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コメント
注目のコメント
藤原さんの本と江副さんの本は捕まる前から読んでいた。でも藤原さんの本では江副Bはあまり語られず、江副さんも判決が出てなかったので突っ込んで書いてない。リクルート事件の本質についてもっと学んでおくべきだと思ったし、田中角栄とタイのタクシン元首相などとその一派が、検察や司法と対立する構造になることを理解せねば。
私は、環境開発からリクルートコスモスへの社名変更を担当していました。ただの偶然なのですが、私は日本リクルートセンター→リクルート、環境開発→リクルートコスモス、リクルートコスモス→コスモスイニシアと、リクルートグループで社名変更を3回担当しました(笑)。
リクルートコスモスへの社名変更は、リクルートの慣例通り、社内公募したものです。当時の社会の常識から「リクルート不動産」という提案が最も多かったです。一方、「最近の江副さんは情報音楽部のコスモスというバンド名がお気に入りだぜ」という話が囁かれていました。
数百件集まった社名案の中で「リクルートコスモス」は2件でした。下馬評通り、役員会ではこの案が最有力になりましたが、江副さんは「コスモス」にしたい、つまりリクルートの冠を取りたいと強く主張していました。そのときの江副さんの頭の中には「水玉」がいっぱい飛んでいたのだと思います。
結局、「ほとんどの社員がリクルートからの転籍であり、リクルートの一員であるということにこだわりがあるから」と他の役員に説得されて「リクルートコスモス」に決定したのです。
CI華やかりし時代でしたので、なぜ社名がコスモスなのかという「後付けの理由作り」に苦労しました。社内のバンド名だなんて言えないので(笑)。
リクルートグループのOB・OG・現役の読者もたくさんいるだろうと思いますので、歴史の証言としてコメントしました。
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