Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) Summit

日中関係の「失われた20年」(第3回)

エズラ・ボーゲルが語る、「日中関係」が崩壊した3つの理由

2015/10/14
日本と中国。世界第2位と第3位の経済大国である両国の関係は、世界全体に大きな影響を及ぼす。しかし、日中関係は長らく停滞し、改善の機運は高まっていない。なぜ日中関係はここまで壊れてしまったのか。どのような地政学的な要因があったのか。そして、関係改善のために両国は何をすべきなのか。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授、船橋洋一・日本再建イニシアティブ代表理事、東郷和彦・京都産業大学教授がハーバード大学のケネディスクールで行ったシンポジウムで、「日中関係」の失われた20年について語った(全6回)。今回は、エズラ・ボーゲル氏が日中関係について分析する。
第1回:過去20年、なぜ「日中関係」はこれほど悪化したのか
第2回:慰安婦問題の解決策はある。和解のための2つのポイント

日本と友好関係を続ける意味が薄れた

エズラ・ボーゲル:私は最近、鄧小平について調べていることもあって、まずはそのことを述べさせていただきたいと思います。

1978年10月に、鄧小平は日中平和友好条約のために来日しました。この平和友好条約は何年もかけて両国が成し遂げたものであり、鄧小平のスピーチの後は数分間もの拍手が鳴りやまなかった。そして船橋さんの言う通り、その後56%もの日本国民が中国に対して友好的な見方をしていたのです。

1980年に私が来日したときには、それよりも多い78%もの国民が中国に対して友好的な感情を持っていました。このとき、私は、第2次世界大戦からのお互いへの長い敵対心がようやく終焉を迎えたのだと実感したものです。当時は楽観的な雰囲気が漂っていました。

鄧小平が1978年に来日したときは非常に明るいムードが漂っていたのですが、この友好的な関係はその後崩壊しました。

なぜ崩壊したかと言うと、まずは冷戦の終焉があります。米国と日本、そして中国はそれぞれ、お互い戦略的に友好である理由がなくなったと感じました。国際政治学者で国防次官補のジョセフ・ナイと私は話合い、日米同盟を強化する必要があることを再認識しました。これには数年の時を要しました。

船橋さんの言う通り、1996年にクリントン大統領が来日したことでナイと私の考えが正しいことが証明され、われわれはより一層の努力を行いました。ですが、なぜこのようなことが1992年の天皇陛下の中国訪問後に起こったのか。これについては船橋さんとは別の見解を持っています。

私は、天皇陛下の訪中は米国を含む両国の友好関係を強化するくさびだったとは考えていません。逆に、この訪中後、中国としては日本と友好的な関係を継続することにそこまで意味を見いださなくなったと考えられます。

中国が問題としていたのは、1999年の天安門事件から受けていた国際社会からの制裁をいかに中止させるかでした。日本は各国の中でも友好的な国であり、だから1992年の天皇陛下の訪中までは友好関係を続ける努力をしてきたわけです。

しかし、その後はほかの国々も制裁を中止し始めたこともあり、これ以上日本との友好関係を続ける意味が薄れていったのではないかと思います。天皇陛下の訪中は日本や米国、国際社会との関係を強化するくさびではなく、それら国々からの制裁を中止させるためのくさびになったのではないかと思うのです。

エズラ・F・ボーゲル(Ezra F. Vogel) ハーバード大学ヘンリー・フォードⅡ世社会科学名誉教授 1958年にハーバード大学にて博士号(社会学)を取得後、日本語と日本の家族関係の研究のために来日し、2年間滞在。61年秋から中国研究および中国語の習得にも着手し、広東省の社会変容の研究で顕著な功績を残す。67年にハーバード大学の教授、72年に同大の東アジア研究所長に就任。日本でベストセラーとなった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を79年に発表。2000年に教職から引退し、10年以上を費やして執筆、発表した「現代中国の父 鄧小平」が、外交関係書に贈られるライオネル・ゲルバー賞、全米出版協会PROSE賞特別賞を受賞。

エズラ・F・ヴォーゲル(Ezra F. Vogel)
ハーバード大学ヘンリー・フォードⅡ世社会科学名誉教授
1958年にハーバード大学にて博士号(社会学)を取得後、日本語と日本の家族関係の研究のために来日し、2年間滞在。1961年秋から中国研究および中国語の習得にも着手し、広東省の社会変容の研究で顕著な功績を残す。1967年にハーバード大学の教授、72年に同大の東アジア研究所長に就任。日本でベストセラーとなった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を1979年に発表。2000年に教職から引退し、10年以上を費やして執筆、発表した「現代中国の父 鄧小平」が、外交関係書に贈られるライオネル・ゲルバー賞、全米出版協会PROSE賞特別賞を受賞

政権交代が日中関係にもたらした影響

また、日本と中国との関係が崩壊した2つ目の理由としては、中国が愛国心を問題視し始めたことがあるのではないでしょうか。

1989年以降、中国では若者の愛国心のなさを問題視するようになり、彼らの愛国心を駆り立てる何らかの理由を探していました。当初は特に日本に対して反感を持っていなかった人たちも、愛国心を国民に植え付けようとする国のリーダー達の反日キャンペーンによって、徐々に日本に対して敵対心を持つようになっていったのです。第2世界大戦で敵国であった日本に目を向けさせることによって、逆に愛国心を高めようとしたのです。

1970年にせっかく日中間で築いた友好関係ですが、その関係は浅すぎたのではないでしょうか。

鄧小平自身は、日本による謝罪を受け入れ、当時の国家政治もそれを受け入れるにあたって問題がなかったのでしょうが、中国国民の深い心情にまで届くような謝罪ではなかったのだと思います。謝罪が中途半端なものであったため、その効果は薄く、中国の愛国心の前につぶされてしまったのだと思います。

中国と日本の関係の悪化の3つ目の理由として挙げられるのは、日本は2大政党制であることから、いずれは政党の交代とともに良いほうに変化するのではないかと思われていました。ですが実際は、政党と官僚のつながりは深く、政党が変わると政党と外務省とのつながりも切れてしまい、両者の連携はうまくいかないことが多かったのです。

政権が民主党に移ったとき、野田首相もその前の民主党の前任者たちも、外務省との信頼を築くことができずその間に中国の愛国心の強化が始まり、中国の駐在大使たちはまるでアメリカ大使館のように壁をつくり、他国とのつながりを断つようになっていったのです。

このことは、北京に駐在する日本大使たちや、東郷先生のほうがよっぽど詳しいと思いますし私の見解は偏ったものかもしれませんが、当時北京に住む親しい日本の大使たちからも中国の大使たちや知り合いとは連絡が取れなくなっていて何が起っているのか様子がわからないと聞きました。

ですから、もし北京に駐在している日本の大使たちが、より中国人の同僚たちと腹を割ったコミュニケーションが図れるような状況であったなら、だいぶ事態は違ったのではないかと思います。

今こそ、歴史問題を解決する好機

最後に、本日の議題は「失われた20年」についてですが、経済的視点からどういう状況だったのかを述べたいと思います。

1978年に鄧小平が来日した際、中国は経済的に日本の支援を必要としていて、日本に対して非常に低姿勢に接してきました。これが1990年になると、中国は日本よりも経済成長が著しくなり、自信もついてきて、さらに近年には日本よりも経済的に大国になったという自負から外交も次第に強気なものに変化をしてきました。

そして現在の中国ですが、どちらかというと少し強気に出過ぎたと感じているのだと思います。ですから、今、中国との関係を見直すのは良いタイミングだと思います。慎重に事を運べば日中関係はより良いものに変わっていくのではないでしょうか。

船橋さんはこれから先、どのような方向に進めば良いのか不透明だと述べていましたが、私は東郷先生の主張のほうを尊重します。今、従軍慰安婦問題や靖国神社問題を解決していくことは非常に意味のある提案だと思います。私なら、さらに一歩進めるでしょう。反共主義のニクソン大統領ですら中国との関係において政治的に開いた姿勢を見せられたのです、日本にも同様のことができるはずです。

安倍首相は右派の考えを持つ人間であり、日本人が中国人にしたことを理解し、彼らに問われても答えられるよう、第2次世界大戦時の事実を日本国民に教育することができるのではないかと考えています。

日本人の多くは、歴史を知らなさすぎます。現在の歴史の教科書の内容については一定の評価をしますが、明治以降の歴史についての情報量は圧倒的に足りません。むろん本屋に行けば、戦時中の出来事が書かれた本はたくさん存在しますが、義務教育、学校ではあまり教えられていないのです。

ですから、私は、安倍首相のような右派の人間がまだ当分政権を握り、その間に歴代の首相が成し遂げられなかった多くのブレークスルーを実現してほしいと願っています。

そして中国側についてですが、習近平総書記は当初、諸外国に対してあまりにも強気でした。今では、東アジアの多くの国は米国側につき、その安全保障に頼りきっています。このことは中国にとっても良くないことだと中国も今になって理解するようになってきました。

中国が自らの政策を間違いだったと認めることはありません。それは彼らのやり方ではないのです。ただ、彼らをよくよく観察していると、彼らの態度にも変化が現れていることがわかるはずです。

私には、彼らが少しずつ改心し、強気すぎる態度を改めていこうとしているようにみえます。ですから、私は今ならば、各国のリーダーたちが時間をかけて慎重に事を運べば事態を良い方向に進展させることができるのではないかと思っています。

*続きは明日掲載します。

(写真:Kim Kyung-Hoon-Pool/Getty Images)