徹底した自己管理と全試合KOを狙う、内山高志の逆算力(中編)

2016/12/28
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内山高志は一度、ボクシングをやめたことがある。
アマチュアの社会人ボクサーとして、2004年のアテネ五輪を目指していたときのことだ。
大学4年時に全日本選手権で優勝した内山は勢いに乗り、社会人になってからも2年連続で全日本選手権を制して3連覇を飾った。タイで行われたアマチュアの世界大会で銅メダルをとり、世界ボクシング選手権大会ではベスト16に入るなど、国内外で結果を出した。
社会人2年目の2003年には「アマチュア部門年間優秀選手賞」を受賞。内山はアマチュアの期待の星として、翌年に控えたアテネ五輪でも活躍を期待された。
しかし、五輪の予選会で大きくつまずく。予選会は3回に分けて行われ、各回の決勝に進んだ2人が出場権を得るのだが、内山はいずれも準決勝にすら勝ち残れなかった。
大学卒業後、五輪を目標にボクシングを続けてきた内山は落胆し、引退を決意した。
内山高志(うちやま・たかし)
 1979年埼玉県生まれ。アマチュア全日本選手権3連覇を飾り、プロに転向。2010年、30歳でWBA世界スーパーフェザー級王者に。以降11戦連続防衛した。しかし2016年4月、ジェスレル・コラレスにKO負けを喫して王座から転落。戦績は26試合で24勝(20KO)1敗1分
大学生以来、生活のほぼすべてをボクシングに捧げてきた男がリングを離れて感じたのは圧倒的な解放感だった。
「それまでは、朝5時起床で練習。会社は8時半出社だったけど、自分は新人だから8時には会社に行って、オフィスを掃除していました。日中は社長のお付きをしたり、上司と営業に回ったりしてすごして、17時に退社すると、それからまた練習。帰宅するのは22時ころで、毎日倒れ込むように寝ていました」
「それがもう、朝5時に起きなくていい、仕事が終わってから練習に行かなくていい、変なプレッシャーもない、身体のことも考えなくてもいい。最高!と思っていました」
ボクシングから離れて見えたもの
自由を満喫していた内山は、プロになっていた先輩や友人、後輩の試合を見に行くようになった。純粋に、ボクシングファンとして声援を送っていた。
ところが、同じ釜の飯を食った仲間がリングで必死になって戦う姿を見ているうちに、「俺はこのままでいいのか」と自問自答するようになった。
「練習は厳しいし、たいしたカネにもならないのに、世界チャンピオンという目標を持って戦っている姿がものすごくカッコよく見えたんです。逆に僕は仕事でトップをとってやろうという気持ちもなく、仕事が終わったら毎晩飲みに行って、休みの日は友だちと遊んでいる。目標もなく、ただなんとなく生きている自分が恥ずかしいし、むなしかった」
リング上の仲間の姿がまぶしく見えた時点で、答えは決まっていたのかもしれない。
もともとはまったくプロ志向のなかった内山だが、ある日、ふと思い立って以前から「プロにならないか」と声をかけてくれていたワタナベジムのマネジャーに電話で告げた。
「プロでやりたいんです」
父の遺言を胸に最低限の目標実現
全日本選手権3連覇の実力は、本物だった。2005年7月のデビュー戦、2戦目ともに1ラウンドでKO勝利し、文句なしの船出を飾った。
しかし、内山の気持ちは晴れなかった。
25歳をすぎたらまっとうな企業で働いてほしいとプロ入りに厳しく反対していた父親と、和解できていなかったからだ。
本来は仲の良い父子だったが、内山が「プロでやりたい」と打ち明けた日から、まともに口もきかない冷戦状態になっていた。
父はその後、急激に体調を崩して病床にふせっていた。
3戦目の2週間ほど前、内山は入院していた父親の見舞いに出向いた。そのときすでに父親は昏睡状態で、誰が来ても目を覚ますことはなかったのだが、内山が病室に入って声をかけるとパッと目を開けた。
そして、「試合、頑張れよ」と一言告げるとまた目を閉じ、その日の夜に帰らぬ人となった。
その場にいた誰もが驚いたというわずか5秒ほどの出来事が、内山の心に火をつけた。
「大学を卒業して1つの会社で勤め上げたおやじのことを、カッコいいなと思っていました。だから、自分もサラリーマンをやりたいと思って就職したんです。でも、プロになってからずっと気まずいままで、結局、おやじには何も親孝行できませんでした。それで死ぬ前にあんなことを言われて頑張らなかったら、くそ野郎ですよ。一生の親不孝者でしょう。それから、絶対に世界チャンピオンになると誓ったんです。その想いしかなかった」
もともと世界チャンピオンを目指してプロに入った内山だが、現実味はなかった。
しかし父親との別れによって、世界チャンピオンという目標は実現しなくてはいけない最低限のノルマになった。
日本歴代トップのKO率
世界の頂点に立つために、何をすべきか。
練習量だけでは、限界があることはわかっていた。そこで内山は、ただ勝つのではなく、どう勝つのかを定め、そのための練習に注力した。
内山が目指したのは、全試合KOだ。
有効打でポイントを競うアマチュアと違い、プロでは内容はどうであれ、ノックアウトすれば勝ちだ。
大学時代、渾身の力でパンチを打ち続けることで「気づいたらパンチ力がついていて、練習や試合で相手が倒れるようになっていた」という内山は、国際試合や五輪予選でも何度となく自分のパンチで相手をぐらつかせてきたことで、世界でも通用すると自信を深めていた。
そのパンチで世界を制するために「倒すボクシング」を追求した。
KO狙いというと、筋肉をつけて、丸太のような腕で大振りして一発逆転を狙うイメージがすぐに思い浮かぶが、そうではない。76.9%という日本歴代トップのKO率を誇る内山のパンチは、緻密な動きの積み重ねによって生まれる。
日々の練習のなかで、ふとした瞬間に「あれ、こう動くとすごくやりやすいな」「こうやって打つと、うまく力が入るな」と感じたり、スパーリングをしていて、たまたま自分でも驚くような威力のパンチが出たりすることがあるという。
内山は、その偶然の産物を見逃さなかった。そのとき、自分の身体がどう動いたのか、何が良かったのかを分析し、その感覚が身体に染みつくまで繰り返し練習する。
「パンチ力は、筋肉よりも体の軸の強さが重要で、いかに軸をうまく使って回転するか、なんです。だから、良いパンチが出せたときの身体の使い方をちょっとずつ学んでいく。弱い選手は、良いパンチが当たったな、で終わり。分析しないから強くならないんです」
内山は、まるで刀匠が刃を研ぐように、少しずつ自分の拳を研ぎ澄ませてきたのだ。
デビュー5年半後、30歳で王者に
いくら切れ味鋭い刀を持っていても、使いこなすだけの身体能力が伴わないと、宝の持ち腐れになる。アマチュアのときは無頓着だった日々の生活も、プロ入りしてから一変した。
「何カ月間も食事をノートにつけて栄養士に見てもらったり、食事に関連する本をいっぱい買い込んだりして、何が良いのかを勉強しました。たとえば、筋肉をつけるにはどんな食材が良いのか、体脂肪を付けないためにはどんな食事が良いのか、そういうことをすごく意識するようになって、実際に身体が変わりましたね。あと、休むことも練習のひとつだと思うようになって、疲れがたまらないように積極的に休日をとるようになりました」
厳しい自己管理によって、パンチのキレが増した。全試合KOの野望は4戦目(判定勝利)で早くも途切れたが、その後も内山は次々と対戦相手をなぎ倒した。
そしてデビューから5年半後の2010年1月11日、23戦無敗、ダウン経験なしのメキシコ人世界王者を豪快にマットに沈め、30歳にして戴冠。
「お父さん、お母さん、ありがとう!!」
リング上でそう叫んだ内山を万雷の拍手が包み込んだ。
(撮影:TOBI)
*明日掲載の後編に続きます。