ベンチャー起業に「マッキンゼー流」スキルは生きるのか

2015/8/18
著名経営者に聞く、私のコンサル修行時代。今回は、元マッキンゼーでオイシックス社長の高島宏平氏が登場。「出る杭ほど仕事を任される」企業風土の中で、高島氏はどのようにポジションをつかんでいったのか。ちまたでもてはやされる「マッキンゼー流」スキルは、ベンチャー起業に際して生きたのか、生きなかったのか。古巣に対する率直な思いが語られる。

「なんだかみんな気取っているな」

私は新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社していますが、当時、さほど深い考えがあったわけではないんです。商社や広告代理店などあちこち受けた中で、最初に内定をもらえたのがマッキンゼーで、就活に時間をかけるのは無意味だと感じていましたから、そのままあっさり決めてしまいました。
ただ、マッキンゼーは平均勤続年数が3年程度と聞いて、「これは自分に向いているかもしれない」と直感しました。私はどこの会社であっても3年勤めたら起業するつもりでいましたし、何より短期間で人が入れ替わるということは、最初から責任のある仕事を任せてもらえるだろうという期待もありました。部活にたとえれば、なるべく早く試合に出させてもらえる環境を欲していたんです。
いざマッキンゼーで働き始めて最初に感じたことは、なんだかみんな気取っているな、ということでした(笑)。日常の会話ひとつをとっても、「どういう選択肢がありますか」と言えばいいところを、「どういうオプションがありますか」と、必要以上に英語を交えてくる。
日本人が集まる外資系企業だから、自然とこうなってしまうんでしょうね。慣れてくると、彼らが決して格好つけようとしているわけではなく、単にそういうカルチャーなのだと気づきましたけど。

各コンサルタントの武器を「いいとこ取り」する

マッキンゼーには実際は2年しかいなかったので、あまり偉そうなことは言えませんが、楽しく学びながら働かせてもらった記憶があります。仲間にも恵まれ、オイシックスの創業には私のほかにもう2人、マッキンゼー出身者が参加しています。
マッキンゼーでは一定のモデルに沿って仕事を進めるのではなく、みんながバラバラに動いている印象でした。思えば非常に濃いメンバーがそろっていた時代で、私にとってのいわゆるメンター的な存在だったのが、今はエムスリーのCEOをやっている谷村格さん。その谷村さんのメンターと言うべきなのが、後にディー・エヌ・エーを創業する南場智子さん。ほかにも、横山禎徳さんや上山信一さんなど個性的な人が大勢いて、一緒に働いていて面白かったですね。
特に誰が師匠だということはなく、大工の徒弟制度、あるいはスポーツチームに近い感覚でした。あの選手が打つシュートはすごい、あの人はパスが抜群にうまい、といったように、各自の武器をいいとこ取りすることで成果を得ようとするんです。