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Vol.3:イーロン・マスク 未来を創る男

マスクは誰にも真似ができないほど壮大な夢を追う天才

2015/9/13
次なる「スティーブ・ジョブズ」として、電気自動車、ロケット開発の分野でイノベーションに突き進む男、イーロン・マスク。「人類の火星移住を実現させる」という壮大な野望を抱く男は、どのようにして生まれたのか。いじめにあった少年時代、駆け出しの経営者時代から、現在のテスラモーターズ、スペースXの経営まで、希代のイノベーターの人生を、ブルームバーグ・ビジネスウィークのアシュリー・バンス記者が徹底取材。全米で話題沸騰の著書『イーロン・マスク 未来を創る男』の日本語版の一部を発売に先んじて公開する。

イノベーションを地で行く

ドットコム・バブル崩壊後、2002年にグーグルが一気に力をつけるが、これは例外中の例外だった。グーグルの出現以降、2007年にアップルがiPhoneを発売するまでは、IT業界は次々と企業が生まれては消える“ゴミ捨て場”状態だった。

やがてフェイスブックやツイッターが誕生する。それまでのIT業界はヒューレット・パッカードやインテル、サン・マイクロシステムズのように、物を作り、大量の従業員を雇用するビジネスだった。

続いて到来した時代は、大きなリスクを取って新たな産業を築き、斬新なアイデアを生み出すのではなく、消費者を楽しませ、単純なアプリや広告を垂れ流すという「楽して稼ぐ」方向に変わってしまった。

初期のフェイスブックを支えたエンジニア、ジェフ・ハマーバッカーは「同世代の賢そうな連中はみな、どうしたら広告をクリックしてもらえるかしか考えていない。本当にロクでもない」と切り捨てる。シリコンバレーのハリウッド化である。

一方、消費者は内向きになり、ネットに閉じこもるようになった。

このイノベーションの空白がやがてとてつもなく深刻な問題につながると、早い時期から指摘していたのが、米国防総省海軍航空戦センターの物理学者ジョナサン・ヒューブナーだ。

1985年から兵器設計を手がけていたヒューブナーは、材料やエネルギー、ソフトウェアの最新技術動向に造詣が深い。ドットコム・バブル崩壊後、イノベーションとは名ばかりの代物しか登場しない状況を苦々しい思いで眺めていたという。

2005年、ヒューブナーは「衰退に向かいかねない世界のイノベーション」と題した論文を著している。

彼はイノベーションの現状を木登りにたとえた。すでに人類はイノベーションという木の幹を登りきり、大枝らしい大枝はほとんど登り尽くした状態にある。つまり、車や電気、飛行機、電話、トランジスターなど、革命的なアイデアはほとんど出し尽くされたというのだ。

今は、木のてっぺんにある枝の先あたりにしがみついていて、過去の発明の改良に終始している。その証拠に、生活を一変させるような発明が出現する頻度が落ち始めているとヒューブナーは指摘する。人口1人当たりの特許件数も減少の一途をたどっているという。

「これまでの発明上位100件と同じだけの発明が登場する可能性は小さくなるばかり。イノベーションはもはや“限りある資源”だ」

そして5年もすれば、同じような見方が出てくるだろうと予測していた。事実、オンライン決済サービスのペイパルの共同創業者で、フェイスブックの初期の投資家でもあるピーター・ティールが「人々を幻滅させたのはテクノロジー産業だ」と言い始めたのは2010年ごろからだ。

ティールが経営するベンチャーキャピタル、ファウンダーズ・ファンドのキャッチフレーズは「空飛ぶクルマが欲しかったのに、出てきたものはたったの“140文字”」である。がっかり感の象徴としてツイッターを揶揄しているのだ。

「未来はこんなことになっていた」と題するエッセイの中で、ティールを始めとする仲間たちはツイッターなどに代表される発明がいかに人々を幻滅させたかを説いている。

ティールは、明るい未来を描いていたSF作品が、あるころから悪夢論に変わっていったのは、もはやテクノロジーが世の中を変えるなど誰も期待していないからだと言う。

私もこの手の意見に同調していたが、マスクランドを訪れてからは考え方を改めた。工場や研究開発拠点、機械工場を実際にこの目で見た上で、マスクがどこまで自分の手と足を実際に動かしているのか見届けた者は社外にはいない。

官僚的なピラミッド構造とは無縁の急成長企業の背後で、シリコンバレー本来の倫理観を受け継いだ男がたしかにそこにいた。日夜、巨大なマシンの改良に取り組み、真のブレークスルーの可能性を秘めながら見過ごされていた技術を追い続けている男が――。

本来ならばマスクも同じような不安を抱えていたはずだった。

マスクが手にした3社

大学卒業後の1995年、まず彼はドットコム・ブームに乗っかる形でZip2と呼ばれる会社を起こした。生まれて初めての起業だったが、これが大当たりだった。その後、1999年にコンパックに3億700万ドルで売却する。

この取引で2200万ドルを手にしたマスクは、ほぼ全額を次の起業につぎ込んだ。後のペイパルである。2002年、イーベイが同社を15億ドルで買収したことで、ペイパルの筆頭株主であるマスクはとんでもない資産を手にする。

だがマスクはシリコンバレーにこもることなく、ロサンゼルスに向かう。まずは落ち着き、次のチャンスの到来を待つというのが昔ながらのセオリーだが、彼にそんな常識は通じない。

スペースXに1億ドル、テスラに7000万ドル、太陽光発電のソーラーシティに3000万ドルを投じた。超リスク志向のベンチャーキャピタルを1人で展開し、ロサンゼルスとシリコンバレーという世界でも屈指の高リスク・高コスト地帯で、ケタ外れに複雑極まりない製品づくりをめざして一か八かの賭けに出たのである。

マスクが手にした3社は、航空、自動車、太陽光発電の産業で過去の常識にとらわれず、大胆な発想で開発する気風にあふれている。

スペースXでは、ロッキード・マーティンやボーイングといった軍産複合体(コンプレックス)の巨人を相手に戦っている。それどころか、ロシアや中国といった国家までもがライバルだ。

スペースXは航空宇宙業界のローコストサプライヤーとして名を上げたわけだが、それだけで競合に勝てるほど甘い世界ではない。政治の世界、業界内のもたれ合い、資本主義を根底から揺るがしかねない保護貿易主義など、もろもろのしがらみに対処する必要があるのが宇宙ビジネスだ。

スティーブ・ジョブズがiPodやiTunesを発表したときも、音楽業界の厚い壁に突き当たった。マスクの競争相手は巨大軍需産業だったり、一国の政府だったりする。音楽業界の守旧派を相手に戦うほうがまだ気楽だったかもしれない。

スペースXは、ペイロード(搭載物)を宇宙に運んだ後、地上の発射台に正確に帰還する再使用型ロケットの実験を続けている。この技術を完成させれば、あらゆるライバルに致命的な一撃をお見舞いすることになり、間違いなくロケット業界の有力企業が廃業に追い込まれる。

同時に、宇宙に貨物や人類を送り込む事業に関して米国が世界のトップに君臨することになる。

「私に消えてほしいと思っている人は日々増えている。そのうちロシアの手先に暗殺されるのではないかと家族は心配している」とマスクは言う。

テスラモーターズでマスクはクルマの生産・販売方法自体に新風を吹き込み、同時に世界的な燃料販売網を増強している。他社が手がけるハイブリッド方式はマスクに言わせれば「次善の妥協策」にすぎない。

テスラがめざしたのは、誰もが欲しがっている「100%の電気自動車」である。むろん、技術の限界に挑まなければ実現しない。テスラは、ディーラー網を持たず、ウェブで直接販売する。そこでアップルのように高級ショッピングエリアに実物が見られるギャラリーを設置している。

販売後の保守点検で儲けるようなビジネスモデルは考えていない。電気自動車はオイル交換などの保守が不要だからだ。商談での値引き交渉や旨味のある保守点検ビジネスに慣れきっている従来のディーラーにしてみれば、テスラの直販モデルはケンカを売っているとしか思えない。

テスラが展開する充電ステーションは「スーパーチャージャー」と呼ばれ、米国や欧州、アジアの主要ハイウェイ沿いに次々に誕生している。30分も充電すれば何百kmも走ることができる。

しかも、スーパーチャージャーは太陽光発電装置によって運営されている。だからテスラのオーナーは、燃料補給に金を払う必要がない。米国のインフラが衰退する中、マスクは未来志向の一貫した輸送システムを着々と構築している。

これを足がかりに米国は再び世界を大きくリードする可能性がある。すでに実現し始めているマスクのビジョンは、ヘンリー・フォードとジョン・D・ロックフェラーのいいとこ取りのようでもある。

ソーラーシティは、太陽光発電装置の設置や販売を手がける会社だ。マスクはソーラーシティのアイデアを打ち出し、会長に就任。従兄弟のリンドン・ライブとピーター・ライブが経営に当たっている。

同社は従来の電力会社が太刀打ちできないほど安価に電力を供給し、自力で大手電力会社に成長した。クリーンテクノロジー系企業の経営が次々に行き詰まっている中、マスクは世界屈指のクリーンテクノロジー企業を2社も成功に導いているのだ。

いくつもの生産拠点と膨大な従業員、技術力を擁するマスク帝国だからこその成果だろう。おかげでマスクは100億ドル相当の資産を持つ大富豪になった。

マスクランドを訪れるようになって以降、私には彼の成功の秘密が少しずつわかってきた。「火星に人類を送り込む」といったマスクの話は常軌を逸しているように思えるが、これがグループ各社をまとめあげる独特のスローガンになっている。

総合目標として、何をするにせよ一貫した行動指針になっている。全従業員がこれを熟知しており、不可能を実現するために明けても暮れてもチャレンジし続けていると自覚しているのだ。

非現実的な目標を掲げ、言葉で従業員にプレッシャーをかけてこき使っても、すべては火星計画の一部だと受け止められる。そこが魅力だとマスクを慕う従業員がいる。

逆にマスクを嫌う従業員もいるのだが、行動力や使命感に対する敬意から忠誠を守っている。シリコンバレーの起業家の多くは「社会的に意味のある世界観」が欠けているものだが、マスクには確たる世界観がある。

誰にも真似ができないほど壮大な夢を追う天才だ。蓄財に現を抜かすCEOとは一線を画する。マーク・ザッカーバーグの目指したものが、可愛い子供の写真を世界に披露できる場所だったとすれば、マスクは何を目指しているのか。人類を自滅行為や偶発的な滅亡から救うことだろう。

そんな崇高な目標のためにマスクが実践している生活は常識からかけ離れたものだ。典型的な1週間はテキサス州ベレアにある邸宅から始まる。月曜日にはプライベートジェットでロサンゼルスに飛び、スペースXで終日仕事だ。

そのまま泊まり込み、火曜日はシリコンバレーに移動、今度はテスラで2〜3日過ごす。同社のオフィスはパロアルトに数ヵ所、工場はフリーモントにある。北カリフォルニアには住居がないため、高級ホテルのローズウッドか友人宅に泊まる。

友人宅の場合、マスクのアシスタントが「1人泊まれる?」とメールを送り、「いいよ」と返事があれば、夜遅くにマスクが直接訪れる。

来客用の部屋に泊まることが多いが、しばしリビングでビデオゲームに熱中した後、そのままソファで眠り込むことも少なくない。木曜日はロサンゼルスに戻って再びスペースXに出社だ。移動はほとんどプライベートジェットである。

*続きは明日掲載予定です。
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