Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) Summit

日中関係の「失われた20年」(第4回)

日本は「木を見て森を見ず」、中国は「森を見て木を見ず」

2015/10/15
日本と中国。世界第2位と第3位の経済大国である両国の関係は、世界全体に大きな影響を及ぼす。しかし、日中関係は長らく停滞し、改善の機運は高まっていない。なぜ日中関係はここまで壊れてしまったのか。どのような地政学的な要因があったのか。そして、関係改善のために両国は何をすべきなのか。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授、船橋洋一・日本再建イニシアティブ代表理事、東郷和彦・京都産業大学教授がハーバード大学のケネディスクールで行ったシンポジウムで、「日中関係」の失われた20年について語った(全6回)。今回は、会場からの質問にゲスト3名が回答する。
第1回:過去20年、なぜ「日中関係」はこれほど悪化したのか
第2回:慰安婦問題の解決策はある。和解のための2つのポイント
第3回:エズラ・ボーゲルが語る、「日中関係」が崩壊した3つの理由

欧州とは異なる日中韓の歴史認識

会場からの質問:私はこれまで欧州の歴史問題への取り組み方と、日本、中国、韓国の歴史問題への取り組み方を比較してみてきました。欧州が歴史問題に対応してこられたのは、政府からのトップダウンの取り組み、そしてその逆も、両方をうまく取り入れたからだと思います。

なぜ、日本と中国、韓国の歴史家たちは、ポーランドとドイツ、またフランスとドイツのように政府からの後押しによって委員会を結成し、教科書の見直しを協議し、内容を1つに確定することができないのでしょうか。

東郷:過去10年以上、20年近くもの間、学識者たちの間では、民間レベルにおいても、政府によって任命されたかたちにおいても、お互いに議論を交わし、意見の相違点を越えて納得できる共通の歴史認識を求めてきました。

民間セクターでは、少なくとも10に近いいくつもの共同出版の企画がありました。政府委託の学識者チームでは、議論を進めた結果、結局のところ近代歴史の一部においては共通の歴史認識を持つことが不可能である、という結論に達したようです。

詳細は知らないのですが、近代から現代における歴史についてのそれぞれの国の正式な見解が大きく異なることもあり、各国共通の教科書を確定するに至らなかったのです。

ですが、これまでの努力がじかに結果につながらなかったからといって問題を放置すればいいということではないと思います。この問題に取り組んできた多くの日本人、そして韓国人や中国人の学識者らも、歴史認識共有の努力を続けるべきだと考えていると思います。この努力の結果が、年々、少しずつでも表れてくることを期待しています。

共通の意識を持つことは事実上不可能

船橋:難しい質問ですね、ありがとうございます。

日本と中国にとって、そして両国の歴史家たちにとって、歴史の共通認識を持つことが非常に難しいことであることは理解しています。過去に何度も試みられ、最近では北岡伸一教授が取りまとめた試みもありましたが、結局、有意義な結果は得られませんでした。

中国側は日本が「木を見て森を見ず」で大きな全体像を描こうとしないと主張し、日本側は中国が逆に「森を見て木を見ず」で細部の正確さをおろそかにしがちだ、と主張したからです。

中国の国家体制、政治組織やそのイデオロギーの形成は歴史と深いつながりがあり、中国の歴史家もまたその思想から逃れることは難しいことを考えると、歴史認識に関する両国の歩み寄りには非常に厳しいものがあることがわかります。

私は以前、ドイツとポーランドの和平交渉に直接関わったことのある元駐日ドイツ連邦共和国大使のFrank Elbe氏とこの問題について議論をしたことがあります。

彼によると、ポーランドの共産主義政権の崩壊までは、西ドイツとポーランド両国の歴史学者たちが共通の歴史認識を持つことは非常に厳しかったとのことです。共産主義政権が崩壊したことによって、初めて、両国の歴史家たちは意義ある共通理解にたどり着くことができた、ということです。

しかし、この両国の専門家による歴史対話の積み重ねの中で、双方がこの問題点に真摯に取り組み、議論を重ねたことによってお互いへの尊敬の念が強まり、和解のための基礎を築くことができた面もあるとのことです。

ボーゲル:私は、第2次世界大戦中の出来事についての会議を過去4回ほど実施してきました。近々、5回目の会議開催を予定しています。中国人、日本人、そして西洋人歴史家たちが一堂に会し議論を行います。

この会議の経験を通して言えることは、各国の歴史家たちが共通の歴史認識を持つのは無理で、そもそも共通認識を持とうとしなくてもよいのではないか、ということです。各国の歴史家たちは思うところを本音で語り合って意見の交換を行い、後はそれぞれが自国にとって適切なことを書けばよいのではないでしょうか。

共著を出版するにしても、筆者それぞれに担当する章を割り振って、そこでは筆者がそれぞれ、自国の読者に向けた意見を述べればよいのではないでしょうか。日本の歴史家たちは政府のサポートを得て、日本から見た歴史を書いて出版すればよいのです。

もちろん、中国人からは批判されることでしょう。韓国人からも批判を受けると思います。ですが、この方法については各国から暗黙の了解を得られることもあるでしょう。これならば可能なのではないかと思います。

慰安婦、靖国問題は感情的問題か

会場からの質問:私の質問は、日本の保守政党や支持者の戦略についてです。

彼らには、どちらかというと国内の情勢や問題、国内の地域問題により興味があるような傾向があると思います。ですが、そんな彼らも、中国の台頭に際して中国に依存する日本と韓国、そして米国の国家戦略が非常に重要になってくることを理解し始めたのではないかと思います。

そんな中で、従軍慰安婦問題や靖国神社問題を取り上げるのは、感情的なことからですか。それともそこには何か戦略的な要素があるのでしょうか。自分は、これら問題の根底にあるものが戦略的なものなのかどうか、その根本を理解したいと思っています。

船橋:私は、従軍慰安婦問題が単に日本と韓国の関係の難しさの表れだとは思っていません。米国も今ではこの問題にかなり介入してきています。ですが、日本と韓国がこの百年の間ずっと抱え続けてきた問題であることは明白です。この問題は地政学的、戦略的環境のもと、引き起こされた問題なのです。

そして中国の台頭は、日本と韓国に異なる影響を与えました。韓国が中国の台頭に寄り添うかたちで対応しようとするのに対して、日本は抑止力を強める方向で対応しようとしているように思います。このことは、日本と韓国の関係にある種のギャップを生みだすきっかけになったと思います。このギャップは今後も両国の関係において大きな要素として残ることでしょう。

米国はなんとか日本と韓国の緊張を和らげようと懸命に働きかけていますが、残念ながらこれまでは失敗に終わっています。

東郷:従軍慰安婦と靖国神社、両方について質問されていますが、両者はまったく性質の異なる問題です。

まず、中国の台頭で日本と中国間には緊張が生じました。特に日本にとって、このようなときに韓国と強固な関係を保つのは戦略的にも非常に重要なことです。私が従軍慰安婦の問題について比較的、楽観的な見方をしているのは、このことが背景にあるからです。

日本にとって、韓国との関係を強化するためには立ちはだかる問題を一つひとつ解決せねばならないときにあるからです。日本にとって問題を明らかにすることが重要なのではありません。解決することが大事なのです。

靖国神社問題については、戦没者の霊をどのように供養するかという日本の国内問題の要素があり、これをどう捉えるかは、各国においてこの問題が重要であるように、日本国内においても重要であることは、私もよく理解しているつもりです。

他方、靖国神社でのA級戦犯の合祀(ごうし)は、中国にとって重要な問題であり国際的にも取りざたされています。そこで、そもそもは日本国内でも意見の分かれる問題について国民を納得させながら、14人のA級戦犯問題について、いかにして中国をも納得させるのか。

中国との歴史認識問題が、両国の政治関係のとげであることをなくすことが日本にとっての最終目標だと思いますが、靖国神社が最も重要なカギを握ります。よって靖国神社の問題を解決していくということは、日本の長期的な国際戦略においても非常に重要だと思っています。

ボーゲル:日本国内における靖国神社の意味については、政治の歴史と背景を見直すことが必要です。戦後の日本において戦中時の活動に非常に厳しい目を向けていたのは日教組、社会主義者、左派の人々です。そして戦後の批判は、戦後も力を保持し続けた、戦争を生き残った権力者に集中しています。

そのことから、保守政党の政治家たちは左派の教育者たちの意見は批判が過ぎるとして捉えています。もうそろそろ、そのような過去のしがらみから解き放たれ、安倍首相がより自由に発言していけることを望んでいます。ただ、多くの政治家たちが感情的にもこの問題を避けてきたのは、教科書問題が実は政治に大きな影響を及ぼしていたからだと理解することは大事です。

*続きは明日掲載します。

(写真:Kim Kyung-Hoon-Pool/Getty Images)