球児プロデューサー10人目(前編)
孟子に救われ、絶望の淵から9年連続甲子園出場に導いた男
2016/5/31
2001年夏、初めて甲子園に姿を現した福島県の新鋭校を見て、このチームがのちに戦後初の大記録を打ち立てるとは誰も想像できなかったに違いない。
その夏(第83回全国高校野球選手権大会)、福島県代表の聖光学院は1回戦の明豊(大分)戦で0対20の大敗を喫して大会を去った。
そんなチームが2007年から2015年までの間に9年連続夏の甲子園出場という偉業を達成したのだ。戦後最長で、現在も継続中の記録である。
誰がこのような偉業を想像できただろうか。
当事者たちだって、その一人ではない。聖光学院の斎藤智也監督が振り返る。
「想像していないですよ。甲子園に初出場を決めたときは、死んでもいいと思った。それくらい究極の目標でした」
「ところが、いざ甲子園に乗り込むと0対20。これほどバツの悪いことはなかった。天まで上った気持ちが叩き落された。死ぬに死ねない。このまま終わったら、野球部も学校も廃れてしまう。それくらいに追い詰められていましたから」
斎藤は同校に来て29年、地道にチームをつくりあげてきたリーダーだ。
今回、改めて福島県にある聖光学院野球部グラウンドを訪ねた。
なぜ、あれほどの大敗を喫したチームが甲子園球史に名を残す記録を打ち立てることができたのか。
9連覇は「すごい記録ではない」
「不動心」そして「組織力」。
それが、斎藤とチーム取材からわかった9連覇のキーワードだった。
斎藤は9連覇を世間から称えられるほど、大記録だと捉えていない。
「全国の指導者から『勝ち続けることはすごいことだ』と社交辞令的にいっていただきますけど、僕はそんなにすごい記録だとは思っていないんです。各都道府県の勢力図を考慮に入れたときに、1強構図が色濃い県では、連覇はあり得ることだと思うんです」
その背景には全国大会で結果を残せていないことがある。春夏を通じ、東北地区には甲子園の優勝旗がいまだに渡っていない。
そのことを栃木県と福島県の県境にある「白河」にかけて「甲子園の優勝旗は白河の関を越えたことがない」と高校野球界では揶揄されているが(北海道には渡っている)、その白河がある福島県は全国的に見て強豪地区という印象を与えていない。
「僕が他県の強豪校監督の立場で聖光学院を見たら、『戦後最長の連続出場記録を持っているけど、甲子園で勝ってないじゃないか。甲子園で当たったら、潰してやるよ』って思いますよ。優勝旗をとらない限り、この9連覇は美化されない」というのが斎藤の捉え方なのだ。
勧誘しないから9連覇できた
とはいえ、聖光学院の9連覇を省みると、全国の強豪私学とは一線を画した、唯一にして最大に称えられるべき条項が見える。
それはこの9連覇の過程において、聖光学院は選手の勧誘をほとんどしていないという事実だ。
昨今では私学はもとより公立校でも選手勧誘をしている。野球の技能だけで試験の合格ができないにしても、声をかけている。
しかし聖光学院は、ある年からそれをやっていない。
「昔は、スカウティングをやったことがあるんですけど、(スカウティングで入学すると)親と子どもが勘違いして問題が生じる。うちの野球部の方針として、プレーのうまい、下手では生徒を判断しない。『人として強いか、弱いかを問う』と言い続けているので、どれだけ野球がうまくても、勘違いした生徒は指導者以上に選手から厳しい視線にさらされる。そうなると、村八分みたいになってしまうんです」
では、なぜ勧誘を行わず、いわゆる金の卵がいない中で結果を残せているのだろうか。
「この9連覇の背景は何かといわれたら、勧誘をしなかったからです。選手を勧誘しないということは、いわば、まな板の上に好んで乗っかってくる選手がいて、彼らがこっちのいうことを実直に信じてくれるという中でやれる。向こうからお願いしますと来て、『よし、いっちょ前にしてやる。人間的に鍛錬を積もう』と、野球選手としては二流や三流であっても、いぶし銀といわれるような人間を育てることに取り組んできました」
「それに対するプライドはあります。技術・体力のトレーニングを積む以上に心の部分で、全国4000校のどこのチームよりも動じない、ぶれないチームのトップを目指してきました」
「不動心」で成長する
斎藤が目を付けたのは心の強い人間を育てることだった。
どれだけの高い技術や体力があっても、それを発揮できる心がなければ、窮地の場面に陥ったときに打ち勝つことができない。
ゆえに、「不動心」を聖光学院野球部の根幹として取り入れたのである。
「(不動心とは)自身にとって不都合なことや修羅場が訪れたときに、そういう状況を通じて自分を強く鍛えるために、天に与えられたものだと解釈して取り組むことと捉えています。『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という言葉がありますけど、問題解決に積極的に自分で立ち向かうのか、逃げるのか。すべてを必然論に持っていくのがうちの野球なんです」
目の前の事象を必然と捉え、そこに立ち受かっていく勇気を持つ。
それを乗り越えたときに、強さを身に付けることができる。
斎藤は続ける。
「自分を成長させるために、必然的に課題が来たと思って、不都合なことから逃げない。それを繰り返していくうちに強くなっていく。一人の修行僧が出家するような志、死んでしまうかもしれない修行に身を投じるような感覚になりながら3年間野球をやったら、強くなると思った」
どんな試練も必然と捉える
もともと、0対20のあの敗戦も必然と捉える人生観が斎藤を突き動かしたのだという。
斎藤は0対20で明豊に負けて福島に帰った当初、下を向いて歩いていた。学校では平静に振る舞ったが、一歩外に出ると「みんな俺のことを見て笑うんじゃないか」と被害妄想にふけった。「これほどツキがない男がいるのか」と打ちひしがれている斎藤を解決してくれたのが、ある時に読んだ孟子の言葉だった。
「あの言葉を読んだ瞬間に泣きましたね。その言葉には、こう書いてありました」
天がある大任を授けようとするときは、まずその人の見心を苦しめ、その人をあえて窮乏の境遇におき、その人に成さんとすることと、逆行するような不如意を与えてまでも、その人を試練されようとする
「孟子の言葉を読んで、まさに、今の自分のことなんだと。不動心についての定義も含めて、自分に天命があるんじゃないかと前を向くようになりました」
自身の人生観を指導理念になぞらえた。
人としてたくましく、豊かに、凛々しく、強く生きる。
どんな試練に対しても、必然に起きたものだと捉えて進む経験を重ねていくことで、微動だにしない心を持つ器ができる。
不動心の積み重ねで9連覇達成
斎藤がたびたび口にしていた言葉がある。
「甲子園に行ったぞ、というより、人間的に研ぎ澄まされてきて、男として凛々しくなってきたら、どこのチームよりも甲子園に行く資格はある。そう考え、プロセスを重視して指導に携わってきました」
「あの男、面白い、光るものがあるぞ。控えめだけれども、ひたむきだぞ。謙虚だけれども、勝負根性はある。甲子園に行くのにふさわしいという人間性を叩き台にして、企業に就職先としてお迎えしていただける、あるいは大学に獲っていただくのにふさわしい人間をつくりたい」
不動心を基にして聖光学院野球部は歩みを進めてきた。
その積み重ねにより、高校野球の世界で9連覇の結果を残してきたのだ。(文中敬称略)
(撮影:氏原英明)
*次回は6月12日(土)、斎藤監督が聖光学院の野球部員133人をどのような手法で指導し、結束力あるチームにつくりあげてきたのか。指導者陣が掲げる「守破離」の組織論について取り上げる予定です。