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年額150万、限界の生活

「下流老人」はなぜ社会問題化しているか

2016/1/18
現在、日本国内に600万から700万人いるとされる「下流老人」。彼らはなぜ、生活保護レベルの苦しい生活を強いられているのか。日本人の平均年収を稼ぐサラリーマンにとっても他人事ではないこの現実について、『下流老人』(朝日新聞出版)著者の藤田孝典氏に話を伺った。

ベストセラー『下流老人』の衝撃

20万部突破(2015年12月現在)のベストセラー『下流老人』のコンセプトは明快だ。

普通の生活を送ることができず“下流”の生活を強いられている老人のことで、定義は「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」である。

首都圏に住む一人暮らしの高齢者の場合、生活保護費は月額約13万円(自治体や世帯員などの条件によって支給額は異なる)。年額にすると150万円前後。年金などを含めた収入がこのラインと同程度であれば、“生活保護レベル”の暮らしを余儀なくされているといえる。

現在、日本にはそんな下流老人が推定600万~700万人はいるという。衝撃的なのは、現役時の収入が日本人の平均年収である400万円前後のサラリーマンでも、下流老人に落ちてしまうリスクを指摘していることだ。

つまり、本書は誰にでも起こりうる問題を指摘した、日本社会への警告の書なのである。

著者の藤田孝典氏は、現在33歳。下流老人を含めた生活困難者の支援を行うNPO法人、ほっとプラスの代表理事を含め、埼玉県を中心に活動する。

日々の支援業務に加え、講演や取材で多忙の毎日を送る藤田氏だが、船橋市(千葉県)で講演を終えたところを待ち構えて付近のファミレスに連れ出し、ようやく取材を行うことができた。

年金だけでは暮らせない

──会社員が老後にもらえる年金は現在で月平均16万円程度。厚生年金に未加入の時期がある人や、自営業者はもっと少ないことになります。国民年金しか収入の手段がなければ、月々約6万円で生きていかなければならない。持ち家がなく、賃貸暮らしだったら、日々の食費にも苦労するほど生活が困窮してしまうことは容易に想像できます。

さらに、病気や事故など「想定外」のリスクに見舞われれば、ほぼ自力での生活は不可能になるでしょう。そもそも日本は、こんなに年金の少ない国だったとは……。今までなぜ、こうした実態があまり指摘されてこなかったのでしょうか。

藤田:ある意味でその問いに対する答えは簡単です。かつては年金に対する依存度がそれほど高くなかったからです。子どもが親と同居したり、仕送りして扶助するのが当たり前という価値観があった。

ところが現在では、息子世代のほうにもそんな余裕がなくなっている。事実、賃金労働者に占める非正規雇用者の割合は4割にも上ります。子どもが親の老後の面倒を見るのが困難な時代になっているのです。

──『下流老人』に書かれているとおり、日本は「家族扶養」を前提とした社会扶養モデルで、もともと高齢者が年金だけで暮らせる制度設計になっていなかった。

「家族扶養」が前提だったことに加え、昔はご近所付き合いもありましたよね。また現役時代に貯蓄や持ち家を奨励することで、ごまかされてきた部分もあったんです。

個人に株式投資を奨める風潮もありましたが、リーマン・ショックで大きな損を出してしまい、結局、年金頼みの生活になってしまった。そういう人が私の相談者の中にもいます。

──厚生年金の受給額は現役時の給与に比例します。つまり、サラリーマンであればたくさん稼いだ人ほど、将来の年金受給額が増えるわけです。ただ、近ごろは正社員でも給料は何年も据え置き……そんな会社も多い。さらに少子高齢化で、世代を経るごとに年金受給額が減らされていくことは明らかです。こうなると、ダブルパンチですね。

これまでは企業が国の社会福祉制度の肩代わりをしてきました。社宅というのは、まさに国がやるべき住宅政策そのものです。企業が出す家族への扶養手当にしても、教育費に回してきた家庭は多いはず。

しかし、近年はこうした各種の手当を廃止する企業が増えています。さらに、先ほどもいったように、従来の企業福祉のレールにすら乗れない非正規雇用者が増えている。

──従業員を締め上げるだけで利益を還元しない“ブラック企業”も問題になっています。近ごろは企業の不祥事のニュースも絶えません。戦後の復興に日本人の精神の再生を懸けた昭和の名経営者のエートスはどこに行ってしまったのか、という気がします。

そもそも高齢化社会というのは、企業に頼れない人びとが増えていく社会のことです。そうした人たちの面倒を誰が見るのか、という課題はますます深刻化していくでしょう。

──家族にも企業にも頼れない、となれば、残るのは地域社会ですが……。

その地域社会もすでに崩壊しています。家族の再生に加え、地域の再生はとくに保守層を中心に10年以上言われてきたことですが、残念ながら、みるべき成果はほとんどなかった、といっていいでしょう。

実際、下流老人の特徴の一つは、困ったときに相談できる人が近隣にいないことです(いわゆる「関係性の貧困」という状態)。一人で何もすることがなく、部屋でずっとテレビを見ていたり、1日中誰とも会話がない、なんていう状態は下流老人にはよくあることです。

そして、このような社会的孤立は多くのリスクを生じさせる。生活に困窮しても助けを求められず、振り込め詐欺など、犯罪の被害にも遭いやすいのです。特に持病のある高齢者は、倒れてもそのまま発見されず、手遅れになってしまうケースがあります。

低所得者向けの公営住宅の整備を急げ

──本書を読んで、下流老人を救うには、低予算で住める住居を政府が大量に供給するのが一番有効だと感じました。とりあえず住まいだけでも確保できれば、収入が年金だけしかなくても、お金がなくて病院に行けないような当面の危機は避けられるはずです。

そのとおりです。相談者の中にも「家賃だけで年金のほとんどが消えてしまう」という人があまりにも多い。地方では先祖代々の持ち家に住んでいる人も多く、地域社会も都会に比べればまだ機能していますから、たとえ年金だけでも生存できる確率は高まります。

問題は都市部、とくに首都圏の老人です。ワンルームでも家賃はそれなりにしますし、生きるにはそのほかの生活費を切り詰めるしかない。

はっきり言って、日本の住宅政策は遅れています。まず行なうべきは、低所得者のための公営住宅の整備です。現状に比して、圧倒的に数が足りていません。あるいは、家賃の補助制度の導入。どちらもない国というのは、先進国では日本ぐらいです。

──景気浮揚という面もあるのでしょうが、これだけ空き家が問題になっているのに、日本の住宅政策はいまだに新築中心になっているのも不可解です。

空き家の活用がこれからポイントになるのは間違いありません。たとえば、空き家のオーナーには固定資産税の免除など税制上の優遇措置を行なう代わりに、安い家賃で物件を提供してもらう。

1万円、2万円で家を貸すような持ち主は、市場原理の発想からは絶対に出てきません。低所得者向けの住宅はまったく足りていないのですから、そこは政府が予算を投下していくしかない。市場原理に任せすぎると、貧困ビジネスがはびこることになります。

下流老人に忍び寄る貧困ビジネス

──貧困ビジネスの一つとして『下流老人』には「無料低額宿泊所」の実態が紹介されています。その恐るべき手口と倫理観の欠如には戦慄(せんりつ)させられました。

「無料低額宿泊所」とは、簡単にいえば、住む家のない生活困窮者に、一時的に安価に利用できる部屋を提供する事業者を指します。この宿泊所は届け出をするだけで、誰でも比較的簡単に開所できるため、近年さまざまな事業者が参入しています。

しかし、高額な施設利用料や劣悪な居住環境、粗末な食事、運営者への不満、転居支援を含めた自立支援の少なさなど、問題は多岐にわたります。

一部の宿泊所では、運営者による暴言や虐待があったり、無断で通帳をつくって口座を管理されているケースもあります。運営者に生活保護費の7~8割を持って行かれるうえ、口座を押さえられているため、脱出したくてもそのための資金を貯めることができない。

──愚問を承知で聞きますが、違法な形態の宿泊所が増えてしまう原因は?

行政が用意した施設に入りきれないぐらい貧困者がいるためです。多少、劣悪な環境でも屋根がないよりまし、という貧困者に目を付けた貧困ビジネスがはびこってしまうわけです。繰り返しますが、市場原理に任せた結果が、現在の姿なのです。

(聞き手・構成:Voice編集部 永田貴之)

*続きは明日掲載します。
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