましたね。みんなが休んでいるときこそ追い抜くチャンスなので、遊びに行った記憶はほとんどありません」
つねに100%の力で練習に臨むことを意識するようになった内山は、サンドバッグを打つときですら、一発のパンチも手を抜かず、渾身の力を込めて打ち抜いた。大学が長期の休みのときは、高校や町のジムに顔を出して、また全力でサンドバッグと向き合った。
遊び盛りの学生時代。「練習が嫌になることはなかったんですか」と尋ねると、内山は首を横に振った。
「ドラゴンボールみたいなもんで、修行したら強くなるだろうと。それだけでしたね」

人生を変えた大番狂わせ

愚直な修行は、気づかぬ前に内山の戦闘力を跳ね上げた。
大学1年の11月に行われた全日本選手権の3回戦。同じ大学のエースで「センスは世界チャンピオン」とまで言われていた3年生と対戦することになった内山は、「99%の人が、僕が負けると思っていた」という試合で、まさかの勝利を収めたのだ。
この大番狂わせが、内山の人生を変えた。
「僕自身、先輩に勝てるとは思っていなくて、良い試合をしたら監督に認めてもらえるかな、ぐらいに思っていたんですよ。でもいざ試合が始まったら、先輩が先にバテて、僕が勝った。それまでスポーツをいろいろやってきましたけど、そのとき初めて、あれだけ努力をしたら、大事なときに報われるんだと手応えを感じましたね」
「この試合をしてから、ボクシングが余計に楽しくなりました。自分でさえ勝てないと思っていた先輩に勝てちゃうなんて面白いじゃないですか。ボクシングは下馬評だけじゃわからないんですよ」
「修行したら強くなる」と確信した内山は、それまで以上に練習に打ち込んだ。大学4年間、練習量では一番だったと自負するほど、ボクシングだけに時間を費やした。その成果が、大学4年時の全日本選手権優勝につながっていく。
日陰の荷物番から、アマチュア日本一へ。
4年間で駆けのぼった階段の最初の一歩が、3年生の先輩との一戦だったのだ。内山が、いまでも転機に挙げる試合である。

楽しみな大みそかのリベンジ戦

2010年1月に世界王者になってからずっと追われる立場だった内山にとって、大みそかのリベンジマッチは丸7年ぶりに挑戦者の立場となる。
前回、コテンパンにやられたコラレスが相手で、なおかつ37歳という年齢もあり、大勢がコラレス優位と予想している状況は、大学1年時の全日本選手権3回戦と重なるものがあるのだろう。
「大みそかが楽しみ」と語る内山に強がりの気配はみじんもなく、むしろ周囲の反応を楽しんでいるように見えた。
「1ラウンドで3回も倒されたのは初めてだったから、周りの人の7割、もしかしたら8割ぐらいは、またやられるんじゃないかと思っているでしょう。みんなドキドキしているみたいだから、ビックリさせたいですね」
そう語る内山は、コラレス戦でも下馬評を覆すために「修行」を重ねている。
しかし、その内容は練習量に重きを置いた学生時代とは大きく異なる。
ひたすらがむしゃらだった若者は、アマチュア時代の大きな挫折と父親との別れを経て、「ノックアウト・ダイナマイト」への道を歩み始めたのだ。
(撮影:TOBI)
*明日掲載の中編に続きます。