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なぜそのデザイン思考はうまくいかないのか

馬場渉が教える「デザインシンキング」の実践法

2016/2/20

イノベーション創出には型がある

私がこれまで連載の中で取り上げてきた「スポーツにおけるイノベーション事例」の舞台裏には、ほぼ例外なくイノベーション実践の「型」が存在していました。

サッカーのドイツ代表も、F1のマクラーレンも、49ersやスーパーボウルのスタジアムも、チーム主要幹部やスタッフと一緒に「デザイン教育を受けたSAPの社員」がファシリテーターとなり、デザインシンキングを用いて変革が実践されています。

アウトプットを事例にして学ぶことも重要ですが、それを生み出すうえで共通する「実践フレームワーク」についてもいつか書きたいと思っていました。

ちょうどIDEOのニュースなども出て関心が集まっていると思うので、今回はその「型」であるデザインシンキングを取り上げようと思います。

アイデア出しではない

デザインシンキングはデザイナーの問題解決の手法を用いて、ビジネスや社会などのあらゆる問題解決をしていこうというものです。

特に、組織における難題であり続けた「イノベーションを生み出す手法」として、その有効性の高さに期待が集まっています。

デザイナーが行う問題解決の手法というのは、「人々の価値観」を中心に考えることです。ものの見方を変え、よく観察し、相手の気持ちに感情移入しないと、何がその人にとっての課題なのかを特定することはできません。

そしてデザイナーの仕事のやり方というのは、極度にアウトプット思考です。「シンキング(思考)」などと言いますが、とにかく、かたちをどんどんつくっていく大変アクティブなやり方です。

うまくいかないデザインシンキングは「アイデア出し」などと位置付けているからです。デザインシンキングにおいて重要なのはポストイットではなく実装です。

悪いのはポストイットではないけれど

悪いのはポストイットではないけれど

デザインシンキングは「問題解決のための思考」と「行動のプロセス」ですので、“日常使い”が可能です。ジーンズに着替えて、スナックと音楽と、大きな部屋に大量の紙を用意しなくても可能なのです。

水泳に応用してみる

私自身の“日常使い”体験をシェアしておきたいと思います。その現場は、娘を連れたプールの中です。ここでは当然ポストイットは使えません。

私の娘はその時、小学校低学年。通常はどうなのでしょう? 25メートルくらい泳げる歳なのでしょうか? 私の娘はドンくさいほうで、10メートル泳ぐのがやっとでした。お父さんとしてのチャレンジは「25メートルを完泳させること」です。

まず泳がせます。たしかに10メートル付近で立ってしまいます。これは「観察」というフェーズです。かっこうよく言えば、フィールド・オブザベーションです。

何も言わずもう一度泳がせます。次は8メートルだったり、11メートルだったり。そうして「観察」し続けます。

問題のいくつかが特定できます。息継ぎが下手。バタ足が沈み過ぎ。右手に比べ左手はまったく上がってない。水をかく際の力の入れるタイミングが間違ってる……などなど。

課題がわかったので一つひとつ「息継ぎができてないよ」「口が上がってないし、空気を吐き切ってないからだね」「じゃあ、それに気をつけて息継ぎの練習をしよう」と課題を解決します。

……と、これはビジネスシンキングです。デザインシンキングではこういうPDCAのような思考プロセスはとりません。

当事者の視点に立つ

「息継ぎが苦手」は「25メートル泳ぐ」というチャレンジに対する真の課題ではありません。解くべき問題が、まだ当事者視点で明らかになってないのです。

本人は「私は息継ぎが苦手」という意識はないでしょう。自分でも言語化できないような、本音の気持ちがあるはずです。でも「息継ぎ苦手だね?」と聞かれれば「……うん、苦手」と受け入れてしまう。

それでもビジネスシンキングで泳ぐ練習をすれば、おそらく1週間あるいは1カ月もあれば25メートルを泳げるようになるでしょう。

今回はこれを1日で実現したいのです。お父さんは忙しいのです。イノベーションというからにはそうしたいですよね。

感情を想像する

具体的なステップを説明します。

息継ぎや水掻きに関する個々の技術や能力は一度忘れます。「……ができない」という表現はデザインシンキングの最初のフェーズでは禁句と思いましょう。

「気持ち」に関する表現で観察結果を並べてみます。「恐い」「不安」「恥ずかしい」「痛い」「不快」「見たい」「かっこいい」「早くしたい」……こういう表現で観察結果を描写し直しましょう。

本人になりきって観察すると問題が見えてきます。ハッキリ見えないときは、自分とはまったく異なる人を演じてみてください。自分の子ではないほかの子どもたちに目を向けてみてください。

観察してしばらくすると「きっと沈むと思って恐いんだろう」「顔に水がかかるのが嫌なんだろう」「肺から息がなくなったら苦しいはずだと思っているんだろう」「失敗したら溺れると思って不安なんだろう」と仮説が立ちます。

25メートル完泳は、デザインシンキングでどうデザインされるか

25メートル完泳は、デザインシンキングでどうデザインされるか

気持ちベースの問題定義

観察によりインスピレーションを得たら、デザインシンキングの一つの肝、「問題の定義」に入ります。

ここでは論理思考を代表とするビジネスシンキングで定義された「息を吐けず息継ぎがうまくいかない問題を解決する」を定義し直します。

デザインシンキングではこの問題は「息を吐き切ると苦しくなる、という経験したことがない恐怖から開放する」という問題に置き換えることになります。

技術や能力の問題解決ではなく、気持ちの問題解決を行うわけです。ほかの問題もこのように置き換えていきます。それがデザイン上のチャレンジになります。

トヨタが陥った正論の罠

これを「あ、ルートコーズ分析ね」と言わないでください。「なぜなぜなぜ……分析」とも違います。

相手の目に向かって人差し指でデザインの頭文字「d」を書いてみてください。相手には「b」と見えるはずです。相手に対して「d」と書く人は少数派です。

問題の捉え方は、当事者個人によって異なります。「顧客・市場起点イノベーション」の場合、日本人の得意な「技術基点イノベーション」とは異なる手法でやることも、時には大切です。

有名なトヨタの米国リコール問題では、調査の結果、アクセルもフロアマットも品質上の問題はないと対応したトヨタに、消費者もメディアも激怒しました。確かにトヨタ車に問題はなかったのは真実なのですが……。

根本原因がわかっても「問題」は解決しませんでした。どう車が使われているか? なぜマットがそのように使われているか? 当初理解しなかったからです。

即効性が重要

また、問題を「息を吐き切ると苦しくなるという経験のない恐怖から開放する」と再定義した場合、これをさらに「なぜ?」と繰り返すことに何の意味があるでしょう? 人の気持ちの場合、すぐに検証とフィードバックのプロセスに入ってください。

気持ちの問題を解決すると、即効性があります。イノベーションにはユーザーにとっての即効性が重要です。そのためには気持ちをきちんとつかむための観察と深い洞察が必要なのです。

またイノベーションにとって重要なのはレバレッジです。私は「尖」という漢字を好んで使いますが、「小」さなことで「大」きなことを行うのです。そのためにはピンポイントの“するどい”問題特定や、“エッジのきいた”解決手法が必要になります。

プロトタイプとテストサイクル

次にこの問題設定が正しいか、プロトタイプをつくって検証します。

娘が変な泳ぎ方をしている理由を、本当に私は正しく把握できているでしょうか? 泳ぎ方を教えてもなかなか身に付かない真の理由を、把握できているのでしょうか?

解決すべき本質的な問題を自分も相手も正しく把握しているなどと思い込まず、テストしてみればいいのです。それを明らかにするプロトタイプを3つ用意しました。

1つ目は「息をすべて吐き切ってから、息をとめてプール底に座ってみる」です。もし息を吐き切るのが怖いという感情を持っていれば冷静にはできないはずです。

2つ目は「身体をまっすぐに背伸びして水面に浮かんでみる」です。人間は何もしなくたって急には沈みません。ましてや恐怖で動けばなおさら沈んでしまうということは知らないでしょう。

3つ目は「大きく手を回すのをやめてみる」です。

一番効いたのは最初のプロトタイプでした。息を吐き切っても(吐き切ったつもりでも)、子どもでも冷静に10秒くらい水にいられるものです。

何よりも本人は「プールに座れるなんて知らなかった!」と新しい発見にうれしそうです。

こうして「息を吐き切ると苦しくなるという経験のない恐怖」を取り外すことで、その感情が引き起こしているさまざまな行動が一気に解消しました。

こういう考え方は、私の場合、お気に入りの東洋医学からも影響を受けました。西洋医学にとって病気は悪ですが、東洋医学は「人間観察の医学」と言われるように全体のバランスの崩れと理解します。

本人は顔に水がかかるから嫌だとか、沈むのが恐いから浮こうと頑張っているのです。そこに大人が手や肘の角度、水をかくタイミング、動力や抵抗がどうだと言っても理解されないでしょう。

本人の気持ちと異なる問題に対して解決策を提示されても、やらされ感満載です。そのソリューションは利用者視点でつくられてない、普及しないプロダクトなのです。

成功体験で前進

彼女にとっての思い込みからくる前提の多くが解消されたことで「沈まないためにベストな水掻き」から「前進するためのベストな水掻き」へと会話がスムーズに移行しました。

もうこの辺に来ると、本人は「言うこと聞けばうまくなれる」という成功体験を感じているので、真剣に聞き、練習も楽しそうです。

その後も何個かのシンプルなクロールのプロトタイプをテストしたり実装した後、練習ばかりなのもつまらないので「よーし、じゃあ25メートルやってみよう」と言い、よーいドン。

「……」

あれ? 泳げちゃいました?

「途中で足ついた?」

「うーん(違うと言っている)」

「ホントに? 正直に言いな。別にすぐにできなくてもいいんだから」

「ついてないって!(怒)」

「じゃぁもう1回やってみな」

すると、2度目も25メートル泳げてました。あらららら……。デザインシンキングってすごいね。1日どころか、わずか数十分で泳げるようになりました。

こんなにうまくいくとは思ってなかったので拍子抜けしましたが、ともあれ、娘はうれしそうです。

成果の出ない思考の共通点

どうでしょう? ぜひ皆さんも日常で試してみてください。

オフィスで使うより、小さな子どもとのやり取りのほうが絶対に身に付きます。大人同士だと、常識が同じだと思い込んでしまいがちだからです。

そもそも普段のオフィスだと、仕事での常識を前提に事を進めてしまいがちです。土日の子ども相手だと、感情移入しやすいんですね。違うという前提から入れます。

自分の常識とは異なるエクストリームユーザー(極端な特性の人)が新たな視点の手助けをしてくれます。

オフィスの場合「そんな市場どんだけあんだよ」とか「いいんだけどさぁ、そんなのできんの?」とか言ってしまいますよね。

視点が変わって共感スイッチが入るまで、そういう指摘はやめましょう。苦手な人はトレーニングして下さい。

オフィスで簡単に使えるテクニックとしては、従来の思考回路でロジカルに発見した課題を、人間の価値として言い換える練習を繰り返してみましょう。

「クロスセルやアップセルをできるように過去の顧客情報を統合しビッグデータ解析でリコメンデーションする」と言うのはやめましょう。価値は何だと聞かれて「顧客購買単価が上がります」では、イノベーションは絶対に起こりません。

「買い物に費やす時間を減らせる」とか「買い忘れがなくなる」とか「自分の気付かないニーズと出会える」と言い換えてみましょう。

人の顔が浮かび、気持ちが感情移入できるでしょう。それを観察で確かめてみてください。プロトタイプをつくってみてください。

その問題解決が、単にその人の問題を解決するだけのものではないと気づくはずです。目の前の問題から「これは社会を変えるぞ!」と大きな可能性を見つけることができます。それを経済換算し、技術的な問題を詰めましょう。

そんなことわかってても実際の会議では「この会話おかしいなぁ」とあなたが不満に思った矢先に、横から偉い人が「その顧客単価が上がるって、どれくらいの想定?」と食いついちゃったりしますね。

それが問題でなかなか会社は変わらないなら、ぜひその問題をデザインシンキングで解いてみましょう。何度も変わらなかったことだって、今度はやれるはずです。

アイデアはすぐにプロトタイプにしてフィードバックをもらいましょう

アイデアはすぐにプロトタイプにしてフィードバックをもらいましょう

陥りやすい3つの誤解

最後にデザインシンキングについて多くの人が陥る誤解や過ちを書いておこうと思います。多くの企業で共通して感じるのは「プロセス」と「プロトタイプ」と「スピード」です。

デザインプロセスを理解せず、それをアイデア出しと捉えてしまっては、正しく問題を特定することができず、その結果問題が解決できません。これはデザインではありません。

特にアイデア以上に、問題の再定義に気を払いましょう。すべてのプロセスにおいてクリエイティブであり続ける必要はありません。私たちは問題が特定さえできれば解く力は大変高いのです。ユーザーを直視し、別の視点で見えないものを見えるように努めてください。

次に、プロトタイプのないデザインシンキングはデザインシンキングではありません。見て触れてフィードバックができるものが必要です。

プロトタイプを考えるメリット

問題が正しく定義されていればプロトタイプは容易です。ただし、これは完成品をつくるためのものではありません。

間違いや思い込みを早期に見つけ、何も解決しない無駄なアイデアや実装に時間を費やすことを回避するプロセスであり、また何の変哲もない多くのプロトタイプから意外な可能性を見つけ出す再創造のプロセスです。

デザインシンキングのワークショップでプロトタイプがないのは論外ですが、プロトタイプ作成が最後のアウトプットとなるようであっても、その進め方は怪しいと思ったほうがいいでしょう。

プロトタイプは大変重要な要素ですが、デザインプロセスの一部なのです。

品質よりスピード

スピードのないものにイノベーションは生まれません。じっくり観察してもいいですが、問題を明らかにする視点を手に入れたら、すぐにプロトタイプをつくってください。

個々の品質を求めるのではなく、プロセスとスピードに品質を求めましょう。多くの日本人は苦手なはずです。私も苦手です。

これを克服すれば成果につながるデザインシンキングを“日常使い”することが可能になります。

これまで正しいと思っていたことが、今でも本当に正しく有効に機能しているでしょうか。

従来のビジネスシンキングでも多くの問題が解けますが、世の中は課題だらけです。多くの問題を多くのリソースで解決するアプローチをそろそろ見直しましょう。

(文・写真:馬場渉)