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失敗するときに、できるだけ前のめりに

ロバート キャンベル、メディアを“偏食”すると「裸の王様」になる

2015/8/16
NewsPicksの最大の特徴は、多様なピッカー(読者)の多彩なコメントだ。ただ、記事をピックしコメントする面白さとともに、難しさを感じる人も多いのではないだろうか。また、会議や商談などあらゆるビジネスの場、日常的な人付き合いの場において、「それで、あなたはどう思うの?」と“コメント力”を求められる機会は多い。では、コメントを仕事の一部とするプロのコメンテーターたちは、どのような哲学や法則にのっとってコメントしているのだろうか。テレビのコメンテーターあるいは、NewsPicksのプロピッカーという、いわばコメントのプロたちに、「コメント力」の鍛え方を聞く。

「スッキリ!!」(日本テレビ)、「みんなのニュース」(フジテレビ)でコメンテーターを務める日本文学研究者・東京大学大学院教授のロバート キャンベル氏。気さくなキャラクターで親しまれるキャンベルさんがコメンテーターとして意識していることとは。

自分の提供できる価値を考える

コメンテーターをやっていると専門外の話になることも多いのですが、自分の良識や、カバーできる範囲を考えて発言しています。

専門外の話でも、政治経済などは非常に関心があるので、良識に基づいて話をします。また、歴史に根ざした政治的・経済的問題は、自分の専門に近いベクトルから話をします。

一方で、スポーツはあまり観戦しないので、無理してコメントしたりはしません。芸能、アイドルには全然関心がないので、ときどき文化現象としての分析に基づくコメントをすることはありますが、基本的には静かにしています。

また、英語やフランス語がわかるので、海外の報道に積極的に接し、「ワシントンではこう報道されている」「パリではこう報道されている」という話をすることも、コメンテーターとしての僕の役割のひとつかな、と思っています。

「フェア」であることを意識する

僕は、常に「フェア(公平)」であることを意識しています。

たとえば、最近、中近東の話題がたくさん出てきますが、この話題に関して日本の新聞をたくさん読むことはもちろんのこと、アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントンポスト」、カタールの「アルジャジーラ」なども必ず読みます。

また自身の主張、立場と反対のものも読みます。「朝日新聞」もイギリスの「ガーディアン」も読むし、イスラエルの保守派新聞「ハーレツ」やアメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」、日本の産経新聞なども毎日目を通しますよ。

自分の主張、立場と同じようなものを「ばっかり食い」していてもダメなんです。インターネットで情報収集しているときにも起こりがちですよね。

「ばっかり食い」をしていると、どんどん同じ方向に傾いていって、「裸の王様」になってしまいます。だから、意識的に、自分で立ち止まってそうじゃないほうに行くのが大事なんです。

僕のコメントに対して批判されることもありますが、自分の言葉や、テレビであれば表情や仕草を含めて、それが表現としてフェアであれば、何を言われても構わないと思っています。

先日、フェイスブックに、安保法案に関するデモについて書いたのですが、ノンポリな立場から書いたら、保守・リベラルの両側から、感情的なものも含めてたくさんのコメントが寄せられました。僕は、それはいいことだと思うんですね。

もちろん、特定の国や民族をおとしめるような誹謗中傷は許されませんが、話し合いは大事です。今の日本では、活発な議論が足りていないくらいですから。

ロバート キャンベル 日本文学研究者・東京大学大学院教授 1957年、ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業(B.A. 1981年)。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士(M.A. 1984, Ph.D. 1992年)。1985年に九州大学文学部研究生として来日。同学部専任講師、国立・国文学研究資料館助教授を経て、2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授に就任。2007年から現職。近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーターなどを務める一方、新聞・雑誌の連載、書評、ラジオ番組出演など、さまざまなメディアで活躍中

ロバート キャンベル
日本文学研究者・東京大学大学院教授
1957年、ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業(B.A. 1981年)。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士(M.A. 1984, Ph.D. 1992年)。1985年に九州大学文学部研究生として来日。同学部専任講師、国立・国文学研究資料館助教授を経て、2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授に就任。2007年から現職。近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーターなどを務める一方、新聞・雑誌の連載、書評、ラジオ番組出演など、さまざまなメディアで活躍中

コメントは鋭利な凶器だ

コメンテーターという仕事は、実際に人々が関わっている事件や出来事、スキャンダルなど「生のニュース」に言葉をのせていく仕事です。コメントの内容や仕方によっては、人の名誉を深く傷つけたり、尊厳を奪うことにもつながりかねません。

その一方で誰も傷付かない、きれいなコメントをしようとすると、「さらなる法の整備を求めたい」、「もっと取り締まりを厳しくしてほしい」などの誰でも言える言葉しか出てこなくなってしまいます。

ですから、すでに判明している情報に基づいて、「何か、裏があるんじゃないか」といった疑問を投げかけたり、建設的な批判コメントをするよう心がけていますが、「どこまで言うべきか」という線は、実は誰にも引けないものなのではないでしょうか。

前のめりに失敗していく

コメンテーターって、すごく曖昧な立場なんです。定義も、資格も、そこにいる根拠もない。実は、コメンテーターって基本的に契約がないんですよ。この曖昧さが、非常に日本的だと思います。

僕の場合、「ちょっとやってみませんか」という風に声をかけられ、コメンテーターを始めることになりました。しかし、コメンテーターとして番組出演するにあたり、事前研修や、先輩に学ぶ機会はまったくありませんでした。

おそらく、戦後からずっとコメンテーターという仕事はあったにも関わらず、コメンテーターとしての知識の伝承・継承がまったくなされていなかったのでしょう。初日に、まだスタジオの中も1人で歩けないような状態の中で背中をぽんっと押され、出演するところから誰もが始めるんですよね。

そこから適応していくには、fall forward(フォールフォワード)、つまり失敗するときに、できるだけ前のめりに失敗していくようにするしかないんじゃないかな、と思っています。

ロバート キャンベルの「コメント力」の秘訣
1. 自分の提供できる価値を考える
2. 「フェア」であることを意識する
3. コメントは凶器にもなると心得る

*明日掲載の「永濱利廣、難解な事を平易に伝えるコツは『たとえ話』と『全国ネタ』」に続きます。

(取材・文:村井京香、撮影:遠藤素子)