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既存の医療システムに革命を

夏野剛と語る、予防医療のゲノム・イノベーション

2016/2/15
個人の疾患リスクや健康状態がわかるゲノム診断。そのコストは飛躍的に低下し、実臨床に同技術の活用が現実的となりつつある。そこで医療サービスを提供するエムスリーは、ゲノム・パーソナル医療の進展をサポートすべく、G-TACを設立した。既存の医療システムを予防医療へとシフトするためには、何が必要なのか。G-TAC社長の植松正太郎氏と、慶應義塾大学特別招聘(しょうへい)教授でNewsPicksプロピッカーの夏野剛氏に予防医療のあり方について聞く。

過渡期にある日本の医療制度

植松:夏野さんは、普段から健康でいるために何か取り組んでいることはありますか?

夏野:僕ね、健康オタクなんです。10年前からトレーナーをつけて運動をしていて。それから、少しでも風邪をひきそうだなと思ったら、すぐにニンニク注射を打つ。人間ドックも毎年欠かさず受けています。人間ドックは、健康に自信がある人の方が受ける傾向にあると思うんだよね。僕なんて、毎年自信満々で受けに行きます。

植松:たしかに、夏野さんみたいにポジティブに生きている人ほど、健康への関心は高いと思います。

夏野:健康オタクだからこそ、日本の医療業界の矛盾は目に付きます。

植松:と言いますと?

夏野:日本の医療制度は過渡期。医者はたくさん診療して保険点数を稼ぎたいから、病気の人が増えた方がビジネスになる。でも人は病気になりたくない。この矛盾がまったく解決できていない。

医療費は40兆円を超えていて、毎年さらに1兆円ずつ増えている現状なのに、内科医療は問診と触診という、主観的でブレがある診療に依存しがち。

それでも、保険が適用されるならお医者さんに診てもらって薬をもらったほうがいいと思う人が大半でしょう。そうなると、医療費は爆発的に増える一方。その解決のカギは、ゲノム診断が握っていると思います。

植松:問診と触診だけでほぼ診断できる疾患もあれば、CTを必要とする疾患もあるので、医師が必要な検査を選んで実施することが大切です。

このとき、医師が患者さんの病歴や体質を把握していれば、問診の精度は上がりますし、必要な検査・治療の選定にも役立つ。こうした理由からゲノム情報は有用であると考えています。

ゲノム医療によって将来的なリスクや、超早期で疾患進行状況の把握ができれば、「病気管理」から「健康管理」の世界がより前進します。

予防医療が進展すれば、なんとなく健康に不安を感じて不用意に病院へ行く人が減り、診断・治療を受けるべき人が病院に通う。結果として、医療費を圧縮できる可能性は大いにありますね。

夏野:その通り。予防医療でコストも時間も圧縮できるはず。治療をすればお金になる仕組みではなく、予防医学の考え方に変えたプラットフォームをつくるべきだと思っています。

アメリカではすでに始まっていて、遺伝学的検査で乳腺切除手術を受けた、アンジェリーナ・ジョリーとかいい例ですね。

植松:そうですね。オバマ政権も国を挙げてゲノム医療を進展させていこうとしています。

夏野 剛 1965年生まれ。NTTドコモ在籍時に「iモード」や「iアプリ」「デコメ」「キッズケータイ」「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げる。2008年にドコモ退社。現在は慶應義塾大学政策・メディア研究科の特別招聘教授を務める傍ら、上場企業6社の取締役を兼任する。

夏野 剛
1965年生まれ。NTTドコモ在籍時に「iモード」や「iアプリ」「デコメ」「キッズケータイ」「おサイフケータイ」などの多くのサービスを立ち上げる。2008年にドコモ退社。現在は慶應義塾大学政策・メディア研究科の特別招聘教授を務める傍ら、上場企業6社の取締役を兼任する。

ゲノム診断は9割に適用できる

植松:ゲノムを診断することのメリットは、病気の予防ができること、病気か病気じゃないかを判定できること、どの薬が効くのかがわかることです。

夏野:それがわかるようになると、診療の精度は格段に上がり、統計学的な処理がしやすくなる。すると病院に通う全患者の8割くらいはゲノムで解決するのでは? 

植松:疾患は遺伝要因と環境要因の組み合わせで決まり、9割の疾患に遺伝要因が関係しているといわれています。ですから、ゲノム医療は9割の疾患に適用できると思っています。

夏野:9割ですか。

植松:はい。ただ、糖尿病や高血圧といった生活習慣に起因する疾患は環境要因の影響が強いので、遺伝要因との組み合わせを見るのは難しいですけど。より遺伝要因の強い疾患、たとえば、患者数が5万人に満たない希少疾病約8000のうち、約4500はゲノム診断で特定が可能です。

もちろん、遺伝要因のみで疾患リスクを読み解くことは、現時点では限界があります。しかし、データに基づいた診療ができれば、より正確な健康管理と治療戦略ができる。重篤になるリスクは減らせると思いますし、病院に行くのは、重篤の場合だけという世界が作れると思います。

ゲノム領域のテクノロジーは、進展が顕著

夏野:ゲノムの世界で特に進んでいる技術はありますか?

植松:私が特に注目しているのは、がんの発見です。現在の画像診断技術は、がんが5ミリ以上ないとわからないし、見落とすリスクもあります。でも最新のバイオ技術を用いた検査なら5ミリ以下でもわかることがある。

たとえば、我々の取り扱っている消化器がんのスクリーニング検査の感度は、約90%になりました。

夏野:既存の画像診断の「代替」とまではいかなくても、「補完」はできるということですね。だけど、その技術を現在の医療システムに取り入れるには、まだ時間がかかるのでは?

植松:それが、医師に対してゲノム医療の情報提供を主とした啓蒙(けいもう)活動を続けたところ、ゲノム医療に前向きに取り組む医師約1万8000人のネットワークができたんです。

夏野:医者も世の中のためになることをしたいと思っていて、イノベーションを待ちこがれている可能性があるということですね。

植松:はい。医師にアンケートを取ると、ほとんどの方がゲノム医療に興味をお持ちでしたが、経験がある方は全体の5%程度でした。でも、きちんとしたエビデンスを提供して啓蒙活動を続ければ、実施のハードルは下がり、実臨床の場に取り入れてくださるものと考えています。

夏野:経験学問だった医療が、テクノロジーに変わるという大きなイノベーションですね。

植松:エムスリーは、そうしたゲノム・パーソナル医療の進展をサポートするために、2015年8月にG-TAC社を設立しました。

この領域は、世界的にも急速に進展していて期待が高まっています。日本でも、国立がんセンター主導の「SCRUM-Japan」というがん遺伝子をスクリーニングして新しい治療薬の開発や病気の研究に役立てるプロジェクトが始まっています。

技術進展も顕著です。2003年は人のゲノムを解明する国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」が完了したタイミングでしたが、1人のゲノム解析に30億ドルと13年もの期間を要しました。これが、2014年時点で1000ドル/1日にまで短縮。これは、かの「ムーアの法則」を上回る技術進展のスピードです。

日本でも大阪大学発のベンチャーが次世代シーケンサーを開発していて、実現すると、10〜100ドル/1時間程度でゲノム解析が可能になるといわれています。

夏野:素晴らしい。技術革新によって不可能が可能になっているのですね。サンプルが増えると新しいパターンが見つかる可能性も高い。これ、統計学の専門家やAIを入れたらもっと発展しそう。

植松:アメリカではIBMワトソンが導入されています。

夏野:やっぱり。そうなりますよね。

植松 正太郎 2007年に学習院大学卒業後、SBIホールディングスに入社。2011年にエムスリーへ。「MR君」を活用した製薬会社向けマーケティング支援サービスや、Web講演会・MR向け支援ツール等の新サービスの立ち上げ・運営に従事。2014年10月より同社にてゲノムビジネスグループを立ち上げ、ゲノム事業を開始。2015年8月のG-TAC株式会社設立とともに、社長に就任。他、ブイキューブとのジョイントベンチャーであるエムキューブ社や、日本最大級の医療情報サイト群を運営するQLife社の取締役を兼任。

植松 正太郎
2007年に学習院大学卒業後、SBIホールディングスに入社。2011年にエムスリーへ。「MR君」を活用した製薬会社向けマーケティング支援サービスや、Web講演会・MR向け支援ツール等の新サービスの立ち上げ・運営に従事。2014年10月より同社にてゲノムビジネスグループを立ち上げ、ゲノム事業を開始。2015年8月のG-TAC株式会社設立とともに、社長に就任。他、ブイキューブとのジョイントベンチャーであるエムキューブ社や、日本最大級の医療情報サイト群を運営するQLife社の取締役を兼任。

ゲノムでストレス状況や日々の健康状態もわかる

夏野:ところで、1回受けるのにいくらかかるのですか?

植松:多少ばらつきがあり、安くて1万円、高いものだと10万円程度です。当社で取り扱いがある検査はいずれも自由診療の領域なので、保険適用の検査に比べるとやや高いかもしれません。

夏野:だけど、人間ドックより安い。しかも、その金額で自分の体のクセがわかるなら安いもんだと思うよ。受けるのは医療機関ですよね?

植松:はい、採血が必要なので医療機関で受けます。それを検査機関で解析して、結果を医療機関に戻すという仕組みですね。

医療機関によって価格にばらつきがあるので、適正な市場価格を形成していくことも我々の役割だと思っています。

夏野:少し前のレーシックみたいだね。ちなみに、ゲノム診断の領域には日本のIT企業も参入していますよね?

植松:そうですね。ただ、我々は医師というプロを介在させることで結果をより正しく把握できるのに対し、他の参入企業は、個人が直接遺伝子検査キットを購入するというものです。

やはり遺伝要因と環境要因の両側面を踏まえて、リスクとベネフィットを正しくお伝えする必要がありますので。

夏野:なるほど、違うのですね。プロが介在するかしないかの違いは大きいでしょうね。医者のネットワークを持っているエムスリーグループならではですね。それなら、まずは人間ドックに売り込んでいけばいいと思うのですが。

植松:まさに、オプションに追加してほしいと交渉しているところです。

夏野:今、人間ドックの項目にはアンチエイジングなんかも加わっているから、案外すんなり追加されるかもしれないね。ゲノム診断は毎年受けた方がいい?

植松:そうですね。基本的に遺伝子は変わりませんが、年齢や環境により変化することもあります。

また、そのときそのときの病気の状況や、ストレス状況がわかります。まだ製品化はされていませんが、鬱(うつ)の症状もデータとして診断できるものもあります。

夏野:鬱の診断も問診が中心だから、データで正確に状態がわかるのは素晴らしい。それに、みんなが毎年受けることでデータが蓄積されて、診断の精度も高まる。

植松:そう思います。それだけでなく、日々の健康情報(脈拍、体重、食事など)とゲノム情報をミックスさせて、健康状態のアドバイスをする研究も進んでいます。

東京医科歯科大学と、エムスリーの関連会社であるP5社は、医師や管理栄養士が介在して健康管理を行うプログラムを実証実験しています。

夏野:ダイエットや体形維持にも役立ちそう。ゲノムは個性だから、自分のことを知るためにも早く受けたいですね。

植松:まさに、最初に受けるのは、夏野さんみたいに健康へのモチベーションが高い人だと思います。まだ保険適用されていないので、受け手のハードルは高いかもしれませんが、選択肢として提供できると思っています。

夏野:いやいや、保険適用しないでいいと思うよ。ある程度コストを払ってでも、最先端の医療技術を体験してみたい人が、まずはやればいい。
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まずは100万人が使うプラットフォームを

植松:iモードを普及させた夏野さんはプラットフォーム作りのプロだと思います。私たちも、まだ日本には存在していない、ゲノム診断のプラットフォーム作りにチャレンジしています。プラットフォームをつくっていくうえで重要なことは何でしょうか。

夏野:参加者に直接的なwinがあることですね。医療に関して言えば、現状のプラットフォームは医療費を削減したい、病気を減らしたいという最終的なゴールは一緒なのに、参加者にとって必ずしもwin-winではないですよね。

たとえば、ゲノム診断を受けた人と受けていない人は医療費が違う、という仕組みを作ったらいいと思う。

ゲノム診断を受けていてもデータを出したくない人は、受けていない人と同じように医療費が高く、データを開示する人は自己負担を安くする。医者もゲノム診断に基づいた診療をすると保険点数が高いとかね。自己負担でゲノム診断を受ける・受けないの選択をして、そのデータは個人が管理し、使うか使わないかも個人が選択すればいい。

そういう前提で、ゲノム診断を受けたらメリットがたくさんあるような法制度ができると理想的ですね。

とはいえ、今の医療の仕組みは、本当に困っている人には価値があるから、それを生かしつつ、フリーライダーをいかに減らすかを考える。自己負担でやる人とやらない人が並存できる世界をめざすべきだと思う。

ETCもようやく安くなったけど、最初は導入した人が損をする仕組みだったんです。

植松:確かにそうですね。導入にお金がかかるだけでした。

夏野:そう。ファーストムーバーアドバンテージをどうするかが重要で、アーリーアダプターに得な世界を作ればいいと思う。どんなものでも、新しいことを始めようとすると反感を買うもの。でもアーリーアダプターが使い始めてクリティカルマスに達すると、多くの人が「それ欲しい」と言いだす。

だから最初の100万人にどう使ってもらうかを考えるのが大切でしょう。100万人がいいと言って使い始めたら1億人が見えてくる。まずは100万人を達成できる仕組みを作ることが重要だね。

植松:ありがとうございます、とても参考になります。

夏野:ゲノム診断をしてみたい人はたくさんいると思うから、とにかく早く手に入る環境を作ってほしい。提携した医院を大々的に告知したら、そこにアーリーアダプターが殺到するんじゃないかな。

植松:提携医院は20を超え、直近で50施設が見えています。今日(2月15日)オープンしたWEBサイトにリスト化されているので、ぜひ見てください。

夏野:もちろん。ぜひゲノム医療で、日本の医療業界にイノベーションが起きるのを期待しています。

(構成:田村朋美、写真:福田俊介)

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