スポーツ_tokushige_0120.002

鹿児島ユナイテッドFC 徳重剛代表インタビュー(後編)

J1優勝は最終目標にあらず。鹿児島ユナイテッドの100年構想

2016/1/20

情熱から生まれたうねりは鹿児島サッカー界を一つにし、その象徴として鹿児島ユナイテッドFCが誕生した。

鹿児島県初となるJリーグクラブは、2016年からついにJ3に参戦する。夢にまで描いた大舞台で、さらなるうねりを生み出すことはできるのだろうか。

FC KAGOSHIMAとヴォルカ鹿児島の統合を推し進めて鹿児島ユナイテッド誕生の立役者となり、現在はクラブ代表を務める徳重剛が、新たなる戦いへの期待を語った。

前編:代表は公認会計士。鹿児島に悲願のJリーグクラブが生まれるまで
中編:鹿児島初のJリーグクラブ、政財界を巻き込んだ統合劇
徳重 剛(とくしげ・つよし) 1977年鹿児島県生まれ。上智大学在学中に体育会サッカー部の主将を務める。卒業後に公認会計士試験に合格し、監査法人トーマツに入社。2008年に同社を退社して、徳重剛公認会計士事務所を設立。2010年からFC KAGOSHIMAの代表を務め、2013年に同クラブとヴォルカ鹿児島が統合して生まれた鹿児島ユナイテッドFCの代表に就任した。同クラブは、鹿児島県で初めてJリーグ加盟が承認され、2016年シーズンからJ3に参入する

徳重 剛(とくしげ・つよし)
1977年鹿児島県生まれ。上智大学在学中に体育会サッカー部の主将を務める。卒業後に公認会計士試験に合格し、監査法人トーマツに入社。2008年に同社を退社して、徳重剛公認会計士事務所を設立。2010年からFC KAGOSHIMAの代表を務め、2013年に同クラブとヴォルカ鹿児島が統合して生まれた鹿児島ユナイテッドFCの代表に就任した。同クラブは、鹿児島県で初めてJリーグ加盟が承認され、2016年シーズンからJ3に参入する

鹿児島ユナイテッドの未来予想図

──鹿児島ユナイテッドFCは今年からJ3に参戦します。徳重さんが2008年から抱いていた「鹿児島にJリーグのクラブをつくる」という思いが実現したことになりますが、今後の未来予想図はどのように描いているのでしょうか。

徳重:よく聞かれることで、実際に「1年でJ2昇格」や「2年でJ1入り」ということを期待されることが多いです。しかし、一方で「何年以内に昇格」という考え方には、危うさもあると感じています。

──詳しく教えてください。

もちろん選手やスタッフは毎シーズン優勝を目指していますから、それを否定しているわけではありません。これまでもJリーグに参入することを目標に、クラブとして利益を出すということよりも、まず勝利へのモチベーションが高くありました。その時点で強いチームをいかにしてつくりあげるのか。そのことだけに注力してきたと言えます。

ただ、これからはどのようなクラブをかたちづくっていくのかが、課題だと考えています。仮にJ1昇格を果たしたとしても、翌年に降格してはあまり意味がありません。それよりも、クラブとしてより良い環境を整えていくことで、その結果として昇格を果たしていきたいですね。

そのために僕らが具体的にやるべきなのは、しっかりとクラブの哲学を固め、観客動員数を毎年着実に増やしていくこと。この考え方を鹿児島県民の皆さんに理解していただき、浸透させていくことです。

クラブ哲学を県民に浸透させる

──FC KAGOSHIMAの立ち上げからヴォルカ鹿児島との統合など、Jリーグ参入までにもさまざまな紆余曲折がありましたからね。

クラブのスタッフによく言うことは、「勝っているからというだけで入場者数が増えているのは一番危ない」ということです。

──勝てなくなった瞬間に、お客さんが離れてしまう。

もちろん、それはスポーツビジネスとして当然の流れでもあります。勝つことで観客動員数が増え、入場料収入が増加する。そのことで選手により良いサポートができ、さらに強いチームをつくることができる。そういうスポーツビジネスにおける一般的なサイクルは確かにあります。

一方で、チームの強さに関係ないところで、いかにお客さんを増やしていくのかを常に考えていなければなりません。「日本一になる」という大きい夢はありますが、「何年以内に達成する」と期限を設定してしまうと、勝ち負けに一喜一憂するだけになってしまいます。

──なるほど。

それよりも評価基準が明確になるようなクラブの哲学を固めていき、県民の皆さんに理解していただくことが大事だと思っています。ただ、言葉には力がありますので、たとえば「10年でJ1優勝」というわかりやすい言葉のほうが、皆さんに響いたりしますから難しいところではありますね。

100年間での成長を考える

──ジレンマがあるわけですね。

ゼロからクラブを立ち上げると、陥りやすいジレンマだと思います。毎年着実にやっていきながら、周囲を焦らせないようにどのようにコントロールしていくかがポイントになっていきます。

現在も「鹿児島をスポーツで盛り上げること」というクラブの理念がありますが、それをより明確化していきたいですね。「J1優勝」という目標もチャレンジすべきことではありますが、優勝以降のことも考えなくてはいけません。1度の優勝だけで一過性に終わってしまうのではなく、クラブとしてどのようにこの100年間で成長していくのかというイメージになります。

──Jリーグで優勝することが最終目標ではない。

優勝して終わりではないことを、どのように理解していただくかですね。2008年に通っていた多摩大学大学院のスポーツマネジメントスクールで、広瀬一郎さんの「成果と過程を混同するな」という教えで学んだことでもあります。目標を達成しようとしたとき、何のためにやっているかを考えなければなりません。

僕たちは「鹿児島をスポーツで盛り上げること」が目標であって、1度優勝することが目標ではありません。「今は何のために、何をやっているのか」。広瀬さんから学んだことでも、そのことは最も心に残っています。

鹿児島市の人口は約60万人。全国屈指のサッカーどころで、輩出したプロ選手も数多い。徳重はさらなる可能性を熱っぽく語った

鹿児島市の人口は約60万人。全国屈指のサッカーどころで、輩出したプロ選手も数多い。徳重はさらなる可能性を熱っぽく語った

世界各地に存在する鹿児島県人会

──数々のエピソードから、鹿児島の情熱とサッカークラブに対する思いが伝わってきます。

鹿児島は出身者の親睦団体である県人会が本当に盛んです。日本全国はもちろん海外にもあるほどで、東京だけでも300弱の県人会が存在しています。チーム発足当時は関東の県人会を訪れて、「鹿児島にJリーグのクラブをつくるので、応援してください」とお願いしていました。

そうしたら、JFL時代に東京の横河武蔵野FC(現東京武蔵野シティフットボールクラブ)と対戦したときに、約1000人の観客の約半分が鹿児島出身者だったということもありました。

──ホームといえるような感覚だったと思います。

今までもそうでしたが、たとえばJ3ではグルージャ盛岡とアウェイで対戦するときは、岩手の鹿児島県人会に声をかけ、チームを応援してもらうこともできる。試合は県人会の皆さんにとって、交流会を開くきっかけになるかもしれません。

実際にFC KAGOSHIMA時代に青森で全国地域リーグ決勝大会を戦ったとき、青森で居酒屋を経営している鹿児島出身の方など多くの方々が応援に来てくれました。チームも勝利すると、試合後はその居酒屋でいきなり祝勝会をやったこともありました。

──コミュニティづくりにも一役買えそうですね。

県人会の数が多いように、出身者は鹿児島のことが大好きなんです。ですから、関西で試合をするときは関西の鹿児島県人会の方に観戦してもらうような、アウェイ戦でも出身者が応援できる枠組みをつくりたいです。それは、クラブ発足当時から話していたことでもありました。

日本サッカーに維新の風は吹くか

──鹿児島県ということですから、ぜひ明治維新を担った薩摩の偉人たちのように、鹿児島から日本サッカーを活気づけてほしいという期待も込めてしまいます。

薩摩ということもあり、鹿児島は全国各地と歴史上のつながりが多くありますからね。Jリーグ入りしたことで、歴史ダービーというべきか、さまざまな因縁の対決も多くなりそうです。

特に福島とは、幕末の戊辰戦争や薩摩藩と会津藩における関係性があります。実はJリーグ入会が承認された当日である昨年の11月17日に、福島ユナイテッドFCを応援されていると思われる方から事務所に電話がかかってきたことがありました。

何かと思って電話に出てみると、怒った声で「福島と鹿児島の歴史を知っているんだろうな」と。「クラブ名まで似せているだろ」と抗議されましたよ。

──Jリーグ入会に際して、いきなり宣戦布告が来たということですか。

やはり、福島には鹿児島に特別な思いを抱いている方もいるのではないでしょうか。そういう因縁もありますから、J3で福島ユナイテッドFCと対戦するときは、お互いにかなり盛り上がるのではないかと思っています。

──楽しみですね。日本の歴史も巻き込みながら、ぜひサッカー界を盛り上げてほしいです。

見てくださる方々には、ぜひそういう部分も楽しんでいただければと思っています。

(写真:福田俊介)