M&Aのプロ佐山展生。今、明かす「人生でぶつかった4つの壁」

2015/8/15
日本におけるM&Aの第一人者、佐山展生氏の仕事人生は普通のサラリーマンから始まった。京大卒業後、帝人に入社してポリエステルの製造・研究開発に従事するが、33歳で畑違いの三井銀行(現三井住友銀行)に転職。M&A業務をゼロから学んで実践し、「天職」と思った。当時、戦後最大の負債額を抱えて破産したクラウン・リーシングの案件で日本初の手法を使い、今日の礎をつくる。
続いて日本初の大型バイアウト・ファンドを共同で立ち上げ、その後、M&Aアドバイザリー会社を共同創業。ワールドのMBO、阪急・阪神統合などを手がけた。現在は日本型のバイアウト・ファンド、インテグラルの代表としてスカイマークの再建などに奔走中だ。

現実のM&Aは『ハゲタカ』の100倍激しい

経済小説『ハゲタカ』はNHKでドラマ化され、多くの方がご存じでしょう。小説家の真山仁さんが「何か面白い話はないですか」とユニゾン・キャピタルを訪ねてきたことがありました。「面白い話はないけれど、頭に来た話はある」と話した東ハトの案件がけっこうネタ元になっています。小説に登場するおもちゃメーカーの話です。
ドラマの『ハゲタカ』の経済考証は、私とインテグラルの共同創業パートナーの山本礼二郎が担当しました。ドラマを見て「M&Aの世界って激しいんですねえ」と言う人がいますが、現実の100分の1くらい。現実は100倍激しい──。

冗談じゃない暴挙

2003年3月18日の火曜日に渋谷厚生年金会館の広い会場で東ハトの債権者集会が行われました。
「今後、ユニゾン・キャピタルがスポンサーになるので安心してください。お菓子事業はそのまま続けます」との会社説明に、安堵(あんど)の空気が流れ、集会が終わりかけた頃、若い人がすたすたと会場中央のマイクに歩み寄ってきました。
そのゴールドマン・サックス証券のお兄さんは、「われわれは●●食品と▼▼商事を代理して来ています。うちのほうがもっと高く買えます」と発言した。
いやいや、ちょっと待てくれよ。われわれが最初に手を挙げていなかったら、3月14日に民事再生の申し立てをした時点で事業価値がガーンと毀損(きそん)しているのです。
毀損しないように、民事再生の申し立てと同時にお菓子事業の事業譲渡契約を締結し、その翌日からは仕入れ先や販売先に状況を説明し、営業を継続し、ここまで踏ん張ってきて、うまくいったのを見てから「うちのほうが高く買えます」って冗談じゃない──。

調印は週末をはさんだらダメ

私のM&A人生のエポックメイキングとなった案件が起きたのは1997年4月1日。日本債権信用銀行(現あおぞら銀行)子会社のリース会社、クラウン・リーシングが負債額1兆2000億円を抱えて破産した。当時、戦後最大の破産でした。
6月4日の水曜日にオリックス社長の宮内義彦さんのところへ行きました。
「すぐに契約を調印したいのですが、いつが空いていますか」と尋ねたら、宮内さんは手帳を出して「来週の予定はね……」と言いかけられたので、「今週の金曜日は空いていませんか」とたたみかけた。週末をはさんだらダメなのです。間を空けると、もっと値切れるんじゃないかなど、あれこれ考えてしまう。M&Aは流れをとめず、一気にいかないといけない。
「金曜日、空いてる」と言われたので、金曜日に調印式となります。水曜日、木曜日に契約書を詰めないといけないので、メンバーは弁護士事務所で徹夜で最終交渉しました。
こうして金曜日に調印し、普通は何年もかけてやるような大型破産のM&Aを、日本初の「入札」方式を使って約2カ月で終えることができました──。

買収側は「下から目線」でちょうどいい

たいてい買収した側が「上から目線」になることが多いのですが、これは絶対にうまくいきません。同じ目線であっても、買収された側からは「上から目線」に感じる。「下から目線」でちょうどいいくらいなのです。
少し心配していたのですが、オリックスの人事の女性が西船橋の研修所で説明したとき、全然「上から目線」ではなかった。話す内容も宮内さんとまったく同じ。数日しか時間がなかったので、これは付け焼刃ではない。オリックスは大したもんだと思いました。
100数十人が移籍して現在、オリックスの中枢に元クラウン・リーシングの人もいます。これはうれしいですね──。

司法試験の勉強、三井銀行への転職

帝人で働きながら2、3年、司法試験の勉強をして、初めての択一の願書を出したのが1987年の春、33歳のときです。
ある日の昼休み、隣の人の机の上に日経新聞が置いてありました。たまたま見たら「三井銀行(現三井住友銀行)が中途採用募集」と書いてある。金融機関が中途採用を募集した初めての年です。
「35歳まで、証券業務、国際業務の経験者」。私は年齢だけギリギリセーフでしたが、あとはまったく関係ない。技術者募集とは書いていないけれども気になりました。というのも、工場でずっとモノづくりをしてきて、現場における経営に問題意識を持っていたからです。
帝人に入社して1、2年の頃、オイルショックによる業績悪化でリストラが行われました。辞めさせたい人を集中的に面接をして、「今、辞めたら退職金はいくらだ」と肩叩きをする。リストラを実行後、社長は「業績は回復しました」と言っていたのですが、私は「社員を辞めさせて儲かりました」はないだろう。社長は社員を食べさせてなんぼや、そんな社長なら私でも今すぐできると思っていました。
もしかしたら、銀行は企業の現場でモノづくりをした経験者を必要とするのではないか。それに金融機関というまったく別世界の人が自分をどう評価するのか興味がありました──。

30歳で正反対の生き方に変わる

私の人生は30歳でびしっと2つに分かれています。
30歳まではまったく受け身の人生。もしその頃に「あなたの人生の目標は何ですか」と尋ねられたら、「定年まで勤め上げたい」とか面白くないことを言ったでしょう。
ところが30歳からは正反対の生き方に変わりました。全部、自分で選択して、やりたいことを誰にも相談せずにやってきた。選択基準は「自分が面白そうだと思うかどうか」です。
私が変わったのは、30歳で「第1の壁」にぶつかったから。これまでに大きな壁が4つありました──。

まだホップ・ステップの「ス」

私は2015年12月で62歳になります。人生を三段跳びにたとえると、もし銀行員を続けていたら50歳くらいで外に出されるでしょうから、ホップ・ステップ・ジャンプの「プ」の段階。飛んでざっと砂場に着地して、「私は部長までいきました」「私は常務までいきました」と言っていたかもしれません。
しかし、今や人生90年、100年の時代です。30年も40年も「余生」というのは寂しすぎます。
では私が今、どういう状況かというと、ホップ・ステップ・ジャンプの「ス」の段階。当面のステップの目標は──。
(構成:上田真緒、撮影:竹井俊晴)
30歳までの受け身人生を変えた「4つの壁」
佐山展生(インテグラル 代表)
  1. M&Aのプロ佐山展生。今、明かす「人生でぶつかった4つの壁」
  2. 小学6年生で「死ぬんじゃないか」と思った
  3. 「高3夏まで野球を続けろ。社会に出て役立つ」繰り返し聞いた監督の言葉
  4. 京大目指して高3の11月から猛勉強。あさま山荘事件でロスタイム
  5. 人生で唯一、無為に過ごした大学時代を今でも後悔
  6. 帝人入社。愛媛工場でぶつかった「第1の壁」
  7. 「サラリーマンは安定しているが長期的にはリスキー」30歳で大人になった
  8. 33歳で畑違いの三井銀行に転職。M&Aは知らないけど「面白そう」
  9. 初めてのM&Aで「天職」と確信。ボイラー会社の従業員を救えた達成感
  10. ニューヨークで「この野郎」と奮起。MBAを取得する
  11. 経営経験のある人が「経営」を教えてもいいはず「動けば何かが起きる」
  12. 日本で前例のなかった大型破産のM&Aを引き受ける
  13. 日本初の大型破産案件を「入札」方式で2カ月で完了
  14. 日本初の「バルクセール」もやり遂げたが、「第4の壁」が来た
  15. 銀行とプロフェッショナル契約。晴れて自由の身になった
  16. 市場がない中でバイアウト・ファンド設立。資金集めに奔走
  17. 東ハト案件でゴールドマンに激怒。小説家・真山仁さんに思いを吐露
  18. 日本初「プレパッケージ型民事再生」をめぐる激闘
  19. 投資先の会社がハッピーになることが何より大事。「浪花節ファンド」をつくりたい
  20. どんでん返しの大勝負。カネボウ、ダイエー、ワールド、阪神・阪急統合
  21. 日本型バイアウト・ファンド設立。スカイマーク再建に駆け回る
  22. 「人生100年計画」を立てよう