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あしなが育英会会長・玉井義臣氏(前編)

【玉井義臣】9万5000人の遺児を進学・卒業させた男の人生

2016/3/23
今、日本と世界は大きな転換期にある。そんな時代において、世界レベルで飛躍する、新時代の日本人が生まれ始めている。本連載ではビジネス、アート、クリエイティブなど、あらゆる分野で新時代のロールモデルとなり得る「グローバルで響いてる人の頭の中」をフィーチャー。経営ストラテジストの坂之上洋子氏との対談を通じて、各人物の魅力に迫る。3人目の登場者、あしなが育英会会長の玉井義臣氏と対談(全3回)。

日本人2人目の名誉

坂之上:玉井さん「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」を受賞おめでとうございます。緒方貞子さんに続き歴代日本人2人目の名誉ですよね。
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玉井:ありがとうございます。

坂之上:50年間、9万5000人の親を失った遺児たちを進学・卒業させたのは世界に類を見ないってことでの受賞だそうで。

玉井:多くの方々の小さなおカネがたくさん集まり、子どもたちを支えていただいたからこそできたことです。

坂之上:玉井さんは、こんな偉業を成し遂げられたわけですが、若い頃不良だったっていうおうわさを伺ったのですが、本当?

玉井:あぁ、20代は不良でしたね〜。学生時代は親友とダンスホールのパーティー券を売ったりするのがはやりましてね。

坂之上:ダンスパーティー券ですか(笑)。

玉井:学生たちがよくやっていた手ですよ。結構、儲かるんだよ。

坂之上:もててたんですか?

玉井:いや、それはどうかなぁ。証券会社に勤めたんですが1年で辞めちゃって、株や経済のフリーランスジャーナリストしておりました。

坂之上:フリージャーナリスト?

玉井義臣(たまい・よしおみ) 1935年生まれ、大阪府出身。滋賀大学卒業後、証券会社勤務などを経て、経済評論家として活躍。64年、母親の交通事故死を機に交通評論家に。交通事故に伴う諸問題の解決に尽力した後、69年に設立した 「交通遺児育英会」 で専務理事に就任(94年退任)。93年に災害遺児と病気遺児を支援する 「あしなが育英会」 を立ち上げ、98年から会長を務めている。

玉井義臣(たまい・よしおみ)
1935年生まれ、大阪府出身。滋賀大学卒業後、証券会社勤務などを経て、経済評論家として活躍。1964年、母親の交通事故死を機に交通評論家に。交通事故に伴う諸問題の解決に尽力した後、1969年に設立した「交通遺児育英会」で専務理事に就任(94年退任)。1993年に災害遺児と病気遺児を支援する「あしなが育英会」を立ち上げ、98年から会長を務めている

被害者の家族になってわかったこと

玉井:ジャーナリストといっても、まぁ定職もつかず、気ままに、ふらふら遊んでいたんですね。でも27歳のとき、母親が大阪の実家の前で交通事故に遭い昏睡状態になってしまったんです。私は母につきっきりで看病しましたが、ついに意識を取り戻すことなく亡くなってしまった。

坂之上:おつらかったですね。

玉井:そのときにいろいろなことを考えました。交通事故の被害者の家族という立場になって初めてわかったことがたくさんありました。

坂之上:玉井さんの社会運動家としての運命の転換時期ですね。玉井さんも、もしお母さんが交通事故で亡くなられなかったら?

玉井:塀の中に落ちていないという保証はないですね(笑)。

坂之上:塀の中なの?(笑)

玉井:だって20代が不良だったら、30代はもっと悪くなりますよ。でもそうはならなかった。だから、人間というのはわからんものです。

坂之上:不良が、まさか将来「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」を受賞するなんて?

玉井:(笑)。変わったきっかけは、私は母の治療方法に疑問を感じたんです。なんとか命が助からなかったのものかって。いろいろと調査したんです。ところが医師たちは、通り一遍の話しかしません。諦めかけていた頃、東京労災病院長が本当のことを教えてくれたのです。

坂之上:本当のこと?

玉井:死亡者の死因の7割は頭部外傷だ。しかし日本には脳外科医は200人しかいない。そのほとんどは大学病院に勤めており患者を見ていない。

坂之上:なぜ?

玉井:小さな病院や町医者は、自賠責保険金欲しさに負傷者を迅速に大学病院に送らなかった。

坂之上:衝撃ですね

玉井:でしょう? 迅速に適切な治療を受ければ、その3割の命は助かるはずなのに。

それで、母が死んで1年後に、取材を徹底的にして「交通犠牲者は救われていない。頭部外傷者への対策を急げ」という20枚の論文を「朝日ジャーナル」に発表したんです。1964年のことです。

坂之上:200人しか専門医師がいない状態をどうにかしたい、と?

玉井:はい。その後、法改正で、脳神経外科を各医大に置くことを義務付ける法律ができました。それで、日本の各大学で医学部に脳外科医の育成が義務付けられることになったんです。

坂之上:すごいインパクトですね

玉井:当時、脳外科があったのは東大と京大と岡大と慶應だけ。脳外科の専門医を養成する機関が日本には圧倒的に足りなかったことを多くの人に知ってもらえた。そして法律が変わった。

坂之上:1本の論文が今に至るまで多くの人の命を救っているわけですね。

坂之上洋子(さかのうえ・ようこ) ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

坂之上 洋子(さかのうえ・ようこ)
ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。「ニューズウィーク」誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

不良と遊び人の本気

玉井:実は、この論文の掲載を朝日ジャーナルに持ち込んでくれたのは、学生時代つるんでた富岡隆夫君(AERA初代編集長)でした。

坂之上:ダンスパーティーネットワーク?

玉井:そう。不良サークル(笑)。

坂之上:遊び仲間って大事ですね〜。

玉井:その後、私は、政府や医療界、保険業界、自動車業界を次々に取材して論文を書き続けました。それを彼は表に出す手伝いをしてくれました。

坂之上:素敵ですね。

玉井:私は「脳外科医が足りない」「賠償金が安すぎる」「事故の加害者の罪が軽すぎる」を延々と訴え続けました。

坂之上:脳外科医不足の解消、保険金の増額、事故加害者への厳罰化。今、全部成し遂げられている。

玉井:はい。この3つは現在に至るまで、日本の交通事故による不幸を随分軽くしたと信じています。

坂之上:不良だったのにすごい成果ですよね。

玉井:不良と遊び人は、本気出せば結構やるんですよ(笑)。
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(撮影:遠藤素子)

*続きは明日掲載します。