若手時代に差を生む「雑用の中の想像力」
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わかるなぁ。私も某通信社で約1年半、コピー取りとか、電話対応とか、ゲラ読みとかいろいろな雑用のバイトをしていたことがあるけど、学んだことは多かったなぁ。
最初は作業があって自分があるみたいな、作業についていくことに必死だったけど、慣れてくると自分があって作業があるみたいな、自分の頭で考えて取り組めるようになってきた。もちろん、通信社だから飛び込みの作業なんて山ほどあったけど、それでも慣れてくると冷静に考えて主体的に動けるようになるものなんだよね〜。まあ、緊張しいの私はあのようなところでは二度と働きたくないけど(笑)。
そこで働いていた人たちが、「7月(しちがつ)」を「なながつ」と言ったり、「1日(ついたち)」を「いっぴ」と言ったりしていたのは、ちゃんと相手のことを考えているからなんだなぁって(不動産とかでもよく聞くけど)。「朝刊(ちょうかん)」のことを「あさかん」って言っている人もいたりね〜。
あのとき、雑用ができていろいろ面白かったぜ! 今では立派な、「心は無職透明」という肩書だヨ☆
注目のコメント
新卒でマッキンゼーに入社して2つ目のプロジェクトで、業界インタビューをする為に、その業界の大手各社の代表番号に何件も電話した事がある。当然、何のアポもないのでほとんどのケースで冷淡に断わられ、当時はなんでこんなことをしなければならないのか不満に感じていたけど、何件もこなす上で色々なコツがわかって、いくつかの事は今でも役立っている。雑用を単なる雑用で終わらせないかに、その人の想像力出る事に同意。
外務省の1年目(いや数年間?)は雑用の嵐。重要書類を他部署に持っていくときや、決裁とりのなどは、移動中に書類の内容を読み、持っていった先で簡潔に説明して決済をもらうなど鍛えられたことは多かった。また、雑用と言っても大臣インタビューに同席したり、国会に行ったりと、普通では入れないところに入れたのはよい経験。この雑用期間の仕事の評価が良かった人は、その後も仕事が丁寧な人が多い。自分の雑用が組織のなかでどういう意味をもつのか、という「想像力」がまさに必要だったと思う。