【東京五輪】新国立競技場にまたまた問題発生 聖火台が設置できない!?
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なんとA案に決まった新国立競技場の設計図に聖火台が入っていなかったのだ。
ザハ案は屋根付きなので聖火台は外付けの予定だった。ところがザハ案に屋根だけはずしたものが大成建設のA案だから、そのまま活用したので屋根がないだけで残りは同じ。屋根をはずしてスタンドだけにしたのだから、そこで聖火台を入れなければ、とふつうなら思うはずだが……。考えられない無責任体質である。
これは発注はJSCなので馳文科大臣がいけない、と組織委員会の森会長は怒っているが、待てよ、である。森会長はA案に決まることを知っていたのだから、設計図を見て聖火台がないことに気づかないのがおかしい。眼が節穴だっただけではないか。
文科大臣か森組織会長の責任か、この二分法もおかしい。何のため遠藤五輪担当大臣がいるのか、である。両者をコントロールし橋渡しの役割りは遠藤大臣の仕事なのだから。
いま揉めているのは、聖火台の費用を誰が払うか。政府(文科大臣)と組織委員会の綱引きで、双方が責任をなすりつけている。そして、信じられない無責任体制は、森会長の存在に端を発している。なぜなら馳文科大臣大臣も遠藤五輪担当大臣も森会長の配下として任命された経緯があったのだ。だったら意思疎通をちゃんとやればよかったのだ。
夢の東京五輪をこれ以上汚してもらいたくない。森会長は退陣したほうがよいのではないか。昨年暮、トヨタ自動車の豊田章男社長が、「森が辞めるか、自分が辞めるか」と迫り、結局、副会長を辞めている。当時、新聞はまったく真相に迫らず森会長のご機嫌をとっただけだった。
ため息が出るよ。聖火台を返してくれ!
何とか間に合わせないと!
注目のコメント
↓ 次々起こる、ジョークの世界。
「スタンドは木材が使われる屋根で覆われる構造となっており、消防法上、問題となる懸念があるという。」
これだけ注目された案件で、かつ二度目の公募で、
基本的仕様の欠如があとから判明するのは、人間認知の限界の例として興味深いです。
(追記:3/4)
組織委員会から言われなくてもJSCは気づくべき。
言われていなくても、現場がデザインコンペの応募要項に含めるべき。
応募要項になくても設計者は確認すべき。
これは、日本の「配慮文化」。法的責任とは違います。
私は日本の「配慮文化」は維持すべきものという意見です。
「JSCは、国や開会式などのセレモニーを企画する大会組織委員会から、事前に要望を受けていなかったということです。そのため、デザインコンペの際の応募要項にも含めておらず」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2717985.html