バナーかな

今後の小児医療とは

【慎泰俊×五十嵐隆】日本の小児医療が抱える課題と今後の変化

2015/11/20
プロピッカーでNPO法人Living in Peace代表・慎泰俊氏が、社会的課題の解決のために各界で活躍しているトップランナーと対談する新連載「ソーシャル・イシューのリアル」。
第1回は、日本小児科学会会長で、国立成育医療研究センターの理事長を務める五十嵐隆氏が登場。同センターが2016年4月に開設予定の子どもホスピス「もみじの家」や、日本の小児医療の現状と課題について語り合った。
前編:小児医療をめぐる先進国共通の課題とは

日本が抱えている課題

:日本小児科学会の会長でもある五十嵐先生に、世界から見た日本の小児医療について伺いたいと思います。

数字だけでみれば、日本の小児医療の水準は非常に高いです。10歳未満の死亡率はスウェーデンの0.25%についで0.29%と世界2位。Save the ChildrenのChild Development Index(健康、教育、栄養の3大要素と5歳未満の死亡率、就学率などで評価)では世界1位です。この結果には、何が貢献してきたのでしょうか。

五十嵐:戦後以来、医療関係者の努力で医療水準が上がったことなど、いろいろな要素がありますが、一番貢献したのは国民皆保険制度だと思います。国民が比較的安価に一定の水準以上の治療を受けられるわが国の保険制度は、世界に冠たるものです。

そして、日本では国による子どもの重い病気に対する支援も大きいと思います。小児慢性特定疾病(国が指定した子どもの慢性疾患)は、小児がんなど、704疾病が対象となっています。患者10万人当たりの1~19歳の死亡率は1974年には10.46でしたが、今では3.44まで改善しています。

もちろん、現在でも課題があります。日本全国で均一かつ高度な治療が提供されているかといえば、そうは言えないですよね。地域間格差があります。また、小児慢性特定疾病や指定難病に関しても、対象疾患が不十分なところがあります。小児科学会として、指定難病の数を増やすように国にお願いしているところです。

こうした中で、日本が懸念すべき点としては、子どものメンタル問題が挙げられると思います。「UNICEF Innocenti Research Centre」の調査によると、他の先進国に比べて日常生活でさびしいと感じる15歳の子どもの割合が10%と高い水準にあります。これは思春期医療の整備が遅れていることと合わせて、日本社会の問題であることを意味していると思います。

この件に関しては、アメリカの取り組みが参考になります。「Bright Futures」というスローガンの下、子どもが3歳から21歳になるまで毎年1回、かかりつけ医が個別検診をする制度があります。子どもの頃から医師と身近な関係ができており、思春期の心と体の悩みをすくい上げることができる契機になっているんです。

さらに、かかりつけ医は子どもに起こりうるリスクを抽出して、ロールプレイなどを通じてリスクへの対応もしています。

子どもの貧困と虐待

:日本において、子どもを取り巻く社会環境決して良いとは言えませんよね。子どもの相対的貧困率は上昇し続け、16.3%。子どもの6人に1人が貧困となっています。相対的貧困率の国際比較についてはさまざまな意見がありますが、自国を時系列でみても日本の相対的貧困率はこの期間に増加し続けており、深刻な問題だと思います。

五十嵐:そうですね。さらに、日本の貧困の特徴として、母親がきちんと働いているのに、母子家庭の貧困率が高いことも挙げられます。こうした子どもの貧困問題について、国は対策に乗り出しているとしていますが、具体策はあまり見えてきません。

イギリスでは、ブレア首相らが主導した施策の結果、子どもの貧困率は1999年時点の26%から2010年には11%まで低下しました。しかし、日本ではアメリカなどと同様に、国からの予算の多くが高齢者に向かっています。これを解決するためには、政治の力が不可欠だと考えています。

五十嵐隆(いがらし・たかし) 国立成育医療センター理事長 1953年生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院小児科助手、米国ハーバード大学ボストン小児病院研究員、東京大学医学部小児医学講座教授などを歴任し、2012年から現職。日本小児科学会会長なども務めている。

五十嵐 隆(いがらし・たかし)
国立成育医療研究センター理事長
1953年生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院小児科助手、米国ハーバード大学ボストン小児病院研究員、東京大学大学院医学系研究科小児医学講座小児科教授などを歴任し、2012年から現職。日本小児科学会会長なども務めている

:貧困とともに、児童相談所への虐待相談対応件数が非常に多くなっており、今や年間9万件を超えようとしています。件数の増加が必ずしも問題の深刻化を意味しないことに注意は必要ですが、小児医療の現場から見て、どのように感じていますか。

五十嵐:確かに、深刻化の評価については慎重でなければいけませんが、慎さんもご存じのように、社会的養護が必要な子どもの入所理由を見ると、虐待を受けているケースが非常に増えています。

小児虐待には、親のメンタルヘルスや子どもの発達障害などさまざまな原因があります。その結果として育児放棄につながっているケースもあります。

さらに、日本では緊急外来で亡くなった子どもの死を科学的に検証する仕組みも整っていません。この「チャイルド・デス・レビュー」体制をつくることが、虐待の防波堤になるのではと考えています。

これらの点は小児科医や学会としてだけでなく、広く社会問題として伝えていかなければいけないと思います。

発達障害をどう考えるか

:また、発達障害など育てにくい子が虐待を受けやすいこともありますね。発達障害は社会的認知されたことで病気として増加した側面もあると思いますが、実際に増えているのでしょうか。五十嵐先生はどのように見ていますか。

五十嵐:今後は発達障害や精神疾患を持った子どもが増加することが予想されています。

日本では生まれたときの体重が2500グラム以下の低出生体重児が増加しています。1975年には全体で5.1%でしたが、2012年には9.6%になっており、先進国でも突出しています。これは、高齢出産や不妊治療の増加、女性のダイエット志向などが原因と考えられます。

小さく生んで大きく育てればいいと考える方もいますが、「成人病胎児期発症説(バーカー説)」からすると、低出生体重児は発達障害などの精神疾患をもつ可能性が高いことが指摘されています。

そのため、発達障害の子どもを育てにくいと感じる親を支援する体制や、出産に関する早期の教育も必要だと思います。赤ちゃんを妊娠して出産にいたることを妊孕(にんよう)性といいます。妊孕性は、40代になると非常に低くなりますし、たとえ妊娠したとしても高齢出産では母児共にリスクがとても高くなります。

出生前診断と遺伝子操作の進展

:なるほど、出産時年齢の高さや低出生体重児が増えていることが要因としてあり、単に医者が発達障害と診断する子どもが増えただけではないのですね。

高齢出産する方だけでなく、現在では多くの女性が出生前診断を行っています。

最近の英「エコノミスト」では子どもの遺伝子操作についての特集が組まれていました。そこでは、出生前診断と遺伝子操作によって病気を防ぐことはもちろん、視力を高めたり、足を速くしたりすることなどが、可能になるであろうとされています。遺伝子操作食品ではなく、遺伝子操作赤ちゃんというわけです。

医師として、こうした出生前診断や遺伝子操作について、どのように考えていますか。

インドなどでは出生前診断を禁止する動きがあります。というのも、いまだに慣習的に女性が結婚する場合、(花婿の家族に現金・宝石等を送るなど)莫大な費用を負担する必要があり、(生まれてくるのが女の子だと)中絶やみどり子殺しをしてしまうのだそうです。地域によっては、男の子と女の子の比率が1:0.9になることもあるそうです。

同様の問題は中国にも存在し、「ジェンダーサイド(gendercide、性別による殺人)」として問題となっています。

慎泰俊(しん・てじゅん) NPO法人Living in Peace理事長 1981年生まれ。朝鮮大学校、早稲田大学大学院卒業後、2006年からモルガン・スタンレー・キャピタルなどを経て2014年に五常・アンド・カンパニーを創業。仕事の傍ら、2007年に同法人を設立し、マイクロファイナンスファンドの企画や、国内で実親と暮らすことのできない子どもの支援などを行っている。

慎 泰俊(しん・てじゅん)
NPO法人Living in Peace理事長
1981年生まれ。朝鮮大学校、早稲田大学大学院卒業後、2006年からモルガン・スタンレー・キャピタルなどを経て2014年に五常・アンド・カンパニーを創業。仕事の傍ら、2007年に同法人を設立し、マイクロファイナンスファンドの企画や、国内で実親と暮らすことのできない子どもの支援などを行っている。

五十嵐:出生前診断は、最近はどんどん進んでいて、その流れを止めることはできないと思います。もちろん、それによって胎児異常について早期に治療できることもありますが、現在はダウン症などの染色体異常症を診断することを目的として行われ、その場合には中絶につながります。

そもそも、生命あるいは人類は多様性を持ったことで今に至っています。それを遺伝学的にある特定の方向にバイアスをかけることは、何十億年という生命の営みに逆らうことにつながるのではないかと思います。遺伝子操作についても基本的には反対です。しかし、今後、遺伝子操作をする方が増えることは阻止できないのではないかと思います。

生まれてきた子がダウン症であっても、重篤な病気を持っている場合でも、小児科医は子どもとご家族に寄り添って、治療や支援を行っていきたいと思います。

変わる小児医療

:最後に、今後の日本の小児医療がどのようになるのかについて伺えればと思います。

五十嵐:先進医療はどんどん発展して、病気の原因もわかり、創薬も治療も進むことで、恩恵を被る人が多くなると思います。そして、今まで以上に予防や検診による予防医学が進んでいくでしょうね。

ただ、その観点からすると、現行の子どもの集団検診では限界があると感じています。特に思春期の子どもや青年には個別検診で時間をかけて体の健診だけでなく、自分の健康問題、家庭や学校での問題などについても抽出し、具体的に指導してゆくことが必要です。そして、時間をかけて行う個別健診を健康保険制度で診療報酬として認めるなどの新たな制度をつくることが必要です。

:なるほど。私も今、途上国で使える健康診断アプリをつくろうとしているところなんです。診断は、弊社グループのマイクロファイナンス機関の行員がタブレットPCなどで簡便にできるものをイメージしています。

途上国ほど健康診断が必要なところはありません。南アジア、東南アジア途上国でも、20人に1人の子どもが5歳未満で亡くなっています。もしお医者さんがその村にいて定期的に健康診断をしていたらはるかに多くの子どもが助かっているはずです。

私の会社では金融サービスを途上国の中・低所得層に提供していて、現在3カ国に約1万人の顧客がいます。まずは、自社顧客の子どもが健康診断を受けられる仕組みを考えていて、サービスに協力してくれる医師を現地で探しているところです。

五十嵐:そのかたちであれば、小児医療に強い看護師や、保健師でもできるかもしれませんね。すごく面白い取り組みだと思います。子どもの病気の予防に力を入れることは、健康にとって効果が高いと同時に、非常に経済的でもありますから。

これからは、小児科医の基本的な姿勢を変えていかなければいけないのだと思います。病気の子どもを診るだけでなく、子どもの心理社会的な問題を抽出し、子どもや親に適切なアドバイスと指導をすることで、予防医学の推進に寄与することが求められるでしょう。

そして、小児慢性疾患や難病などで、長期間にわたって医療ケアを必要としている子どもが成人になっても健やかに生きられる仕組みづくりをすることが不可欠です。私たちが2016年4月に取り組む子どもホスピス「もみじの家」が、その一歩になればいいと思います。