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これまでの歴史から、今を分析する

「失われた20年」の教訓は生かされているのか

2015/10/2
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 経済・社会政策部主任研究員の片岡剛士による連載最終回。これまでの連載を振り返りながら、現在のトピックについて解き明かす。

これまで4回にわたって、「失われた20年」とも呼ばれるわが国の長期の経済停滞とマクロ経済政策を振り返りつつ、1985年から2012年までの日本経済の動向を見てきました。最終回である本稿では、これまでの議論をおさらいしながら、現在進行形の話題について簡単にふれていきたいと思います。

「経常収支不均衡是正」という誤った政策課題の設定

連載の第1回では、「経常収支不均衡是正」という誤った政策課題の設定が、プラザ合意以降の円高不況からバブル景気に至る過程につながったことを論じました。

当時のわが国は経常収支黒字を是正するために、「前川リポート」に代表される内需拡大政策を採用するとともに、プラザ合意といった国際協調に基づく為替レート安定化策を通じて、「経常収支不均衡の是正」に取り組もうとしました。

1985年9月のドル/円レートは1ドル=237円程度でしたが、1985年12月には1ドル=202円、1986年7月には1ドル=150円まで円高が進みます。こうした中で日本経済は円高不況に陥り、財政政策・金融政策の両面で拡張的な政策が行われることがバブルというかたちで日本経済にゆがみをもたらしていきます。

これは本来、日本経済の景気変動を安定化させる目的で行われる財政政策や金融政策が、国際協調、もしくは為替レート安定化という誤った目的を達成するために割り当てられてしまい、そのことが日本経済にゆがみをもたらしてしまった結果ともいえるでしょう。

そして誤った政策課題の設定は、その政策が本来持つ効果を毀損(きそん)することにもつながります。

景気変動を安定化させる目的で行われる財政政策や金融政策が為替レート安定化の犠牲となってしまっている最近の事例としては、中国の経済政策を挙げることができます。

中国の景気悪化に対して中国の中央銀行である中国人民銀行は利下げや預金準備率の低下といった金融緩和策を断続的に行っています。これ自体は景気安定化の観点からは好ましい政策対応ですが、金融緩和策は通貨安を必然的に伴います。

ただ人民元レートは固定されていますから、金融政策がその効果を十分に発揮するには、金融緩和を阻害しない人民元の切り下げか、完全変動相場制への移行が必要です。

中国の通貨当局が人民元の買い介入を行っている理由はさまざまでしょうが、人民元安につながる金融緩和策と人民元の買い介入という組み合わせは、当局の政策スタンスを不明瞭にして、本来の政策効果をそいでしまうということです。

バブル崩壊とその後の政策対応

連載の第2回では、バブル崩壊とその後の政策対応の誤りが、デフレを伴いつつ進んだ長期停滞につながっていく過程を論じました。

バブルはその定義によりいつかは崩壊しますが、日本のバブル崩壊のきっかけは「バブルつぶし」を目的とした政策であり、それはバブルが「悪」であるという勧善懲悪的な経済観に後押しされた結果でした。

金融緩和政策は株価や為替レートといった資産価格に影響を及ぼしますが、バブルのコストを必要以上に大きく見積もる「バブルのトラウマ」はその後の日銀の金融政策を制約し、結果として他国のバブル崩壊の事例と異なる長期にわたる経済停滞の一因となります。

日本の長期停滞の事例は、後に米連邦準備理事会(FRB)のスタッフによって研究され、日本のようにいったんデフレに陥った場合にはそこから脱却するのが難しいこと、そのためにはデフレに陥る事態を避けるべく予防的な政策に徹することが必要であるという点が教訓として指摘されました。

こうした「教訓」は、アラン・グリーンスパンやFRBの理事となり後に総裁として世界金融危機に立ち向かうことになるベン・バーナンキの金融政策に影響を与えます。

周知の通り、現在のFRBのホットイシューは金融緩和策からの出口政策の成否・タイミングですが、世界大恐慌以来の危機ともいわれた世界金融危機においてデフレに陥ることなく金融政策を運営し、危機の震源地であるにもかかわらず出口政策に踏み込む状態にまで米国経済の回復が進んだのは、FRBが世界大恐慌や日本の長期停滞の教訓を生かしたからだと言えます。

FRBの出口政策が成功すれば、それは日本銀行にとっても今後重要な教訓となり得るでしょう。

デフレの本格化

連載の第3回では、デフレが本格化していく過程について論じました。ざっくりとさまざまなポイントについてふれましたが、指摘したいのは2014年4月に行われた消費税増税の影響についてです。

筆者が2013年4月に出版した『アベノミクスのゆくえ』でも指摘していますが、2014年4月に行われた5%から8%への消費税率引き上げが深刻なダメージを及ぼすであろうことは1997年4月の消費税増税の経験を踏まえれば予測可能でした。

まず、消費税率の引き上げ幅が今回のほうが大きかったことを挙げることができますし、さらに1997年の消費税増税の際には所得税減税が先行するかたちで税収中立的な状態を保つような配慮がなされた一方で、今回の増税時には個人住民税・個人所得税への復興増税や社会保険料負担の増大といったかたちで家計所得に対して「減税なき増税」が行われたという点も挙げることができます。

さらに1997年時点と比較すると雇用者1人当たり平均賃金や雇用者報酬の伸びが緩やかであったため、税負担を考慮した家計の可処分所得は落ち込み、消費税増税に伴う物価高の深刻さがさらに追い打ちをかけるであろうことも予想することができました。

増税前後の経済指標の動きとメディアの反応を1997年当時と比較しますと驚くほど似ていることがわかりますが、過去の経験が十分に生かされていたとすれば、日本経済の今も随分と違ったものとなったのではないでしょうか。

当時デフレが本格化する過程で、日銀の金融政策は迷走し、「良いデフレ論」といった指摘がなされるようになりました。「デフレが良い」という考え方が広まったことは当時の政策担当者の失敗を覆い隠し、責任を不明瞭にしてしまうという結果にもつながりました。

財政政策や金融政策という政策手段を通じて景気を安定化し、日本経済を持続的に成長させるという役割を託された政策当局者の責任は重いこと、政策当局者の失敗が人々の生活や人生に少なからぬ影響を及ぼし得ることを、バブルの崩壊からデフレの本格化、さらにその後に至る経緯は明らかにしていると筆者は感じます。

構造改革主義、アベノミクス、そしてアベノミクス第2ステージへ

連載の第4回では2001年から2012年までの動向について整理しました。当時の現状判断として特徴的であったのは、長期停滞を打破するためには定義が不明な「構造改革」を行うべきであるという「構造改革主義」の台頭です。

これには財政・金融政策を行っても景気回復には結びつかず、かつデフレ脱却の効果がみえないとする「理解」が広く浸透したことが理由として挙げられます。

経済政策は財政政策、金融政策、成長政策の3つの種類があります。先ほど述べたように、財政政策や金融政策は上下する景気の波を安定化させる経済安定化政策に位置付けられます。

また、構造改革は成長政策に位置付けられますが、これは規制緩和などを通じて成長力(潜在成長率)を底上げする政策であって、デフレが続き経済全体の総需要が低迷する状態を改善する政策ではありません。

第4回の連載でも述べたように、構造改革というスローガンは掲げられたものの、実際の政策効果は大きなものではなく、むしろ量的緩和政策の実行と景気に中立的なかたちで運営された財政政策が、世界経済の好況も相まって外需主導の長期の好況をもたらしました。しかし、デフレから脱却することはかないませんでした。

小泉政権以降、目まぐるしく交代した第1次安倍政権から野田政権までの各政権の政策スタンスを見ていくと、経済政策については成長戦略の策定を通じた構造改革の実行や財政政策が行われましたが、デフレ脱却のために大胆な金融政策にコミットするという政権はありませんでした。

こうした政策スタンスの転換が図られたのが第2次安倍政権です。安倍首相は、2013年1月28日の国会における所信表明演説で次のように述べています。長いですが、安倍首相の認識が良くわかる文章ですので引用してみましょう。

わが国にとって最大かつ喫緊の課題は、経済の再生です。

私が何故、数ある課題のうち経済の再生に最もこだわるのか。それは、長引くデフレや円高が、「頑張る人は報われる」という社会の信頼の基盤を根底から揺るがしていると考えるからです。

政府がどれだけ所得の分配を繰り返しても、持続的な経済成長を通じて富を生み出すことができなければ、経済全体のパイは縮んでいってしまいます。そうなれば、一人ひとりがどんなに頑張ってみても、個人の手元に残る所得は減っていくばかりです。私たちの安心を支える社会保障の基盤も揺らぎかねません。

これまでの延長線上にある対応では、デフレや円高から抜け出すことはできません。だからこそ、私は、これまでとは次元の違う大胆な政策パッケージを提示します。断固たる決意をもって、「強い経済」を取り戻していこうではありませんか。

IMFの統計(World Economic Outlook)を参照して、1990年から2011年までの期間における各国の年当たり平均実質国内総生産(GDP)成長率、物価上昇率(GDPデフレーター伸び率)、名目GDP成長率を比較してみますと、日本の年当たり平均実質GDP成長率は0.9%、年当たり平均名目GDP成長率は0.2%、物価上昇率はマイナス0.7%と、いずれも主要国20カ国(注)の中で最低となっています。

注:豪州、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、中国、インド、インドネシア、タイ、韓国、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、イギリス、米国、日本の20カ国

特に日本の名目GDP成長率の低迷は突出しており、加えて物価上昇率がマイナスとなっているのは日本のみという現状です。デフレと円高の是正に言及し、経済の再生を最大かつ喫緊の課題と述べた安倍首相の経済情勢の把握は正しいと言えます。

安倍首相は新たに「名目GDP600兆円」を達成するとの目標を掲げました。政策手段が具体的に明示されない中での唐突とも言える目標の提示や、その実現可能性についてはさまざまな議論が出ていますが、1990年以降、名目GDPがほぼ横ばいで推移しているという現実を打破するという意図は明確です。

当然ながら筆者は安倍政権の経済政策のすべてに賛同するわけではありません。特に経済再生を掲げつつ、デフレと円高からの完全脱却を達成しない状況で消費税増税という経済再生とは真逆の政策を行ってしまったことは、アベノミクスの政策効果を毀損させた最大の失敗であると考えています。

本連載では「失われた20年」ともいわれる日本の長期停滞の経緯と原因について、マクロ経済政策の視点から整理しつつ論じてきました。マクロ経済政策の視点から見ても、日本は多くの失敗を重ねています。

確かに、日本の長期停滞という「現実」が未来永劫続くと考えれば、日本経済の先行きについて悲観論がまん延するのも致し方ないのかもしれませんが、失敗を成功に変えることができれば、少しでも現状をより良い方向に変えることができるのではないでしょうか。