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『イーロン・マスク 未来を創る男』を読んで(上)

嫉妬、離婚、いじめ。天才イーロン・マスクの若き時代

2015/9/15
次なる「スティーブ・ジョブズ」として、電気自動車、ロケット開発の分野でイノベーションに突き進む男、イーロン・マスク。「人類の火星移住を実現させる」という壮大な野望を抱く男は、どのようにして生まれたのか。いじめにあった少年時代、駆け出しの経営者時代から、現在のテスラモーターズ、スペースXの経営まで、希代のイノベーターの人生を、ブルームバーグ・ビジネスウィークのアシュリー・バンス記者が徹底取材。全米で話題沸騰の著書『イーロン・マスク 未来を創る男』の日本語版の一部を発売に先んじて公開する。連載5回、6回はNewsPicks編集部のジョーダン・クロウ記者によるブックレビューを紹介する。

イーロン・マスクの忍耐

イーロン・マスクは、バッテリー式電気自動車を開発するテスラモーターズと、ロケットや宇宙船の開発・打ち上げといった宇宙輸送を事業とするスペースXの2社のCEOを務めている。

彼は一部でスティーブ・ジョブズの継承者とみなされているが、確かに、彼らは似ているところがある。

マスクはジョブズのように洞察力に優れ、短気な性格を持つオタクだ。そして、とんでもない発想力を持つ変わり者でもある。

ブルームバーグのベテラン記者であるアシュリー・バンス氏は著書の『イーロン・マスク 未来を創る男』の中で、奇想天外なビジネスアイデアを見つけたいなら、マスクのいるカリフォルニア以外、探さなくていいとまで言っている。

マスクは、まだジョブズほど有名でない。そして、マスクは自身のビジネスアイデアが真剣に受け入れられていないことに長く耐えてきた。

それは、ある程度理解できなくはない。彼は、年長者に真面目とは思われず、信頼されにくい“男の子”のような外見だからだ。

電気自動車は忘れられた存在だった

だが、現在44歳という“若さ”のマスクは、各業界の様相を一変させた3社の実権を握っている。その企業とは、決済の仕組みを変えたペイパル、旧態依然とした自動車業界に新風を巻き込むテスラモーターズ、そして宇宙輸送のスペースXだ。

そして、マスクが委員会の議長を務めるソーラーシティーも、同じように電力会社をディスラプトしかねないベンチャー企業の一つである。

マスクはジョブズ亡き後の、カリスマ起業家の最右翼だ。前出のバンスはマスクをトーマス・エジソン、ヘンリー・フォード、ジョン・ロックフェラーなど歴史上最高の大物実業家と並び称される人物だと語る。

この“大げさ”な扱いは、一部の批評家たちから非難された。だが、マスク自身、まさにそういった“常識人”の批判が間違っていることを証明するのをライフワークとしてきた。

実際、電気自動車は、テスラが登場するまでは、とっくに忘れ去られた存在だった。ほとんど勝ち目がないのに、マスクのテスラモーターズは電気自動車を生き返らせただけではなく、史上最高の自動車「Model S」を開発した。

また、米露の宇宙開発競争はとうの昔、1980年代に終わっていた。だが、マスクのスペースXがそれを“再発火”させた。太陽光発電も瀕死状態にあったが、現在、同業界は好況であり、それもマスクのソーラーシティーによる部分が大きい。

マスクの成功へのイチャモン

マスクの実績は脇に置いて、バンスは本書で本人のキャラクターにも迫る。

もちろん、単純な人物ではない。バンスは、本書を執筆するために、マスクを知る人物数百人に取材したというが、どの人物も「マスクは厳しく面倒見がよくない」と語ったという。

本書では、マスクの会社、ビジョン、私生活などを含めたマスクに関するあらゆることに対し、深く洞察し、分析する。そして、マスクは一見不可能に思える問題になぜ、果敢に挑戦するのか、本人を駆り立てるものとは何か、そして、彼が将来的に墓穴を掘るかもしれない性格の致命的な欠陥などについても遠慮なく記述している。

バンスは、彼が不可能に挑戦し続けるカギはマスクの人生にある、と指摘する。マスクは、十分な理由がないのにもかかわらず、自分は周りにいる誰よりも賢く、なおかつ能力が高いと思っている。

そして、投資はもとより、自動車開発、ロケットの企画、そして自らの会社の広報に至るまで、マスクは専門家よりも自分のほうがうまくできると思ってしまう。

その背景には、南アフリカで厳しい教育を受けたことがある。マスクは、南アフリカの現実をつぶさに見たことで、当時の南アフリカのシビアな現実は、どうしようもない怠惰と無力が幾層にも重なったことの結果だと体感したのだ。

反対に、強靭(きょうじん)な精神力と気力があれば、どんなことも実現の可能性はある、とも感じた。だからこそマスクは、常識人が「無理だ」と言うことに、耳を貸さない。絶対にやるという決心がないから、そのタスクに真剣に取り組んでいないと考えるのだ。

こうした彼の“空想”と“楽観”こそ、彼の成功の秘訣だと考えられる。もっとも、マスク懐疑論者は、彼の「成功」に2つのイチャモンをつけるかもしれない。それは、「“ぎりぎり”成功した」というのと「“今まで”は成功した」だ。

親の離婚とイジメ

南アフリカの首都であるプレトリアで育ったマスクは社交術に欠けていたが、知性はダントツだった。

本人いわく、“知ったかぶりをした”子どもで、百科事典を端から端まで読み、他人の間違いに気づけば、すぐに正したという。彼らは自分の無知を知らせてくれたマスクに感謝するに違いないと、本気で信じていたのだ。

大して驚くことではないが、マスクは当然、仲間と付き合うより自分自身と会話するほうを楽しんだ。カナダでは有名な食事療法士であり元モデルのマスクの母親メイ・マスクは、マスクは子どものとき、周りの世界を無視し昏睡状態に入っていたこともあったと振り返る。

その結果、マスクは、小児科医に難聴児ではないかと診断されていたという。

虐待すれすれといっていいほど厳しい父親、親の離婚、そして学校で階段から突き落とされるほど容赦ないイジメを受けたことは、マスクのパーソナリティを彼の賢い脳の奥へとさらに深く追いやった。

彼は、コンピュータのプログラミングを学んだり、サイエンス・フィクションの世界に浸ったり、先進テクノロジーや善と悪の壮大な戦いなどについて空想したりした。

学校でも家庭でも悲しい目に遭ったマスクが、ほかの惑星に行きたいと夢見たことは、納得できるし、その思考は今でもそれほど変わっていないのだろう。

初めての窮地

マスクは、早期に南アフリカに見切りをつけた。最初はカナダの大学に行き、後にアメリカでも大学に通った。

南アフリカ時代、彼の優秀さは同級生の嫉妬と反感を買いイジメの原因になったが、カナダやアメリカの大学では、ギークや夢想家たちに感動を与えた。

彼は、少数ではあったものの、彼の崇拝者にやっと出会えたのだ。だが、それでもマスクは、相変わらず、人から知恵を得ることを軽視していた。

ちなみに、最初のドットコム・バブルが起きたばかりの頃、スタンフォード大学の博士号コースを中退したマスクは、地元の企業情報をカバーするソフトウェア開発・販売会社であるZip2を設立、起業した。1999年、Zip2は3億ドルというかなりの大金でコンパックに買収された。

次に、彼はパーソナル・ファイナンスの領域にチャレンジした。当時の金融業界で、マスクの「オンライン・バンキング」のアイデアを聞き、面と向かってバカにしない投資家を探すのに苦労したほどだ。マスクは金融業界のいろはも知らなかったが、あまりにガッツがあったため、誰もマスクの金融参入を阻止できなかったという。

結果として、マスクはX.com社を起業した。その後、X.comはマックス・レヴチンとピーター・ティールにより運営されていた、事業が似たベンチャー企業と合併した。こうして、ペイパルという新たな星が誕生した。

しかし、ペイパルでマスクの“厳しい”経営スタイルが、初めて彼を窮地に追い込んだ。最終的に彼はCEOとしての地位を追われた。だが、ペイパルが上場し、その後2002年にイーベイに買収された後、マスクは誰よりも大きな“pay day(給料日)”を迎えることになった。

*後編は明日掲載します。