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元日本代表が語るクラブ創設理由

「決め手は育成」高原直泰がサッカークラブを創設した理由

2015/12/8

2015年12月7日、沖縄の新サッカークラブ「沖縄SV(オキナワ・エスファウ)」の設立記者会見が開かれた。

新クラブは元サッカー日本代表の高原直泰が代表を務め、正式名称の「沖縄Sport-Verein(オキナワ・シュポルト・フェァアイン)」は高原自身が長くプレーしたドイツで、「沖縄スポーツクラブ」を意味する。

今シーズンをJ3のSC相模原でプレーした高原は、来季から沖縄県3部リーグに参戦する新クラブで、監督兼選手として新たな挑戦を始める。沖縄県内で行われた会見に、かつて自身の代理人を務め、新クラブのアドバイザーを務めるトーマス・クロート氏とともに出席し、新クラブ設立の経緯や将来像について語った。

高原直泰(たかはら・なおひろ) 1979年生まれ。静岡県出身。清水東高校から1998年にジュビロ磐田に加入して、FWとして活躍。各年代別日本代表に選出され、1999年のワールドユース(当時)では準優勝、2000年のシドニー五輪では8強入りに貢献した。2006年のドイツW杯では3試合に出場。海外クラブの在籍期間も長く、アルゼンチン、ドイツ、韓国の3カ国でプレー。今季はJ3のSC相模原に所属し、リーグ戦33試合に出場して6ゴールを挙げていた

高原直泰(たかはら・なおひろ)
1979年生まれ。静岡県出身。清水東高校から1998年にジュビロ磐田に加入して、FWとして活躍。各年代別日本代表に選出され、1999年のワールドユース(当時)では準優勝、2000年のシドニー五輪では8強入りに貢献した。2006年のドイツW杯では3試合に出場。海外クラブの在籍期間も長く、アルゼンチン、ドイツ、韓国の3カ国でプレー。今季はJ3のSC相模原に所属し、リーグ戦33試合に出場して6ゴールを挙げていた

きっかけは新会社の設立

高原:皆さん、こんにちは。高原直泰です。このたび沖縄に新たなサッカーチーム「沖縄SV」、正式名は「沖縄Sport-Verein」。「オキナワ・シュポルト・フェァアイン」を設立させていただきました。

──なぜ、新しいクラブを立ち上げようと思ったのか。

きっかけは、今年6月に元ラグビー選手の福永昇三さんと柔道家の野村忠宏さんの3人でアスリートアイランドという新会社を立ち上げたことでした。

沖縄で子どもたちの育成をしつつ、世界を目指す選手を育てる新しいスポーツトレーニング施設やアカデミーをつくることができないかというところからスタートしました。

プロジェクトを進めるにあたり、モデルケースとしてサッカーチームを立ち上げてくれないかという依頼がありました。ただ、自分の所属チーム(SC相模原)のこともあり、今後のサッカー人生もある。話を聞いたときは二つ返事で承諾とはなりませんでした。ただ、沖縄のサッカー関係者の話を聞いて現状がよくわかりました。

──どういった現状だったのか。

育成者年代の指導者から聞いたのは、「沖縄からはいい選手が多く出ている。しかし、沖縄県内に受け皿がないため全員が県外へ行ってしまう」ということ。それに対して、「非常に悔しい思いをしている」と。

一方で、自分自身がドイツでプレーしていたときから、育成の学校やアカデミーをつくり、世界に羽ばたいていく選手を育てていきたいという夢がありました。今回、話をいただいて育成やアカデミーについてはもちろん、若い選手たちをさらに上に引き上げ、自分たちのチームが彼らの目標になるようにしていきたいと思いました。

非常に考えましたが、沖縄の地に飛び込んで地元の皆さんとともに、新たな素晴らしいチームをつくっていきたい。将来的に世界に羽ばたくアスリートとして、1人の社会人として選手たちを育てていけたらと思い、その受け皿をつくりたく、新チームの話を受けました。

悩んだ結果、決め手となった夢

──決断をするには悩まれましたか。

正直、悩みました。サッカー選手としての自分もあり、選手としてプレーできるのは残り数年。その中で、新たなチャレンジをするべきかどうかと。

──悩んだ中で決め手となったのは何だったか。

自分がもともと持っていた夢、育成面ですね。それと、自分がプレーできているうちにやったほうがいいと思いました。育成面を考えれば自分も一緒にプレーできるほうがいい。アスリートとして関わりを持ちながら育成できることもいいと思いました。

──これからもプレーすることで、どういうチームをつくっていくつもりか。

正直な話、選手はまだ僕だけです(笑)。もちろんどういうチームをつくるか理想はあります。このチームに来てくれる選手たちで、どのようなサッカーをやれるかをしっかり考えていくことが大事です。

これからセレクションをやっていきます。自分の眼で、ともに戦っていける選手を見極めていきます。

沖縄全域で盛り上げていきたい

──チームの拠点はどこか。

沖縄の東側であるうるま市と金武町(きんちょう)、宜野座村(ぎのざそん)となっています。ただ本拠地は沖縄の金武湾(きんわん)を取り囲む環金武湾(かんきんわん)地域ですが、沖縄全域がホームタウンだと思って活動していきます。離島を含めた沖縄全域でこのサッカーチームを盛り上げて、県全体を活性化していきたいです。

──実際にうるま市を視察したのか。

何度も足を運びましたが、素晴らしい環境でした。まだ選手は自分1人だけですが、非常にワクワクしています。

──アドバイサーであるクロート氏に質問します。高原氏が新チームを立ち上げると聞いて驚かれたのでは。

クロート:最初に話を聞いたとき、私にとっても大きなサプライズでした。高原選手がドイツから帰国してからもコンタクトは途切れることなく、関係は常に続いていました。

一緒に食事をして「将来はどうするのか?」という話をしたとき、高原選手が「育成に携わりたい。監督をやりたい」と言ったことを覚えています。

将来的には、ほかの競技の仕事も始めていくと聞いています。最初の一歩としてサッカーチームをつくるとき、高原選手は今までの経験を生かしてくれると思う。

高原選手が言った「子どものために何かやりたい」ということは非常に重要。サッカー選手に限らず、スポーツ選手で成功を収めた人間の義務だと思っているからです。今まで得た経験を下の世代に伝えていく。ここまで一流の選手としてプレーしてきた人間にとってそれは義務になります。

──クロート氏は、新チームと沖縄の子どもたちのため、どのようなサポートをしていきたいと考えているのか。

数年前にドイツのハンブルガーSVやバイエルン・ミュンヘン、最近はボルシア・ドルトムントをフレンドリーマッチのために日本に呼ぶことができた。

私の中にある1つのプランですが、ドイツのクラブが天候のいい沖縄でキャンプするという構想があります。また、沖縄でテストマッチも開催させたい。

また、長年サッカーの世界で仕事をしてきたので、沖縄の子どもたちを短期でもドイツやヨーロッパのクラブの選手と交換留学をさせたい。それ以外も高原選手と今まで通り話し合っていきたい。

旧知の間であるクロート氏(右)とともに、新たな挑戦に臨む

旧知の間柄であるクロート氏(右)とともに、新たな挑戦に臨む

来季は監督兼選手

──高原氏に聞きます。これだけ多くの期待がかかっていますが、現在の心境はどうか。

高原:かなりプレッシャーがかかっています(笑)。自分がやらなければいけないという気持ちで、身が引き締まる思い。しかし、非常に楽しみにしています。さまざまな想像はしていますが、目に見えるかたちで実現していきます。不安はありません。

──チームのビジョンを聞かせてほしい。

沖縄SVは来季、沖縄県3部リーグから挑戦を始めます。なぜ一番下のカテゴリから始めるのかと思われるかもしれません。ただ、僕は地域の皆さんとしっかり密着して一つひとつチームをつくっていく。

自分たちだけでなく、地域の皆さんとともにチームを強くしていきたいという強い思いがあります。

どこかのチームに取って代わってスタートすることは一切考えませんでした。僕自身も、来季1年は監督兼選手としてやらせていただきます。

──沖縄県民だけでなく、日本中のサッカーファンが注目している。決意を聞かせてほしい。

来年、沖縄県うるま市に引っ越します。そういった覚悟で臨みます。今回のプロジェクトは、到底自分1人だけではできないこと。地域の皆さん、沖縄の皆さん、そしてサッカーが大好きな全国の皆さんにぜひ高原直泰を応援してほしいと思っています。

そして今後の自分の活動に注目してほしいです。これからよろしくお願いいたします。

(写真:上野直彦)