【18歳の選挙】“賢い市民”を増やすために必要なこと
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本音で語っております。
今まで腹の中でためていて、黙っていたこと、
熱くなって思わず言ってしまいましたわ。
若者が選挙いかないと、若者が損をします。
若者が政治の発言すると、すぐに炎上します。
「若者選挙いかない、日本死ね」
「炎上した、日本死ね」たかまつななさんとの対談後編です。
実は、「賢い市民」だとか「衆愚」という言葉は、あまりにも傲慢な言葉で、使うこと自体憚られるものです。
何が衆愚なのか、何が賢いかなど、神でもなければ決められない。
ただ、一人ひとりが「賢い市民でいよう」、「衆愚に陥らないように、頑張って判断を決めよう」とする姿勢こそ、民主主義では最も重要なことですので、あえて使わせていただきました。
ところで、今回の対談では投票することの論理的な理由を中心にお話ししましたが、実は僕はそういうロゴス的な意味ではない、パトスやエトスに近い意味での「投票する意味」が強く心にあります。
先日のTEDxで、そういう観点から、投票権がないからこそわかる「投票権の美しさ」をお話しさせていただきました。よろしければご覧ください。(日本語訳は動画のコメント欄に)
https://goo.gl/mMVd7d様々を意見を臆せずに公の場で発言していくこと、お二人のように若いうちからしていくことが当たり前になっていくことが重要だと感じました。
マニフェストについても、今の日本の政党のマニフェストを並べて比較することは「選挙前」に重要なことです。一方で、現代社会あるいは現代政治をつくってきた歴史から政治を学んでおくことが大切でしょう。
以前、フランスの小学生の教科書をみたとき、小学校で政治について自ら考える教育が行われているにとても驚きました。なぜこの場面で、この人はこう行動したのか、という視点で児童たちに議論させるという方式。評価は結論部分でするのではなく、そのプロセスに対してします。
日本の教育では、ごく一部の学校を除けば、何年に何が起こったを覚えるに止まり、しかも近現代史、特に戦後史について、ほぼゼロのまま中学高校を卒業します。それでは現代政治について主体的に考えることは困難です。
そうした基礎教育がないために、「政治は難しい」と感じることが多いと思います。子どもの頃から政治が身についていれば、難しいと考えることはないはずで、選挙は当然行くもので、日常に過ぎなくなるはずです。
世界的に見ても、これほど、政治に対する基礎的な教育や考え方を学校で教わらず、あるいは地域コミュニティでも学ぶ機会がないのは、現代の日本ぐらいではないでしょうか。
大戦後の日本は、政治を正面から扱うことを避けてきました。しかし、政治は本来、日々の営みに関することです。保育園、高齢者介護、学校の整備といった身近で最も大切なことは政治が動かなければ、根本から変わりません。時代の要請が変わっているのに、ずっと同じ状況が続いてきたのは政治の責任と、政治に対する無関心によるものでしょう。
菅さんとお話しされたようですが、案外いろんな政治家が来てくれます。様々なタイプや政党の政治家とお話しをされると良いと思います。いかにも、「老害」のイメージの方が全然違うこともあります。事務所に直接連絡すると、あっさりOKというケースも。
官僚や地方自治体職員との対話も大切です。日々、本来の理想と様々なしがらみのなかで、苦闘している人が多いです。世論の後押しも欲しい。元霞ヶ関の住民として思います。
また時や経験とともに考え方が変わって当然です。そうした変化も恐れず、今後の活躍に期待したいところです。