音楽に政治を混ぜてはいけないのか?
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読みました。
とりあえず、3箇所ピックアップ。
>想像を絶する悲劇が起きたことはわかっていたんですが、ニューヨークになんて行ったこともなかった。まさにいま遠い国で起きた出来事が、そこから遠くで生きる自分とどんな関係があるのだろうか。僕がその出来事について考えをめぐらせることに意味があるのだろうか。自分の考えることが、友人や同僚、見ず知らずの人々、日本、そして世界にとってなにか意味を持つのだろうか。出来事との距離を上手く測れず、途方にくれました
>もうひとつの転機は、韓国で起きました。(中略) 日韓の歴史を考えると、いろんな思いが積み重なっているだろうから、日本人をあまり好きじゃない人もいるかもしれない、という漠然とした少しの恐怖感を持っていました。(中略) けれど、ステージに上がって演奏をはじめてみると、そんなわだかまりはすぐに氷解しました。僕たちが演奏を始めると、一緒に声を張り上げて歌う人が大勢いて…身構えていたさっきまでの自分は、なんだったんだろうと思いました。バックステージでも多くの友人ができました。音楽は国境を越えるって、ミュージシャンになる前から知っていたはずなのに、おかしな話ですよね。
>東南アジアの子どもたちが酷い環境で働いていても、ヨーロッパに亡命しようとした難民が溺れて死のうとも、紛争で大勢の人が殺し合っていても、いまの「現実」の自分には関係ない、と言い切って生きて行くことはできます。でも、必ずどこかで繋がっています。
上記含め、とても素晴らしい内容でした。
真摯に音楽に向かい合っているからの想いだと思います。
でも、音楽が好きなのか、政治が好きなのか。
今年SEALDsがフジロックの運営に呼ばれましたが、それで彼らがステージに上がるのも自由ですし、それにファンがどう応えても自由。
でも、彼らは音楽が本当に好きなのだろうか?
彼らのステージは盛り上がったのだろうか。その後彼らはどうしたか。
今でも自分は彼らを支持しないし、やはりフジロックにも出て欲しくなかった。
自分も利己的だな。。
【元コメント】
アジカンの後藤さん。
あとでじっくり読んでコメントしたい。
#音楽への自分なりの敬意。
■関連NP記事
フジロックにSEALDs...
https://newspicks.com/news/1618583
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注目のコメント
フジロックの時も感じたことですが、21世紀の日本において「ロックを通じて政治への不満を発信する」という発想はなかなか支持されにくいのでしょうね。
けどロックなりレゲエなりヒップホップなり、その源流を辿れば、「ロックに政治を持ち込むな」という主張がかなりハイセンスなジョークだと気づくはずです。
ただでさえフジロックは、現代日本において反体制としての古き良きロック文化を正統継承し続けている無形文化財のような存在なんですから。あんなの、サマソニ会場だったらNGOヴィレッジなんて全部撤去されてVIPスペースになってますよ。
それよりもむしろ、フジロックの会場で誰も彼もが一つ覚えで「NO NUKES」というワンフレーズを訴え続けていることに対して強烈な同調圧力を感じ、違和感を覚えます。
フジロックは好きだし、ノンポリだし、別にその主義主張に対してどうこう言うつもりはないのですが、同意しない人間は極悪人であるかのような物言いや雰囲気がなんともつらい。自国の首相に対してステージ上から文字にできないような罵声を浴びせて歌い続け、それに盛り上がる観客を見るにつけ、なんとも悲しくなりました。ダサい。
とにかく全てに反対しておきさえすれば、それで良しとされるようなファッション感をどうしても感じてしまいます。
むしろフジロックのど真ん中で原発や安保法制の意義を大ブーイングを浴びながら訴える方が、僕はよほどロックだと思いますけどね。
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