【三田紀房×伊藤祐靖】プロに必要なのは、目的を純粋化することだ

2016/11/26
映画、マンガ、書籍などにおける一大テーマである戦争。戦争を描く難しさと意味はどこにあるのか。戦争を通じて現代人が学べることは何か。『 アルキメデスの大戦』の著者である漫画家の三田紀房氏と、『 国のために死ねるか』の著者であり、自衛隊特殊部隊創設者の伊藤祐靖氏が戦争について語る(全3回)。
前編:『ドラゴン桜』の漫画家が戦争を描く理由
中編:結果を心配するから、ルールを変えるのが怖くなる

プロは目的と欲望を“混ぜない”

──三田さんがご自身の仕事を「観光バスの運転」に例えられたのがとても興味深かったのですが、お二人は「プロ意識」をどう考えていますか?
三田 1カ月ほど前に福本伸行さんと対談したときに、こんなことを話されていました。よく、「100点満点を目指して頑張る」と言いますが、100点なんておこがましいだろうと。何を基準にして100点かどうかを言うかは自分で決めるものじゃないのだ、と。
しかも、そもそも、100点などというものが世の中にあると思うことすら、思い上がりなのではないか。だから、自分が納得したところでどんどん世の中に発表していかないと、100点を目指し続けること自体が目的になってしまうのだとおっしゃっていました。これを聞いて、さすが福本さんだなと思ったのです。
私の場合、つねに作品一本一本はベストを尽くしてやれるだけのことはやっています。それがプロに当たるかは分かりませんが、やはりわれわれは世の中につねに発表し続けることがミッションなわけです。
だから、それをきちっと果たすためには、コンスタントに毎週2本描き上げるということなのだと思います。
伊藤 そこは、われわれの世界とも似ている気がします。私が思うプロフェッショナリズムは、「混ぜない」ということです。色々なものを求めないという意味です。
だから、今のお話と似ています。絶対に譲れないのは、たとえ100点でなくとも読者に少しでも面白い思いをさせるものを、技術を守った上で世に出すことだと思います。
これを“ミニマム”だとすれば、これを死守することとこれ以外のことを混ぜてしまうと、たいがい失敗してしまうのではないでしょうか。
ただ人間には、パーフェクトにしたい欲があるのも事実です。「あと5分あればもうちょっと面白く書けるかもしれない」とか、いろんな欲が。
ですが、そこで「ミニマムを超えたのだからOKだ」と言って世に送り出すのは、大きな決断だと思います。
三田 では逆に、次々に出てきてしまう欲望のコントロールはどのようにすればよいのでしょうか?
伊藤 ミニマムをどう置くかだと思います。
三田 ラインをちゃんと決めるということですね。
三田紀房(みた・のりふさ) 
漫画家
1958年生まれ、岩手県北上市出身。明治大学政治経済学部卒業。代表作に『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』など。『ドラゴン桜』で2005年第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、「モーニング」にて〝投資〟をテーマにした学園漫画『インベスターZ』、「ヤングマガジン」にて戦艦「大和」建造計画をめぐる戦いを描いた『アルキメデスの大戦』を連載中。三田紀房公式サイト mitanorifusa.com/公式ツイッター @mita_norifusa
──目的をはっきりさせることでその他の欲望もコントロールできる、と。では、欲望自体があるのはしょうがないことなのでしょうか?
伊藤 優先順位をつけてきちっとラインを引けるかどうかだと思います。先ほどの例は自分の命がかかっているという一番難しい事例を出しましたから、それに比べれば、ラインを引くことは簡単だと思いますよ。

死ぬための大義をいかに持つか

──では、自分の命を大事にする人としない人とでは、どちらが強いと思いますか? いくつかの漫画では、命を捨てる覚悟ができたときに人が強くなる点が描かれます。
伊藤 もちろん自分の命は普段はものすごく大事です。これだけ毎日嫌な思いや痛い思いをしてつくっている心と体ですからね。
ただ、だからこそ、それを捨てると決めたときは強い。そこには恐怖感もないし、落ち着いた気持ちでいられるわけですよ。普段は大事にしていて、本番はスパッと捨てるというのが一番強いんじゃないかなと思いますね。まあ、口で言うのは簡単ですけどね(笑)。
──『国のために死ねるか』とのタイトルにある通り、最後は公共精神や自分を超えたものが大事になるとも考えられますが、この点についてはどう考えますか?
伊藤 現時点での結論では、仮に自分の群れに災難が起こったとして、「自分は逝く」と覚悟をできる人というのはDNAで決まっているのだと考えています。だから、そういう人は死んでしまえるのです。そもそも群れ全体が目指しているものを全然気にしていないのですから。
ですが、そういうDNAを持った人に対しても、「この群れのためなら逝く意義があるかな」と思えるものを持たせることが、最低限の“マナー”なのではないでしょうか。その点は、この国の姿勢としてどうなのかなとは思います。命をかけられるものが「ある」と、果たして言えるのかどうか。
やはり、群れに危機があったときに進んで逝く覚悟をもともと持っていない人を逝かせるのは、悲劇ですからね。先の大戦もそうです。やるべきではありません。
ただし、逝ってもいいと思っている人だって、その人が、自分が死ぬ「意義」を感じられるような状態に普段からしておくことが、群れを形成する意義にもなるし、最低限の“マナー”なのではないでしょうか。
──いまDNAとおっしゃいましたが、進んで死ぬことに向いているかどうかは、訓練によるものではないのですか?
伊藤 ええ。これは訓練ではなく、先天的なものです。特殊部隊のやつをご覧になればお分かりになると思いますけれど。
──決まっている、と。
伊藤 祐靖(いとう・すけやす)
特殊戦指導者
1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『とっさのときにすぐ護れる―女性のための護身術』(講談社)がある。FBページ「伊藤祐靖ブログ

戦争展示は何度も見て理解できる

伊藤 たとえば、特攻隊の写真を見ただけでそれに向いているかどうかが分かりますよ。鹿屋にある記念館には遺書と顔写真と出身母体が書いてあり、「この人は向いている、向いていない」と分かります。
遺書を見ると、これから死にに行くというのによくこんなにきれいな字で名文が書けるものだなと思います。
もちろん、向いている人がいるからといって、逝かせて良いのではありませんよ。ただ、あらかじめ人を選んでおいて、とくに危ない仕事の場合はこうした人にやらせるのが、“自然界の掟(おきて)”だとは思います。
三田 呉にもけっこうあるので私も見てきましたが、その通りだと思います。
伊藤 広島県江田島に教育参考館というのがあるのですが、あの建物だけは国家予算で造っていないのです。
これは、旧海軍の先輩が給料を払って後輩のための遺品を残すために造りました。
遺書から何から全部展示してあるのですが、初めに展示されているのがとても嫌な感じの文章なのですよ。検閲を受けているからそうなっているのですが、幹部候補生学校と同じ敷地にありますからよく行きましたが、隣で観光客の人が泣いているのを見て、「こういう文章を読んで泣くのは、おかしくないか」と思ったことがあります。
とはいえ、候補生の時は嫌なことがあるとよくそこへ行きました。同じ遺書を5回も10回も繰り返し見ていると、急に検閲に引っかからないように肉親にしか分からないように“行間”に込めた思いが見えてきます。
こういうことを国家がしてはダメだ。こんな思いの手紙を書かせてはいけないだろう、と。
それに、それだけの思いをもって書かれた手紙を、人が読んでもいいものなのかと思うこともあります。これを読んで生きる“糧”になるのであれば、きっと書いた人は怒らないと思いますけどね。
遺書なのですから、それが人々に読まれてしまうというのは、嫌なのではないかとも思うわけです。
三田 本人たちは家族に宛てて書いたものですからね。私は読んでいて思わず感極まってしまいました。
伊藤 見ていても、ほぼ9割以上の方は涙を流しています。泣いている人を見て、1回ぐらいで涙が出るわけがないだろうと思いました。ただ今では、「私はこう思うのですが、なぜあなたは泣けるのですか?」と尋ねればよかったかなと思います。そのことは今も後悔しています。
ですが、そういうものを展示しているからこそ、やはり私たちは心して見るべきですし、表面の字面だけでなく読んでほしいですね。
(構成:青葉亮)