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注目のコメント
「書くブームの危険性」については、記事の内容に加えて個人的にも思うところがあります。物を書くとは、本来とても重く、暴力的ですらあること。ネットで気軽に書けるようになったのはとても良いことだと思っていますが、本来の暴力性をたまに思い出さないと危ないと思うことがあります。
哲学の佐々木中先生は著者「切り取れ、あの祈る手を」の中で、「本なんて読めるわけがない」という言葉で読むことと書くことの重さについて語りかけています。本を読むとは他人の頭の中を覗くということでありそんなことをしたら気が狂ってしまう、だから本当に本を読むなんてことはできないし、そういう本だけが本当の本だ、ということを仰っています。そして、聖書を読み続け・自分の文章を書くことを通じて狂気の中で革命を起こしていった偉人の話につながっていきます。
私にはそのような文章を読み書きする狂気など、想像にも及びません。ですが、誰かに見られる物を書くということの根底にはそのような歴史があることを、いつも意識する必要はないけれどたまに思い出した方が良いのだろうなと思います。
自分が多くの人に何かを発信できる何者かになっていると思い込んでいないか、自分に何かを批判する権利が当然としてあると思い込んでいるような傲慢な文章になっていないか。それを振り返った上であえて書かれている文章は、上品であると感じます。人間に自意識が宿るのは、他者との言葉を介した関係性を通してだと思う(⇒自分は他者を見ている、他者と話している、という風に、対象を客体化できた時に、同時に自己の主体化ができる)。
これが、自意識が生じるメカニズムだとすると、AIの言語能力が飛躍的に高まり、十分に柔軟でイマジネーションと創造性のあるコミュニケーションを人間とするようになったとき、何かが変化するだろう。少なくとも、人間側はAIを人間並みのパートナーとみなすのは間違いない(今でもペットなどの動物とのコミュニケーションで、このレベルになっているケースが多い)。
そのときになっても、AIはただの機械なのだろうか。それとも、AI自身も、他者(人間や他のAI)との言葉を介した関係性を通して自己認識(アイデンティティ)も持つようになるのだろうか。それともAIは個体(個別意識)を持たず、ネットワークでつながったシステム全体の意識となるのだろうか。この思考実験は、AIを通して、「生命とは何か」という根源的テーマの問い直しになる。AIは、よく分かっていない人間を科学するための鏡のような存在であり、人間らしくあることとはなにか、我々は何者かを問い続けるために不可欠なパートナーになるのだとおもっています
人にしかできないこと、人がすべきことは、AIだけではなくて柔らかいロボティクスのような周辺技術の発展普及が進まないと議論しているほどのインパクトにはならないかと
書くことは言葉を介して、人や機械と対話すること。監視と捉えるのも一側面としてありますが、力なき個人の言葉を見て聞いてくれる受け手のひとがこれほどまでに多く多様である時代は今までなかったはず。その可能性にこそ目を向けるべきだし、足りていないポジティブな感情のやりとりをどう補完するかを考えていく方が、明るい未来を創っていけるのではないでしょうか
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