highschoolbaseballbanner.001

球児プロデューサー9人目

震災時に表れた本当の姿。野球部監督が背中で伝える「教育」

2016/4/24

「震災後に頑張っている人は、震災前から頑張っていた人です」

東日本大震災が少しずつ復興に向かっていたころ、当時の状況を伝える被災者の講演会で聞いた言葉だ。窮地に陥ったとき、人を支えるのはそれまでにどんな日常を送ってきたかにある。

今回取り上げる東北生活文化高校(宮城)の水沼武晴監督は、2014年まで石巻商業の監督を務めていた。

震災当時は避難所となった同校にて手伝いに奔走した。教師である、野球部の監督であるという肩書からではなく、自然の成り行きで取り仕切っていた。

DSCF2892_w600px

石巻のために頑張る部員たち

そんな水沼が震災当時の忘れられない出来事の一つとして挙げるのが、自身の教え子たちの姿だ。

「震災があってから4月中旬くらいまで野球部としての活動は停止していました。学校再開の目途もたっていないときでしたので。ところが、子どもたちは部員同士で集まって、ボランティアに行っていたんです。頭にタオルを巻いて自転車に乗って、『行ってきます』といってね。石巻のために頑張る子どもたちの姿を見て、涙が止まらなかったです」

困っている人を見かけたら、人任せにはせず、手を差し伸べる。

自ら率先して行動できる人間性こそ、水沼が野球の指導者として、教員として、伝えてきたことだった。

水沼武晴(みずぬま・たけはる)  1962年生まれ。仙台商業で1980年夏県大会準優勝。高校卒業後に一度は就職したものの、退職して教員を志す。24歳で東北学院大に進学した。教員採用試験を受けて、1990年に松島高校に赴任。1992年に母校の仙台商業で監督を務め、県大会準優勝の実績を残した。2007年から石巻商業の監督を務め、東北大会に2度出場するなど甲子園にあと一歩まで迫る戦いを繰り広げた。東日本大震災時は避難所となった石巻商業で復興に向けて奔走した。2014年3月に県の教職員を退職。4月から東北生活文化高校の商業科教員として採用された。学年主任を務めながら、野球部の指揮を執る

水沼武晴(みずぬま・たけはる)
 1962年生まれ。仙台商業で1980年夏県大会準優勝。高校卒業後に一度は就職したものの、退職して教員を志す。24歳で東北学院大に進学した。教員採用試験を受けて、1990年に松島高校に赴任。1992年に母校の仙台商業で監督を務め、県大会準優勝の実績を残した。2007年から石巻商業の監督を務め、東北大会に2度出場するなど甲子園にあと一歩まで迫る戦いを繰り広げた。東日本大震災時は避難所となった石巻商業で復興に向けて奔走した。2014年3月に県の教職員を退職。4月から東北生活文化高校の商業科教員として採用された。学年主任を務めながら、野球部の指揮を執る

授業で教え、甲子園を目指す

これまで3校の指導に携わってきた水沼は、宮城県の優秀教員の表彰を受けるなど、県の商業科教員として長く尽力してきた人物だ。

野球部の指導者として甲子園出場の実績はないものの、赴任2校目の仙台商業では夏の宮城県大会で準優勝、前任の石巻商業ではチームを2度の秋季東北大会出場に導くなど、甲子園にあと一歩まで近づく戦績を残している。

現在は県の教職員を退職。私立の東北生活文化高校の商業科教員(学年主任)として教壇に立ちながら、野球部の指揮を執っている。

そんな水沼の指導にはどのような理念があるのだろうか。

「高校野球ですので、普段の生活、学校生活を見ての指導だと思っています。グラウンドだけを見る指導者という気持ちは持っていないです。私自身も教室にいて、ホームルームにも行って、生徒たちに授業を教える関係を保ち、甲子園を目指したい気持ちが根底にあります」

「野球の指導者の中にはベンチに腰掛けふんぞり返っている人たちがいますよね。僕はそういう人たちとは付き合わないようにしています。監督であっても、自らが行動する。教員でも同じですが、まずは大人が動く人間でなければいけないと思っています」

まずは大人自身が行動する

水沼が就任当時に低迷していた仙台商業や石巻商業を県大会で戦えるチームに育て上げてきた要因も、そうした姿勢だった。

水沼が赴任した時の仙台商業や石巻商業は似たような状況下にあった。

グラウンドでの練習態度が悪く、生徒たちの生活態度がだらしない。あいさつや掃除、時間を守ることなど、水沼が伝えるべきことが山ほどあったのだ。

だが水沼はそんなチームに対して、頭から強制させることはなかった。まずは、大人である自分がその姿勢を見せることで、子どもたちの成長を待った。

「指導する中で一番大事なのは、われわれが姿勢で示すことです。あいさつであったり、時間を守ることであったり。それに、子どもたちよりも早くにグラウンドに行って整備をします。機械を使うこともありましたが、草むしりや石拾いをするなど、大人自らがやっていくことから始まります。僕の赴任した学校ではトイレ掃除を野球部員がやっていますが、それも僕からやり始めました」

大人を見て、子どもは変わる

草引きやトイレ掃除など、誰もが嫌がる作業ほど、水沼は自らの背中でやってみせた。
 
最初は見ているだけだった選手たちに、次第に心情の変化が生まれてくるという。手伝おうと思う気持ちにつながり、行動に変化が生まれるのだ。

「大人の姿勢を見ていると、子どもたちは真似していくんですね。日が経つと、僕がグラウンドに行ったら、すでに掃除や整備を終わらせているということが起きるようになりました。本当に不思議なほど変わるんです」

DSCF2876_w600px

リーダーにとって大切なこと

水沼の導きはそれだけではない。

たとえば、あいさつ一つにしても、まず自分からが基本だ。そこに下級生、上級生は関係なく、気づいた人間から先に挨拶をしていく。

学校生活でも、朝礼などでは野球部員が真っ先に列の先頭に出て、一般生徒たちをきっちりと整列させるための指揮を執る。野球部員が学校の中でリーダーになるという意識を持たせるのだ。

これらは野球にまったく関係ないことのように思えるが、そうではないと水沼はいう。

「グラウンドに誰かが入って来たかどうかは、視野を広く持っていればわかることですよね。『最初に気づいて挨拶をすることが、野球の細かいプレーにつながる』と子どもたちには話しています。周りを見られず、先を読めなくて挨拶ができない子は、プレーの幅は小さいと思います。気づきがあって動けるわけですからね。その気づきが技術を伸ばすと考えています」

「学校のリーダーになるためには自覚が大切だと考えています。朝礼の整列では、学校を引っ張っていく行動が自信になる。その姿勢がグラウンドに立ったとき、積極的なプレーへとつながるんです。野球だけをやって勝つのではなく、学校生活、私生活をしっかりやって、それが野球に結び付けばと思っています」

DSCF2871_w600px

自ら率先し、行動力のある人間性はそうして培われる。

震災当時、水沼に命令されるまでもなくボランティアに向かう部員たちの姿は、行動力のある人間を日ごろから育成してきた証だろう。

震災時に見た「教育の失敗」

水沼が震災当時の教え子たちの姿に感動を覚えた背景には、もう一つの側面がある。

それは現在の教育問題につながる。

震災から命の尊さを学び、同時に教員として大切なことを知ったと水沼は力説する。

「震災の惨状を目の当たりにして、誰もが『石巻のために、人のために頑張って行かないといけない』と感じたと思うんです。でも、感じたことを行動に移せないのが人間でもあります」

「学校は常に『勉強しなさい』といって、偏差値を少しでも上げることにこだわる教育をしています。でも、そんな教員の中には震災に直面したとき、自分のことしか考えられない人、他者に手を差し伸べてあげられない人たちがいました。つまり、心が養われていなんです。これについては同じ教員として悲しかったです」

「それこそ、教育の失敗だと思います。人が苦しんでいるときに、人のために頑張らなくちゃいけない。それができない教員たちを見て、勉強をすることも大事ですけど、動ける人間を育てたいなと改めて思いました」

 DSCF2951_w600px

避難所で見せた驚きの行動

大人の行動・立ち居振る舞いは伝播する。

震災当時、避難所にはトイレがなかった。そのため、避難所である学校の至るところに排泄物が散乱していたが、その報告を受けた水沼は、寸分の迷いもなく、その排泄物を手で処理したという。

周りにいた大人たちは、水沼の行動に驚きを隠さなかったようだ。その姿が部員たちに大きな影響を与えるのだろう。水沼の日ごろからの姿勢が、結果として震災時にボランティアをしようという部員たちの行動につながったのではないだろうか。

監督が試合中にグラウンド整備

取材日は同校グラウンドで練習試合が行われていた。3校集まっての変則ダブルヘッダーで、第1試合は水沼のいる東北生活文化高校が試合をしていたが、5回が終了してグラウンド整備のインターバルが入ると、水沼の姿はベンチからなくなっていた。

ホームベース上の整備とライン引きを監督自ら行っていたのだ。

練習試合とはいえ、自身の試合中にグラウンド整備をする指揮官など、おそらく、全国に水沼以外にはいないだろう。

「でも、生徒たちは『監督がやるからいいや』って思って見ているんですよ(笑)。ここに来て3年目ですから、(僕の指導は)まだその段階です」

自身の背中を見せながら、生徒たちが自ら動くのを水沼は待っている。

DSCF2884_w600px

(撮影:氏原英明)

<連載「次世代高校球児プロデューサー」概要>
2015年夏、100周年を迎えた高校野球。歴史を語り継ぐこと以上に大事なのが、明るい未来を創り上げていくことだ。監督が高校生を怒鳴りつけるような指導は、過去のものとしなければならない。動き続けている時代の中で、自ら考えて成長できる球児たちを育て上げようとしている高校野球指導者の育成法について、高校野球に精通するスポーツライターの氏原英明がリポートする。

*これまでの連載
1人目:甲子園に6度出場、監督から校長に昇進した男の「企画書」
2人目:「松下村塾のような野球部にしたい」。“集中”を追究する男の大志
3人目(前編):大阪桐蔭野球部に見る、組織のナンバー2が生きる道
3人目(後編):ナンバー2だから持てる視界。大阪桐蔭野球部が常勝になれた理由
4人目(前編):なぜ自分で考えられない子が多いのか。異端高校野球監督の提言
4人目(後編):異端監督が信じる「日本人特有の力」。詰め込み教育は変えられる
5人目(前編):高校野球激戦区の監督が説く、運を味方につける生き方
5人目(後編):アメトーーク!で有名になった、「隼人園芸」の本当の目的
6人目:高校野球に人間教育は必要か。新リーダーと金星に潜む「本質」
7人目(前編):10年越しのマネジメント道。凡事徹底で、勝てない私学を甲子園V
7人目(後編):甲子園のサイン盗みをめぐる攻防。勝負に勝つのは人格者か悪人か
8人目:「今の勝敗より生涯賃金が大事」と説き、県立野球部を強くする男