Asia-Pacific Economic Cooperation (APEC) Summit

日中関係の「失われた20年」(第1回)

過去20年、なぜ「日中関係」はこれほど悪化したのか

2015/10/12
日本と中国。世界第2位と第3位の経済大国である両国の関係は、世界全体に大きな影響をおよぼす。しかし、日中関係は長らく停滞し、改善の機運は高まっていない。なぜ日中関係はここまで壊れてしまったのか。どのような地政学的な要因があったのか。そして、関係改善のために両国は何をすべきなのか。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授、船橋洋一・日本再建イニシアティブ代表理事、東郷和彦・京都産業大学教授がハーバード大学のケネディスクールで行ったシンポジウムで、「日中関係」の失われた20年について語った(全6回)。

湾岸戦争という挫折と、その後の進化

船橋:日本では、1989年から1991年にかけてバブル崩壊を迎え、それをきっかけに長きに渡る「失われた20年」が始まりました。そして、このとき同じタイミングで、経済だけではなく外交政策や安全保障問題でも日本が長く停滞するきっかけがありました。

このきっかけとは、1990年から1991年の湾岸戦争です。

湾岸戦争は冷戦以後、日本が国際社会情勢の変化にいかに準備不足であったのかを痛感する出来事となりました。戦後の日本外交が培ってきた平和主義は、冷戦後の安全保障問題や日米同盟には役立たなかったのです。

その代わりに日本がとった手段は“小切手外交”でした。日本が「便利なATM」としてしか国際社会に貢献できないでいるのを目の当たりにし、とても悔しい思いをしました。

しかし、日本はその後、新しい国際情勢に対応する術を学んでいきます。1993年にはカンボジアのPKOミッションに初めて自衛隊を派遣し、その後もアンゴラや東ティモール、そのほかの国々への派遣を続けています。

当初、国民は自衛隊の海外派遣にちゅうちょしていたものの、この新しいかたちの外交政策に次第に慣れていき、1990年代の終わりには日本国民の7割から8割が自衛隊のPKOミッション派遣に賛成を示すようになりました。ただし、この自衛隊の新しい役割については長い間、議論が続けられています。

国際社会の安全保障活動への参加についても、1997年に「日米防衛協力のための指針」の見直しが行われ、他国からの攻撃(たとえば北朝鮮による核ミサイル攻撃の脅威)に備えることができるようになりました。

1995年から1996年の中国による台湾海峡ミサイル危機を受けて、1996年にクリントン大統領が来日し、その翌年にガイドラインの見直しがなされたことと、2013年から2014年にかけての中国による海上軍事演習の強行の後、2014年4月にオバマ大統領が来日して再度ガイドラインの見直しが行われたこと。この2つに見られる共通点は、非常に興味深いと思います。

日本の経済的な「失われた20年」と同時期に生じた外交・安全保障の問題はゆっくりとではありますが進化を見せていると思います。政策の改革とともに、日本も集団的自衛権を行使することができるようになったことなどもその現れです。

湾岸戦争はわれわれ日本人にとっては大きな挫折ではあったものの、同時に日本の安全保障を根本から考え直す機会ともなりました。

船橋洋一(ふなばし・よういち) 一般財団法人 日本再建イニシアティブ理事長/元朝日新聞社主筆 1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒。1968年、朝日新聞社入社。朝日新聞社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長等を経て、朝日新聞社主筆。2011年9月に独立系シンクタンク「日本再建イニシアティブ」設立、理事長。福島第一原発事故を独自に検証する「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」をつくる。2013年、危機管理をテーマにした『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(新潮社)刊行。『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかにも『原発敗戦―危機のリーダーシップとは』(文春新書)など著書多数。

船橋洋一(ふなばし・よういち)
一般財団法人 日本再建イニシアティブ理事長/元朝日新聞社主筆
1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒。1968年、朝日新聞社入社。朝日新聞社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長等を経て、朝日新聞社主筆。2011年9月に独立系シンクタンク「日本再建イニシアティブ」設立、理事長。福島第一原発事故を独自に検証する「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」をつくる。2013年、危機管理をテーマにした『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(新潮社)刊行。『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。ほかにも『原発敗戦―危機のリーダーシップとは』(文春新書)など著書多数

グラウンド・ゼロに到達した日中関係

「失われた20年」のもうひとつの挑戦は中国の台頭であり、中国が日本の外交や安全保障におよぼした影響の大きさだと思います。

幸い、安倍首相と習近平総書記が昨年11月に北京で開催されたAPECで会談し、ついでベルリンでも会談を行いました。両者の話し合いが始まったということで最悪の事態からは脱却したのかもしれません。少なくとも、両国は、尖閣諸島について意見に相違があることを認めること(agree to disagree)ができました。

個人的には、現在の両国関係の状況は、戦術的で短期的に終わるものだと捉えています。

1972年の国交正常化から1989年の天安門事件まで、日本国民の56%は中国を友好的と考えており、中国側も同様でした。しかし現在、そのような友好的な関係は大きく変化しています。1990年代初頭から、関係修復のために多くの試みがなされてきました。

そのひとつが1992年の天皇陛下の訪中です。日本政府は、天皇陛下の訪中を「歴史的問題を終結させる和解に向けての大きなステップとして認識してほしい」と中国に働きかけましたが、これは実現しませんでした。

中国は天皇陛下の訪中を、国際社会に復帰する手段や、天安門事件以降に中国が国際社会から受けた制裁を解くくさび、中国社会の分断統治の道具として利用したのです。

また、中国の外交官、銭其琛が退官後に発表した手記の中で、天皇陛下の訪中が西洋の国々の対中制裁戦術としていかに成功したかを自慢げに記したことに、日本人の多くは心外に感じました。

天皇陛下の訪中も、その後の1998年の江沢民国家主席の訪日も、両国間の歴史問題の克服には結び付きませんでした。その背景には、冷戦後、ソビエト連邦の崩壊により中国は北部国境沿いの脅威から逃れることができたため、日本の戦略的意味が大きく変化した、という国際政治力学の変化があったと思います。

小泉純一郎首相は、21世紀に入ってから国連安保理の常任理事国になるべく励みましたが、中国は日本が国連の常任理事国(P5)のメンバーに加わることに猛反対し、反日デモを全国で展開させました。

この出来事により日本は「中国は、必要であればそれまでの関係を無視してでもちゅうちょなく日本を排除すること、国民を総動員してでもそれを行うこと」を思い知らされました。

さらに2010年から2012年の尖閣諸島問題でも、日本はこのことを痛感し、日中関係は“グラウンド・ゼロ”に到達しました。

日本の成長にとって「最大の妨げ」

もともと、日本と中国は、領土問題の最終解決については先送りにするという政治的知恵を働かせてきました。

1972年の日中国交正常化の際、当時の田中角栄首相との会談で、周恩来首相は「小異を残して大同につく」と言って、領土問題を棚上げしました。

1978年の日中平和友好条約の制定時にも鄧小平副首相が「われわれの世代に解決の知恵がない問題は(より賢く若い)次世代に(托そう)」と語り、領土問題は再び棚上げされています。領有権をめぐり相反する主張がなされる状況で、双方ともに妥協はしないが無駄な紛争を避けるための知恵だったのです。

しかし、この暗黙の了解は2010年9月7日に破られました。中国漁船が尖閣諸島の接続水域に侵入し海上保安庁の巡視船に衝突、海上保安庁は同漁船の船長とその乗組員の身柄を拘束しました。これに対して中国各地で反日デモや暴動が起こりました。

この出来事をきっかけに、中国は日本へのレアアース輸出を禁止しました。日本では、1970年代以来、日本から中国に対して行われていたODAなど経済的な援助を継続することへの疑問が生じ始めました。

実は、中国はちょうどこの時期から自らが経済的に日本よりも上位にあることを自覚し始めていたのです。2007年には、日本の最大の貿易相手国は米国に代わって中国になり、2010年には中国のGDPは日本のそれを上回り、中国は世界第二の経済大国となりました。

したがって、日本からするとレアアースの輸出禁止は、中国が経済力を盾に政治的に優位に立とうとしていると感じられたのです。このように経済力を盾に権力を振りまわされると、どこの国の政府も政治的に中国とのパートナーシップを保つのが難しくなります。

中国が日本へのレアアース輸出を禁じたときの、中国の人民日報に掲載されていた長文の解説を私はよく覚えています。その内容は、日本は今や中国の経済的プレッシャーに抗体を持っていないというものでした。

過去20数年のことを考えると、安定した日中関係を失ったことが「日本の失われた時代」の外交面での最大の喪失であったかもしれません。そして、この問題に対する有効的な解決法はいまだ見つかっていないのです。

※続きは明日掲載します

(写真:Kim Kyung-Hoon-Pool/Getty Images)