閉鎖的業界のITを変えた「ゲームチェンジャー」

2016/11/25
グラビス・アーキテクツは2010年に設立したスタートアップながら、金融庁や総務省、国民健康保険中央会、札幌市など公共公益機関向け基幹ITインフラの企画や設計を手がける。従来は大手コンサルが任される規模の案件を次々と受注してきた。古き商慣習が根強いこの領域に風穴を開け「ゲームチェンジ」を起こした創業者が、公共に注目した理由とその社会的意義を、自身のキャリアを振り返りながら語る。
税金は適切に使われているのか
新卒では商社を選びましたが、ある時、知人から聞いた「コンサルティング業界は事業会社で3年かかる経験を1年で積むことができるくらい濃密」という言葉に心が動き、コンサル業界への転身を決めました。
2001年に、朝日アーサーアンダーセン(その後にベリングポイント、プライスウォーターハウスクーパースへ社名変更)に籍を移し、入社3年目に転機がおとずれます。公共公益セクター向けITインフラの企画・設計を担う部署に移り、そこで私は、中央省庁や地方公共機関向けITコンサルティングの醍醐味を味わいました。
各地域の住民の生活インフラを支える自治体などの公共公益セクターに対して、最適なITインフラは何かを考え、それを地元の方々とつくり上げていく仕事は、民間企業向けプロジェクトにはないやりがいがありました。
そして、古い商慣習が根強い分野に新しい風を起こしている満足感もありました。地方の公共公益セクターが使うITシステムの設計や開発は大手のシステムインテグレータが担うことが大半で、新しいプレーヤーが参入しにくい領域です。
いわば、民間に比べて保守的、閉鎖的。それゆえに、適正なコストでお客様の求めるシステムを本当に提供ができているとは言い難い状況を感じていました、
そんな中で、当時の上司とともにこうした環境を変えたいと考え、地道な提案活動を続けることで割って入ることができた。ある省庁のプロジェクトではコストを30分の1に削減することができた事例もあります。
我々の払う税金を効率的に活用してもらうことができるとてもやりがいのある仕事でした。変化を受け入れたがらない領域で、徐々に既存の商慣習を壊すことができたことに大きな喜びを感じていたのです。
古見彰里(こみ・あきのり)
グラビス・アーキテクツ 代表取締役
1977年生まれ。商社に勤務後、2001年に朝日アーサーアンダーセン(現プライスウォーターハウスクーパース)に入社し、大規模システム導入に掛る業務設計、システム設計に従事。パブリックセクター戦略チームで、中央省庁の調達支援などを手がける。2006年から自治体向け事業の立ち上げと統括を担う。2008年、北海道事務所の立ち上げと事務所の管理責任者を担当するため北海道へ移住。2010年、グラビス・アーキテクツを設立。代表取締役に就任。北海道大学経済学研究科講師やNTTデータ子会社であるクニエの顧問を務める
不退転の札幌プロジェクト
地方の公共公益セクター向けITコンサルにのめり込んでいく中で、北海道のある自治体のITインフラ構築をお手伝いすることがありました。いま振り返れば、今後の人生を左右するターニングポイントになりました。
札幌市は1970年代、国内で最大級のIT集積地をつくるという「サッポロバレー構想」を打ち出し、その結果、札幌市内に多くのIT企業が生まれ、優秀なエンジニアがたくさんいたのです。ただ、その人材量に比べて仕事がない。
首都圏に比べて地方のニーズははるかに弱い。いくら優秀な人材を育成・確保してもそこで仕事がなければ発展しません。この時、私は地方の人材がその地域の仕事ができる環境をつくりたいと思ったのです。
会社に掛け合い、北海道に開発センターをつくりたいと懇談しました。「20代の若造が変なことを言っている」。そう思われたのかもしれません。周囲の反応は決してよくありませんでした。
その当時の所属部署では立ち上げは困難とみて、不退転の覚悟で、部署の異動を願い出て開発センターをつくることができました。現地にいることが大切ですから、その当時、会社には転勤制度がなかったので、私は勝手に家族を連れて北海道に移住しました。
その当時、そんな動きをする東京のコンサルファームはいませんでしたから話題を呼び、優秀な人材もたくさんきてくれて50人ほどの組織に発展し、計画では200人に増やすことを考えていました。
発表時には、地元有力紙の北海道新聞の一面トップを飾った。古見氏は、道半ばで終わった悔しさを忘れないよう、デスクにいつも置いている
しかし、その直後にリーマン・ショックです。プロジェクトは激減し、米国本社は「チャプター11」を申請。日本法人はプライスウォーターハウスクーパース(PwC)に買収されました。そして、2009年の年の瀬に、会社からこう言われました。
「来年の6月に北海道から完全撤退、東京でコンサルタントとして活躍しそうな人員を除いて退職勧奨、既存案件は他のIT企業へ譲渡。すべて完了したら東京に戻って来い」
選択の余地は起業しかなかった
進行中のプロジェクトを途中で放り投げることが私には受け入れることができませんでした。どうにかして立ち上げたメンバーとともに完遂したかった。
でも、それと同時に退職勧奨を進めなければならない。そんな真逆のことを行っている私に説得力はなく、求心力は落ちていく。スタッフのモチベーションを維持することは当然できません。打ち手のない状況で体を壊し、病院に行ったら胃潰瘍と十二指腸潰瘍を併発していました。
率直に逃げ出したいと思ったこともあります。しかし、自問自答の中で最終的にはプロジェクトをほかの企業に任せるという決断ができませんでした。
解決方法は一つしかありませんでした。起業して、新会社でプロジェクトを引き継ぐ。スタッフには雇用を約束し、最後までやり遂げるしかない、と。起業のかたちはさまざまかもしれませんが、私には起業しか選択肢がなかったのです。
2010年に退職してグラビス・アーキテクツを設立し、進行中のプロジェクトをなんとか最後までやり遂げることができました。この経験から私は「任された仕事は、最後までやりきる」という当たり前ですけれど、とても大事なポイントを意識するようになったのです。当社がポリシーに掲げている「『クローザー』であれ」はこの経験がルーツです。
大手コンサルに負けない3領域
グラビス・アーキテクツは、今年12月1日に設立6周年を迎えます。おかげさまで一貫して増収を続け、今年度は前年度比で約300%の成長を果たすことができそうです。
今後は、強みの公共公益セクター向けのITコンサルティングを伸ばしながら、「社会保障セクター(医療機関、国民健康保険等の医療保険分野)」そして「製造業セクター」向けでも実績を積み重ねて、この3業界向けITコンサルでは大手の総合コンサルファームに負けない地位を築きます。
さまざまな業種を見ている大手総合コンサルファームには規模では勝てないですが、この3業種のITコンサルでは「グラビスがNo.1」といってもらえる地位を築くことが目標です。
また、東京と札幌に事務所を構えていますが、札幌の事務所を拡充し開発センターを来年度中に設置し、「地方のニーズに応える地方のエンジニアの育成・確保」という夢にもう一度チャレンジします。
「直接契約」の価値
目標に向けて今、私たちには仲間が足りていません。転職を検討しているビジネスパーソンにぜひ伝えたいことがあります。グラビス・アーキテクツは若い会社で知名度も高いとは言えません。
それでも私たちは、大手のシステムインテグレータやコンサルファーム以上のステージを用意できていると思います。
なぜなら私たちはお客様との直接契約にこだわっていること、下請けではないからです。ITシステムのコンサルや開発では、建築業界のような多重構造が当たり前で、規模が小さい会社は2次請け、3次請けといった下請けの位置づけが大半です。
ただ、私はどんなに苦しい時でもお客様との直接契約ではない仕事には手を出しませんでした。お客様とともに一緒にプロジェクトを成功に導く喜びは直接やりとりしなければ得られませんし、コンサルタントとして成長するためにも大事だからです。
大手企業の場合、組織の視点から自分で手がけられる領域はプロジェクト全体の一部であることが多いかもしれません。自分で成し遂げた仕事がお客様の何に貢献できたのかを肌で感じることができない時もあると思います。
私たちはそんなことはない。お客様と直にコミュニケーションを取りながら、全体のコーディネートができる環境があります。
また、グラビスのプロジェクトは社会的インパクトの大きい大規模プロジェクトをお客様の立場で支援することが多いです。
例えば平成30年4月に大きく制度が改正される国民健康保険の制度改革についても、それに向けたシステム構築を支援しています。社会の制度改革に直接タッチし、お客様とともに作り上げていくやりがいのある仕事です。
先ほど申し上げた私たちが大手ファームに挑む3領域で自分を高めたいと思っている方、そして地方の活性化に取り組みたいと思っている方はぜひ、力を貸してください(談)。
(聞き手:木村剛士、文:阿部祐子、撮影:風間仁一郎)