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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

【中村伊知哉】AI時代を肯定するためにできること

2016/4/7
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。水曜は「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。今回は、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の中村伊知哉氏による書評を掲載する。中村氏の専門であるデジタル領域から、AI(人工知能)に関する書物を2冊、そしてAIの時代に政治を考えるために民主主義に関する書物を1冊、取り上げる。どれも、私たちの未来を考える上で欠かせない文献だ。

このところ自分の読む書籍の数が年1割ほどのペースで減っている。電子書籍を含めても。しかし、読む総量も時間も格段に増加している。

ネットでの細切れ情報を大量に消費していて本に手が回らないということだ。バランスを戻すため、サクっと行ける3冊を読んでみる。
 【Nakamura Ichiya】.001

慶應から東大に移った著者が、人間拡張工学、つまり機器や情報システムを用いて、人の運動機能や感覚を拡張することで超人をつくる研究を説く。

義手義足に代表されるこれまでの技術が、身体の欠損を「補綴(ほてつ)」するものだったのに対し、人間拡張工学では身体をより「拡張」する、人機一体となる、その技術とデザインを描く。

現実感をつくる技術としてのヴァーチャル・リアリティとテレイグジスタンス(遠隔臨場感)。分身となるロボットやヒューマノイド。ポスト身体性を展望する好著だ。

研究の系譜をタテ糸に、内外のSFやポップカルチャーをヨコ糸に紡いで、MITはじめ内外の研究・発明を引き合いにしながら、難解な先端工学をグイグイと解説していく。

そして本書の魅力は、技術論を上回るほどのポップカルチャー愛がちりばめられていることだ。

2001年宇宙の旅、ザ・フライ、マルコヴィッチの穴、マトリックス、サロゲートといったアメリカの作品に、パーマン、攻殻機動隊、ジャンボーグA、ゴルゴ13、アンパンマンらが対抗していくのは胸がすく。

稲見さんはぼくとともに「超人スポーツ協会」の共同代表を務める。

人機一体で誰もが超人になれるスポーツを開発しているのだが、それは技術とポップカルチャーの融合でもある。本書はその視座を提供してくれる。

さらに、ウエアラブル機器に電流を流して人の身体を操る研究や、頭にカメラをつけて遠くにいる人がその映像を追体験する身体シェアの試みを紹介する。

肉体を遠隔操作し、体験をシェアするのだ。稲見さんは「身体は一体誰のものなのか」と問う。

玄関の自動解錠、ピアノの自動演奏や空腹時の自動調理などIoTが空想する多くは、透明ロボットが自動で操作するようなものだ、と言う。

稲見さんは光学迷彩で透明人間を実現したことで有名だが、身体・感覚の拡張とIoTとがここに帰結するのか。面白い。

スマート革命の次に来る、IoT・AIでいま世間は騒がしい。

だが、VRやヒューマノイドで身体と感覚とが分離し、人の存在が問われる近未来は、それ以上にゾクゾクするではないか。稲見さんの続編を待つ。いや、けしかける。
 【Nakamura Ichiya】.002

ロボットやヒューマノイドという身体性を考えたなら、知能のことも考えよう。

マカフィー/ブリニョルフソン「機械との競争」、スタイナー「アルゴリズムが世界を支配する」など、秀逸なAI論はいくつもあるが、まず総論として本書を薦める。

サブタイトルは「人工知能は人類の敵か」だが、答えは「否」。

PCやネットに匹敵する技術がAIと次世代ロボットであり、それがすべての産業を塗り替えることを描く。

AIの歴史は苦難の道だった。2次にわたるブームと挫折を経てきた。それが近年のディープラーニングで自然言語処理が大きく進化し、いよいよブームから本格離陸へと移行する。

ここで本書は気になることを2点提示する。

まず、グーグル、アップル、アマゾンなどのIT企業がAI開発の主役となったという点だ。

かつてネットは軍事研究から生まれ、大学で開発され、それを西海岸の企業群がサービス化・商品化することで世界に広がった。

AIも、軍事・大学を軸とした研究が西海岸の企業群へとプレーヤーが移ったという。

それは、事態が日本の政府や大学の手が届かないところに移ったことを示す。

数千億円タームの資金を投資し続ける企業群に、政府や大学のわずかな資金で太刀打ちできるものだろうか。

ドイツは国家政策「インダストリー4.0」を掲げ、産官学連携で生産・物流をネット化・AI化する。日本は、どうする。

もう1点は、日米で開発の方向性が違うという分析だ。小林さんは「日本:人間が操作する単機能ロボット vs. 米国:AIを搭載して自律的に動く汎用(はんよう)ロボット」と見る。そして今後は後者の時代であると。

この背景として、日本のロボットメーカーに勤めるエンジニアの大半は、大学では機械系や制御系を専攻し、AIとは無関係であることが指摘される。

ものづくりとAI・ITとが分離しているのだ。マズい。日本は、どうする。

AIとロボットが人の仕事を奪うという。中間所得層の雇用がまず奪われ、肉体労働も奪われていく。

医療や経営コンサルなどへの転用も進む。そこにとどまらない。先日、とうとう囲碁がAIに王座を譲り渡したが、作曲など創造的な仕事もそろそろAIの領域だ。

そこで小林さんは問う。蒸気機関、自動車、重機、コンピュータなど、力の大きさや移動速度、計算能力などの面で、人間の能力を超えるマシンを人類は開発してきた。

最後のとりでとしての「知能」もロボットやAIに譲り渡すのか。

そして自答する。人類はそう決断するだろうと。地球温暖化、核廃棄物処理など人類が直面する問題は人類単独で対処しきれなくなる。

人間を超える知能を備えたコンピュータやロボットが必要とされるだろうと。

技術に対する漠然とした不安から、未来に対する悲観論が漂っている。これに対し、ぼくらに必要なのは、やみくもな楽観論ではなく、創造論で未来を克服していく、この姿勢なのだろうと思う。
 Nishida.001

デジタルが身体や知能をいかに拡張するかについて2冊読み終えた。拡張した自分をどうするのか。

それは結局、技術を使う自分の意思が左右する。では、どう使う。きちんと使えていないセクターはどこか。ビジネスか、生活か、教育か、医療か。いや、政治ではないか。

総務大臣が放送局の電波停止権に言及したり、大物キャスターが番組を降りたりして、政治とメディアの関係がキナ臭い。

衆参ダブル選挙がうわさされる中で、押さえておいていい一冊。

記者クラブに代表される政治とメディアの「慣れ親しみ」が、ネットやソーシャルメディアの時代にどう変化しているか、中でも自民党がいかにメディアとの継続的な関係を築いてきているかを描く。

2000年、政府がIT基本戦略を策定したころから、自民党は新広報戦略を打ち出し、チームを内製化していった。

しかし民主党には明示的な戦略はなく、ITへの取り組みでも遅れをみせたという。

本書は、自民党によるメディア戦略の変化を描きながら、メディア側に警鐘を鳴らす。

政治の対応が変わると同時に、国民側は、ネット民が団結してデモを起こし、成功とは言えなくても、政治との関わりに変化をもたらそうとしている。

ここで筆者は「大きく変化していないのがメディア」だと指摘する。同意する。というよりぼくには、政権から緩いタマが投げられただけで萎縮してしまう状況は、不変ではなく退化に見える。

これに対し筆者は、NewsPicksやSmartNewsのようなニュース配信アプリが「新たな変革者」と見る。

本書は放送法に基づく政府関与に関し、米連邦通信委員会(FCC)のような独立行政委員会論や第三者機関である「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の強化策についても言及する。

放送制度をめぐっては長い論争があり、ぼくもそれを担当した結果、官僚を辞めることになったので、話が長くなるからここでは抑えておく。

ただ、ネットやソーシャルからAIの時代に突入するに当たり、政治や社会はどうスタンスを取るべきか。

考える時期に来た。技術は進み、身体も知能も拡張するのだが、結局それを人や社会がどう使いたいのか、その意思と覚悟がぼくらに問われている。