学歴で「身のほど」をわきまえ人生に線引きする、哀しき若者たち - 日本に巣食う「学歴病」の正体
コメント
注目のコメント
ちょうど出版社の事例で書かれているので一言。
文中に「「一流」と言われる大手出版社5~6社は、2006~09年頃、新卒時の年齢制限を24~25歳にしていることが多かった」とありますが、これは当然のこと。
文芸だけ取ってみても、若い頃に徹底的に乱読して、先輩に鍛えられないと、まともな編集にならない。
逆にその経験があると、不思議と作家の「あら」が見えてくる。
それは、あらゆることに共通し、年を取ってから営業になった人で、物になる人は皆無に近い。
というのも「どうすれば買ってくれるのか」を突き詰めて考えた経験がないので、ソリューション営業ができない。ただ形だけ営業をまねているだけ。
要は、できるだけ早く社会に出て、その時でしか学べないことを身に付けることだ。
やはり二十代で身に付いたことは、五十を過ぎても忘れないし、財産になる。
ただし、それを成功体験とせず、絶えず仮説検証してカストマイズをかけていくことも大事なことだ。学歴病の代表国である韓国で子どもを持つ親として進学問題は悩みの種。
正直、一流大学に入れるのは成績が上位1~2%以内の学生で、残りの98%は二流大学以下に進まざるを得ません。そして大手人気企業に入社出来るのは一流大学の中の上位10~20%でしょうか。
しかしそんなに頑張っても、結局得られるのはせいぜい20年間のそこそこ良い生活だけで、50歳近くになれば肩叩きに合う人が大多数。役員になれるのは入社同期の中で数人でしょう。
戦略コンサル・外銀出身などの一流エリートでも40歳後半で無職になったケースなど周囲でたくさん見てます。
こんな人生、不毛なレッドオーシャンで血みどろの戦いを延々と続けているのと一緒でしょう。狭い道で、みんながチキチキマシン猛レースに参戦するのは、どう見ても間違っているように感じます。
ニッチや差別化など、より戦略的に人生進路を選択すべきかと。