社長と経営者は違う。その差はなにか - エステー会長 鈴木喬
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注目のコメント
経営の現実、こういうものだと思う。常に矛盾があるなかで「見切り」(判断・責任)がすべて。老害や同族経営含めた後継者についてなど、かなり本心の感情の吐露に見えるし、それくらい経営者というのは大変な仕事だと思う。
下記は、自分の職業ゆえに気になる一言。とても同意する部分が多く、そんな的確な戦略があるならとっくに打っているし、打てていないなら何らかの理由があると基本的に考える。逆に外部者から見て明らかに非合理なことをやっているのであれば、それは相当に経営が劣化しているか、奇策ゆえに当たれば大きくなる可能性もあること。
『しかしアナリストやマスコミは、「的確な戦略を打て」みたいなことを言う。しかし逆説的に言えば、相手があるのだから戦略は有効ではない。つまり相手も戦略を持ち、その手の内が分からなければ、こちらの戦略は有効にならないのだ。そもそも世の中がどうなるか分からない。それぐらい現代は見えない時代だ。』私の中で、老害の定義は「過去の経験にすがり、変化を受け入れない人々」
そういう意味では、このエステー会長 鈴木さんは全く老害ではない。
戦国時代という認識があるのか、という問いがその最たる例。状況は寝てる間にも刻一刻と確実に変化している。
過去の成功・失敗体験から学びを抽出し、変化をとらえた上で、実行する。変化を捉えなければ、体験からの学びも無価値。
今と昔を比べると、大きく違うのは、ニーズの多様化と情報伝達の速度。日に日に市場は変化し、その変化に顧客は機敏に反応している。
この様な状況下において、戦略はほぼ無価値だと思う。
戦略を立てるにはある程度の前提条件が必要。
しかし、その前提条件すら3日後には崩れ去るのが現状。実行までの速度を速め、実行しながら学び、計画に修正をかける。その為には、計画をある程度冗長化しておく必要がある。
過去の経験が無価値、だと言いたいわけではない。
それはそれで素晴らしい。ただ、それにだけ縋るのはナンセンス。すごくおっしゃっていることがわかる。
私の父親はオーナー経営者で一代で会社を上場まで持っていったが、たぶん本当に話し相手ができるのは、私の母親だけだと思う。
私の父親は、日々葛藤して悩んでいる。たぶん従業員からは、喜怒哀楽の激しい元気でうるさいジジイだなあと思われていると思うし、そんな姿は普段はおくびも出さないので驚くかもしれないが、経営者は孤独で小心者だと、私は父親から教わっている。