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日本のシリコンバレー、ウォール街、ワシントン

【小池百合子】世界が求める「新しい東京」

2016/8/2
8月2日、初登庁した小池百合子・東京都知事。小池都知事が抱く「東京のビジョン」とは何か。世界に向けて、どんな東京をアピールしていくつもりなのか。国際NPO団体Project Syndicateに小池百合子氏が寄稿したコラムの翻訳を掲載する。

ハリウッド映画の現実離れした東京

真に偉大な都市は、たとえそこに行ったことがない人にも、イマジネーションをかきたてる力がある。

パリは愛と再生を、ニューヨークは喧騒(けんそう)とダイナミズムを、ロンドンは生真面目な魅力を思わせる。イスタンブールはミステリアスで、リオデジャネイロには熱い開放感があり、上海は急速な変貌を遂げているイメージがある。

では、東京は? 

世界の大都市のなかでも一番大きなこの街は、気の利いた言葉で表現するのが一番難しいように見える。

ハリウッド映画の現実離れした描写も、東京のイメージを混乱させてきた。

日本がアメリカの経済的優位を脅かす存在だった1980〜1990年代、映画『ライジング・サン』(ショーン・コネリー主演)と『ブラック・レイン』(マイケル・ダグラス主演)が描く東京は、典型的なフィルムノワールの舞台で、企業戦士とヤクザだらけの怪しく危険な街だった。

より最近では、『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』で描かれる東京は、やたらとギラギラして、人の息吹の感じられないメトロポリスだった。ビル・マーレイ主演の『ロスト・イン・トランスレーション』の東京は、文化的に理解不能な風変わりな街という、やや不愉快な描かれ方をした。

こうしたハリウッドのステレオタイプのいずれも、私を含め約3800万人が故郷と呼ぶ街の本当の姿を反映していない。世界のあらゆる大都市と同じように、私たちの東京にも独自の豊かさがある。

小池百合子(こいけ・ゆりこ) 1952年兵庫県芦屋市生まれ。1976年にカイロ大学文学部社会学科卒業。アラビア語通訳を経て、「ワールド・ビジネスサテライト」などでキャスターを務める。1992年、政界に転身し、参議院議員1期、衆議院議員8期当選。環境大臣、防衛大臣を歴任

小池百合子(こいけ・ゆりこ)
1952年兵庫県芦屋市生まれ。1976年にカイロ大学文学部社会学科卒業。アラビア語通訳を経て、「ワールド・ビジネスサテライト」などでキャスターを務める。1992年、政界に転身し、参議院議員1期、衆議院議員8期当選。環境大臣、防衛大臣を歴任

東京の変身の始まり

東京は、ロマンと若々しいエネルギーに満ちた街で、伝統的な天皇制と現代のJポップが共存する街だ。

東京は日本のシリコンバレーであり、ウォール街であり、ワシントンDCでもある。古い起源を持ちながら、常に驚くような自己改革を遂げてきた街だ。日本最大のネット通販会社・楽天が、社内の公用語を英語にしたのがいい例だろう。

東京は、2020年夏季オリンピックの開催地に決まっており、今後、世界の舞台の中央に躍り出るだろう。

オリンピック開催は、東京という街を定義する機会になる。東京の人々が世界にどう見られたいのか、そして、自分たちがこの街をどう見ているかを、改めて考えるチャンスだ。ちょうど1964年の東京オリンピックが、戦後の日本を定義する機会になったように。

あのとき東京は、勤勉性と自己犠牲の精神、そしてイマジネーションによって第2次世界大戦の廃墟から立ち上がった街として、誇りを持って世界にその姿を示した。

1964年の東京は、「日本株式会社」を生んだ偉大な世代によってつくられた。

当時の東京は重厚長大産業に支えられる一方で、新しいテクノロジーとイノベーションが息づいていた。ソニーとその創業者の盛田昭夫は、その代表的な存在だろう(盛田は多くの意味で当時のスティーブ・ジョブズだった)。

この時期は、東京にとって別の種類の変身の始まりでもあった。

当時の日本は、輸入エネルギーに大きく依存していた。ところが1970年代の2度にわたるオイルショックでエネルギー価格が急上昇すると、日本はおそらく世界で初めて、国を挙げてエネルギー自給を目指すようになった。東京ではその成果が、脱工業化時代を象徴する高層ビル群というかたちで見られるようになった。

アジアの偉人が集った街

東京には誇れるものがたくさんあるが、私が一番好きな時代は、1900年の東京だ。

今ではほとんどの人が考えもしない時代だが、当時この街は、1000年にわたり西欧の影に隠れていた存在から、アジアの近代化を象徴する存在になった。

20世紀初めの東京は、1868年の明治維新の直接的な結果と言える。

外国では多くの人が、明治維新を1930年代の日本の帝国主義や軍国主義と結びつける。けれどもそうした見方は、この時代全体をたった10年間に起きたことだけで定義するもので、大事なポイントを見落としている。

それは明治維新が、いわば近代化の短期集中コースだったこと、西欧にできるだけ早く追いつくための国を挙げての努力だったことだ。

1900年までに、日本は明治維新の指導者たちの期待をはるかに上回る進歩を遂げた。もはや閉鎖的な国ではなく、アジアの近代化の希望の光だった。

事実、近代アジア史の偉人の多くが、こぞって東京を訪れた。それは日本の急速な成長を学ぶだけでなく、自由に考え、書くためでもあった。それは封建的な統治や帝国主義的な検閲が残る彼らの故国では認められない自由だった。

当時の東京には、中華民国の建国の父であり、初代大総統である孫逸仙(孫文)が逃れてきた。若き蒋介石は、近代的な軍事戦術や兵站(へいたん)、組織を学ぶために東京に来た。

ベンガル出身の偉大な詩人・思想家で、マハトマ・ガンディーに影響を与えたロビンドラナト・タゴールも、しばしば東京を訪れた。

タゴールは、ノーベル文学賞を受賞した初の非ヨーロッパ人であり、素晴らしい講演「日本の精神」で、無限に見える日本人のバイタリティーを讃える一方で、そのダイナミズムを国粋主義に利用してはならないと警告した。

当時の東京は、いまや数少なくなったハリウッド黄金期を知る人物とも接点がある。映画『風と共に去りぬ』で知られる女優オリビア・デ・ハビランドだ。彼女は1916年に東京で生まれた。タゴールの講演と同じ時期だ。

日本と世界がいま必要としている東京は、20世紀初めの東京だ。人々にインスピレーションを与える活力と、開放的なコスモポリタニズム──アジアの未来にとって、これ以上優れたイメージがあるだろうか。

(翻訳:藤原朝子、写真:吉澤菜穂/アフロ)

© 1995 – 2016 Project Syndicate

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