ホークスの経営戦略【11回】
元鷹戦士のセカンドキャリア。営業マンとして生きる武器
2016/1/27
元プロ野球選手が球団職員として働いているケースは珍しくない。だが、大体の場合はチーム広報やチーム運営など、いわゆる選手周り(選手と直接やりとりを行うなど現場に近い部門や役割)を任されることが多い。
そんな中、元ホークス投手の高橋徹さんはバリっとスーツを着こなす営業マンだ。
「第1営業部と第2営業部は全国や九州全体に向けたお客さまへ。僕がいる第3営業部は地元福岡のお客さまが担当なんです」と名刺を渡してくれた。
高校時代は涌井、田澤と並ぶ注目
182cmの長身ですらりとした体形は今も変わらない。高橋さんは横浜創学館高校時代に甲子園出場こそならなかったが、140キロ強のストレートと速球に近いスピードで鋭く落ちるスプリットを武器とした右ピッチャーだった。
同じ神奈川の同級生である涌井秀章(当時横浜高校、現千葉ロッテマリーンズ)や田澤純一(当時横浜商大高校、現ボストン・レッドソックス)と名を連ねるほど注目された。また、母校の2学年下には埼玉西武ライオンズのヒットメーカーである秋山翔吾がいた。
野球しかしてこなかった人生
2004年秋、ドラフト3位でホークスに指名されプロ野球選手になった。だが、頂点の世界は厳しく、ファームで最多勝に輝いた実績はあるものの1軍登板は2010年の2試合のみ。1軍未勝利のまま、ついに翌年の2011年オフ、来季の契約更新をしない旨を告げられた。
「よくいわれることですが、野球選手は小さな頃から野球しかしてこなかったので、戦力外となったときはもう頭が真っ白。どうしていいのかわからなかった」
「ただ、ホークスでは僕をはじめ、毎年何人かの戦力外選手に、グループ会社への就職を紹介してくれるんです。最初は悩み、アメリカに渡りアリゾナでのウインターリーグに挑戦するなどして野球を続ける道を探りましたが、痛めていた右肩がどうにもならなくなって帰国。その頃にはもう家族がいたので、決断して、2012年5月にソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)へ入社しました」
元プロ野球選手の強みと課題
高橋さんのセカンドキャリアは、量販店での携帯電話販売員からスタートした。勤務地は名古屋。特に縁のある土地ではなく、何よりも新しい世界に最初は苦戦の日々だった。
「わからないことだらけでした(苦笑)。パソコンの使い方はもちろん、一般的な礼儀作法や言葉遣いから勉強しなければなりませんでした」
それでも野球選手はガッツと体力が持ち味。着実にスキルも成果も上げ、充実感も得られるようになっていった。
ただ、どのようなかたちでも野球に関わりたいという気持ちはずっと胸の中にあった。
「昨年、ソフトバンクグループ内を対象とした社員募集の中にホークスを見つけて応募しました」
ホークスでも営業系の職種を希望した。
「自分の経験を生かせる場所だと思ったからです」
ホークス愛を感じられる仕事
昨年12月1日付でホークスの球団職員として再出発。第3営業部での主な役割は、ヤフオクドームの年間予約席の販売だ。現在の先輩が担当していた一部を受け継ぎ、2016年分の継続購入をお願いするルートセールスを行う。それと並行して新規購入のセールスもお願いして回る。
「電話でアポを取ることもありますが、飛び込みも多いですね。電話だと断られたら終わり。まずはお顔を合わせることが大切ですから」
元選手であることはあまり気づかれないというが、それでも何度か「あれ? もしかして」と目を丸くされた。
「購入は断られることがほとんどです。決して安い買い物じゃないですから。でも、『ホークスですが……』と訪ねていって、嫌な顔をされることはありません。本当にありがたいです。それに、僕が元選手だとわかると、話がまた盛り上がります。野球が好きな人がたくさんいて、ホークスが愛されている。ホークスで野球選手だった僕にとって、こんなうれしいことはありません」
グラウンド外で生きる選手経験
入社2カ月でようやく念願の「新規契約1号」の締結寸前だと、高橋さんは目を細めた。
「僕はプレーでチームに貢献できませんでしたが、この仕事で『君から買ったチケットのおかげですごく楽しめたよ』とお客さまに喜んでいただくことが目標になっています」
グラウンドの外からたくさんの笑顔をつくりたい。次なる人生にも生きがいを見つけた高橋さんの表情もまた、生き生きとしていた。
(撮影:田尻耕太郎)